パックエックス通信

東洋商事株式会社、長谷川康垣社長 TOPから学ぶ前編

広島県にTOYO屋号で2店舗運営している東洋商事株式会社の長谷川康垣社長にインタビューしました!前編では、会社を継ぐ経緯や経営理念作成のために結成されたTAPについて教えてもらいました。

経歴から教えてください。

3兄弟の長男として生まれ、父は昔ながらのとても厳しい人間でした。例えるなら巨人の星に出てくる星一徹。父がパチンコ店の仕事をしていると、何となく理解していましたが、いつもゆっくり出社するな、早く帰ってくるなという程度。父がパチンコ店の経営者だと理解したのは小学校高学年になった頃でしょうか。つまり、父の仕事には興味がありませんでした。

厳しい父と離れて暮らしたい、のびのびと生活したいと思って、東京の大学に進学。卒業後は広島の金融機関に就職しました。

大学卒業後に継ぐという話にはならなかったのですか?

なかったですね。父は自分の代で終わらせるから好きなことをしなさいというスタンスでした。しかし、私が18歳の時に両親が離婚、父が病を患い半身不随になってしまいました。

体が弱くなると精神的にも弱くなるんでしょうね。その時に初めて「後を継いでくれないか。」と相談されました。

その時にどう感じましたか?

パチンコに興味がなかったのできっぱりと断りました。それから大学を卒業して金融機関に入社しましたが、色々な数字が読めるようになって。決算書などを見て企業の経営状態を理解できるようになりました。

ある時、父の会社の決算書を見てみたら、経営状態は良いとは言えませんでしたね。心配になって父に「会社はどうなの?」と聞いたところ、業績は悪化していると、まあ予想通りなのですが説明されました。

父の会社には社員30人、アルバイトを含めると約70人働いていますから、会社が傾くとこの人たちの生活も成り立たなくなってしまいます。そう考えた時、私は長男として、この会社を継ぐべきかもしれないと思いました。パチンコビジネスや経営に関して無知だし、すぐに業績を伸ばすことは出来ないだろうけど、経営を立て直すために父と一緒に戦うべき、そう感じたんですよね。

その頃、パチンコビジネスの理解度はどの程度でしたか。

当時はパチンコ・スロットも1、2回しか遊んだことがなくて。ビギナーズラックもなく、面白いとは思いませんでした。しかし、状況的にもそうは言っていられませんから、まずダイコク電機へ入社しました。

そこでは、パチンコやスロットの楽しみ方という初歩から、データの見方や分析など幅広く学び、ビジネス理解を深めていきました。ダイコク電機では約3年働きました。正直、もう少しここで働きたいなと思いましたが、父の体調は変わらず思わしくないし、経営状態も上向かない。継ぐのであれば、父が健在のうちだろうという意識もあったので、このタイミングで東洋商事株式会社に常務取締役として入社しました。

入社する時の気持ちは?

あまり、前向きではないですよ。父と一緒に仕事をしたい!と思って入社するわけではないですから。むしろ、揉めることが目に見えていたし、入社した後の父の厳しさも予想できましたから。

長谷川康垣/東洋商事株式会社 代表取締役。大学卒業後に金融機関へ就職。その後、ダイコク電機株式会社に中途社員として入社。2010年に父が運営する同社へ入社。2012年5月に代表取締役就任。

入社してからは、まずどんなことに取り組みましたか。

中に入ってみて分かりましたが、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃという状況でした。その中でも、優先順位を付けると急務なのが銀行折衝と会社の雰囲気改善です。

父は言葉がきついので、お世辞にも銀行担当者と上手く付き合っているとは言えず、良い関係に見えませんでした。安定した経営を続けるには、銀行との良い関係が必要不可欠ですから。

会社の雰囲気は何とも言えず。ただ、今よりも良い雰囲気になれば、もっと社員が意欲的に働けると思っていました。

雰囲気はあまり良くなかった?

そうですね。父のトップダウンで動く会社でしたから。ある意味、現在の業績や会社雰囲気を生み出しているのは私の父。さらにそこで働く社員さんたち。そういった意味では、この人たちが悪い状況を作りだしている、根源だと見下していたかもしれません。

ただ、私は父と社員さんの間に入って状況を改善する、架け橋になりたいと思っていました。そのためには何をすればいいのか。まずは社員さんとコミュニケーションを取って理解しようと考えていました。

現状から変えていく過程で、社員の反発はありましたか?

たくさんありましたよ。何を言っても反発を買う状況ですから。表面上ではやっているように見えても、いざ蓋をあけると何もやっていない、変わっていないのは当たり前。こちらの提案を心から良いと思って行動している社員さんは当時は少なかったです。

なかなか変わらない組織が変わるきっかけは何ですか。

経営理念が出来た頃です。私が社長就任する前、合宿研修を行っている方と知り合い、私と社員で参加したことがありました。その研修講師はとても素敵な人たちで、直観ですが私の気持ちを理解してくれて、今後協力してくれると思ったので、思い切って相談してみました。

色んな相談に乗ってもらう中で、企業理念の必要性に気付き、このチームで作りたいと強く思いました。そこで、研修講師の方にもオブザーバーとして入って頂き、一緒に企業理念を作ることになりました。

経営理念の作成にはどれくらいの月日をかけましたか?

約半年です。経営理念を作成するにあたって、TAP(Toyo Advanced Project)というプロジェクトを立ち上げ1期生を結成しました。メンバーは長く働いている社員さんやこれからを担っていくであろう若手社員さんを中心とした6名です。このメンバーに講師を加えたチームで月2回集まる場を設けて、こんな会社にしたい、こういう会社で働きたい、どんな会社であれば家族に自慢が出来るかなどを軸に考えてもらいました。

今の組織への不満を言う人もいれば、これから変わって行けることに感謝する人、最初はまとまり無かったですが、みんな本音を言ってくれるのは有り難いなと思って。また、トップダウンで決めるのではなく、社員さん皆で考えたものにしたかったので、きっとこのやり方で上手く行く。そう思って取り組んできました。

かなり、ぶつかり合うことも多かったですか?

そうですね。私を目の前にして経営に対する不満を言いますからね笑。でも、私自身反省しました。社員さんたちの考えや想いを全く理解してあげられていませんでしたから。また、より密なコミュニケーションが必要だと思いました。

現在でも、月2回の集まりの中で、本音でぶつかり合うという活動を行っていますが、貴重な時間です。

企業理念ができてから、会社はどうなりましたか。

そこから社風が少しずつ変化し、業績も比例して右肩上がり。また何よりも社員さんのモチベーションが変わりました。課題はたくさんありましたが、経営理念を作ったことによって、社員さんと真正面から向き合えた。心を開けば心が返ってくるという事を初めて実感しました。

トップダウンの会社から社員中心の会社へ変化したという事ですね。

今までとは真逆なので、少し違和感はありましたけどね。慣れると断然心地よいです。

今もTAP活動は続けられていますよね。

6期まで終了しました。毎期メンバーは変更していて、その期によっても人数を変えています。2018年5月からは7期がスタートします。

1期は理念策定、2期以降は理念浸透のために何が必要か、何をするべきかを考えていました。半年間という決められた期間で、どう成果を出していくのか、メンバーで知恵を出し合って決めていきます。

TAPのメンバーの選出方法は?

店舗ごとに参加すべき人を主任やマネージャーが選出、その中から経営陣が判断します。

なるほど。TAP以外で社員さんとのコミュニケーションはどのように図っていますか。

店舗に良く足を運ぶので朝礼や終礼に参加して、その時に感じたことや今まで経験したことを伝えています。

また全社員を対象に、半年に1回面談を実施しています。前回の面談からの振り返りや会社の未来像、その人がどう成長してほしいかを直接話します。2018年は業績も良かったので、その時に決算ボーナスの話もしました。社員さんはみな嬉しそうだったので、私も幸せな気持ちにさせてもらいました。

後編に続く

 

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