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有限会社ネクサス・ワン、山田 典生社長 TOPから学ぶ

山田典生/有限会社ネクサス・ワン 代表取締役社長。ホール勤務を経て、2001年にホール全般における製品開発、ソフト開発等を行う企業に入社。釘の学校事業をスタートさせる。2003年に独立し、有限会社ネクサス・ワン(釘の学校「山田塾」)設立。約10年間で受講者は2,000名以上。

今週は有限会社ネクサス・ワンの山田典生社長に登場いただきました。 釘の学校「山田塾」では、技術だけを教えるのではなく、「清く正しく強い心」を育てるという山田社長。そこには、山田社長が大切にされている「技術は心に勝てない」という想いがあるからだそうです。山田塾発足までや山田社長のパチンコ業界、さらには人生についての想いや考えをお伺いしました。

本日はよろしくお願いします。まずは釘の学校設立のきっかけをお伺いできますか?

12年前に前職の社長に出会ったことがきっかけです。大阪のパチンコホール退職後、今後どうしようかと考えているときでした。社長から「山田!俺の夢は釘の学校を作ることだ」と言われ、私もそれはいい案だと思いました。そうしたら「9月からスタートするからテキストを作ってくれ」と。テキスト作成を進めていくうち、「講師も務めてほしい」と言われました。初めてその話を聞いたのは春先だったので、すごいスピードで学校は始まりました。社長はすごく行動力がある方なんです。

スクール形式で釘を教えるという経験はそれまでされたことはあったんですか?

いえ、ないです。それに私は釘が下手だったんです。釘の学校の創設メンバーは、社長の他に、私が師匠と慕う方がいらっしゃいました。私も学校を始めるに当たって、師匠に改めて釘を教えてもらったのですが、「センスが無い」とばっさり言われてしまいました。

でも師匠は、「俺は釘は上手いが口は下手だ。でも山田は釘は下手だが口は上手い。だから俺の口となって技術を伝えていってくれ」と言われたんです。当時師匠は60歳を過ぎ、死ぬまでに人からありがとうと言われることをしたいと、北海道から沖縄まで飛び回り、現場の若いスタッフを指導していました。そんな姿を見ていたら自分がやらなければならないんだと思いました。

私は大阪のホールでは営業部長をしていて、正直、偉そうな格好していたんです。イタリアンスーツなんか着てね。でも社長、師匠と出会い、講師になることを目指すようになり、謙虚に生きようと思うようになりました。お二人との出会いが私の心意気を変え、人生の見る角度を変えるきっかけとなったんです。

学校を立ち上げた以降はいかがでしたか?

タイミングがよかったこともあり、スタートは順調でした。2002年に出玉や入替の規制があり、ホールはどこにお金の使うかを考える時期にありました。そこで若いスタッフに釘の学校に行かせるという風潮が生まれてきたのです。

おかげで、月曜日から金曜日までの5日間、朝から晩までみっちり授業を行うということを10週間連続でやり、述べ約140名の方に教えることができました。

短期間で140人を相手にするというのはなかなかできない経験だと思うのですが、何か印象に残っていることはありますか?

とても密度の濃い時間でした。教えるということと学ぶことは同義語と感じましたね。教えるスキルが飛躍的に上がり、ありがたいなと思いました。同じように教えていても、できる人とできない人がいる。万人に通じるモノはないと気付きました。この体験は私の人生も大きく変えていきました。

その後独立されるまでに、何かきかっけはあったのでしょうか?

独立なんて一切考えていませんでした。釘の学校が盛り上がっていた当時読んでいた本から、傲慢は良くないと考えさせられました。人は無意識のうちにナルシストになるものだと思います。私も多くの生徒を抱え、何千万円の売上を出すようになり、会社では社長の次の地位となっていました。そういうことができている自分を誇らしく感じ、傲慢になっていました。それと同時に、会社を思うが故に、方向性や考え方に対する不満も生まれてきました。

そんなあるとき、会社経営を行う2人の友人に愚痴を言ったことがあるんです。その2人には同時にではなく、別の機会に話したことなのですが、2人とも同じ見解でした。「俺が社長ならお前はいらない」と。社長に従い働くことができないなら、会社を辞めて起業するしかない。社長はすべての責任を負う代わりに好きなことができる。彼らからそう教わりました。

改めて社長と今後について話し合いをしましたが、やはりお互いの目指す方向にはずれがあり、社長からも最終的にどうするかは自分で決めるよう言われ、身を引く決意をしました。

辞めた後どうするかは決められていたんですか?

いえ、給料をもらいながら次の職を探すのも嫌だったから、何も決めないまま辞めました。そんなときに、以前生徒として来られていたあるオーナーから、「うちに来て釘を教えて欲しい。先生の研修に感動したのです」と連絡がありました。社長業には魅力を感じていませんでしたが、釘の学校には強いやりがいを感じていたので、引き受けることにしました。

会社を離れ、お一人でされてどうでしたか?

それまでは会社のバックアップがあり、やりやすい環境下で行っていました。だから自分でスケジュールを細かく立てて、売上金を管理し、そのお金を自分で使うという流れを全部一人ですることを初めて経験しました。

もともと小心者で、いい加減な性格だったので、こんな人間が他人様に物事を教える資格があるのかと、絶えずコンプレックスを持ち、不安でいっぱいでした。でも生徒さんから「釘の学校には山田さんがいないと意味がない。独立した方がいい」「山田さんは慕われているから大丈夫」と言う声を頂きました。それで改めて独立することを決意し、法人化した方が企業も取引がしやすいからという理由で会社をつくりました。これが「山田塾」発足のきっかけです。

山田塾を始められて10年が経ちましたが、設立当初と現在で変わったことはありますか?

いろいろありますが、お客様との付き合い方が変わりました。お付き合いできる社数には限りがあります。あまりお客様の数を増やしすぎず、その分、深いお付き合いをするようになりました。

例えば、釘の学校だけではなく、社内での教育体制確立に向けたトレーナー育成や、「クギタリング」です。特に「クギタリング」は好評です。授業では上手に釘を打っていても、実際の現場ではどうなのか、オーナーは知る必要があります。クギタリングはゲージ・釘の精度・傾斜精度とデータの整合性を定期的にチェックし、評価するというサービスです。これにより高いクオリティーを保つことができ、それによって稼働も上がり、利益も上がる好循環が生まれています。

環境の変化には対応していかなければいけませんが、スクール自体は辞めないです。

やはりスクールにはやりがいを感じられますか?

それもあるし、求めている人がいる限り辞めてはいけないのだと思います。以前ホールでアルバイトをしているという19歳の男性から「釘師になりたいから教えてほしい」と電話がかかってきたんです。「いいけどうちは高いよ」と言ったら「ちょっと考える」と。少ししたらまた電話がかかってきて「近所のおじさんが教えてくれるというから道具だけ売ってほしい」と。

最近は自分で道具を買おうとしない人が多いのですが、彼は自分でお金を貯めて買ったのです。彼の夢は釘の技術を身につけて大手のホールさんに就職することだと言っていました。やはりそんな声を聞くと辞めてはいけないと思うのですね。求めている人が一人でもいる限り、山田塾はあり続けなければいけない。戦いなのです。

山田塾では、技術だけではなく心構えといった心の部分も教えていらっしゃるそうですね。

私は「守破離(しゅはり)」という言葉を大切にしています。基本を守り、基本を破って応用をきかせる。

そこには必ず失敗が生まれますが、そしたらまた基本に戻る。この試行錯誤を何回も繰り返し、その境地から脱した時、その道のプロとなれます。これは山田塾でもよく話す考えです。

私は山田塾の初日にいつも言っている言葉が二つあります。一つは「釘は己なり」。260数本ある釘を真心を込めて丁寧に1本ずつ叩く。単純な行為の繰り返しです。やるべきことを淡々と消化していく。その先に必ず見えてくるものがあると思うのです。

もう一つは「技術は心に勝てない」。いくら技術があっても心が無ければ、会社にとっても、その人の人生にとっても有益にはなりません。

本来なら技術というのは、会社として後世に伝えていかなければなりません。ですが、それができていない企業は多いです。最近は釘を重要視しないオーナーも増えてきて、自分のわかる範囲、目に見える範囲しかやらなくなっている。そのため釘がどれだけ重要か、その技術にどれだけの価値があるのかがわからず、疎かにしてしまいがちです。

また、企画力・リーダーシップ・身だしなみ・挨拶・笑顔のできる、会社の理念に沿った人が中核になっていますが、後輩と真剣に向き合うことができる人も重要なんです。そんな企業人として人として、志や心の在り方が大切であると受講生に伝えています。

現在のパチンコ業界についてどう感じられていますか?

正直、憤慨しています。山田塾はパチンコを100年産業にするという理念のもと、業界サポートをしています。でも、この業界が変わったとは感じません。20年前までのパチンコは、スタッフが勤務中にタバコ吸って、鍵をジャラジャラとぶら下げていました。これではいけないと、イメージ払拭に向けて、パチンコホールをパーラーと呼び、アミューズメントとする動きになりました。そして10年程前からスタッフの在り方を見直す動きが出て、接客研修や笑顔研修などに力を入れるようになりました。

イメージアップとしてのひとつの手法だったのだとは思います。そしてそれは良い取り組みでもあったでしょう。否定はしません。

しかしなぜそうしなければならないのか?を社員さん達に理解させるまでには至っていないのが現実です。業界は良い取り組みをしてきたにもかかわらずその結果、現状はどうでしょうか。東日本大震災時には業界へのバッシングが酷かったですよね。業績もどんどん下がっている。

私は接客が教育の根っこの部分だとは思いません。枝葉にすぎないのではないかと思います。確かに笑顔の研修をすれば、スタッフは笑顔になって戻ってきます。でもそれだけでは売上は上がりません。売上のバロメーターはこの業界で言うところの稼働という言葉でもあらわすことができます。稼働とは顧客の人気の指数であり、支持の率であり、信頼の度合いを指します。即ち売り上げが下がったということは顧客の支持や信頼を失ったということなのです。

日本の国民性はモノづくりにあり、パチンコは日本固有の文化です。釘も同じで、パチンコ台は素材です。料理人に例えると、私が切った刺身と、プロが切った刺身では、全く味が違います。パチンコも優れた技術者がものづくりを行うことで、お客様に対する想いが見えてきます。

は近年、釘の面で努力しつくしたホールに出会ったことがありません。もし全てのホールさんがものづくりに真剣に取り組んでいたなら、業界はこのような状況になかったと思います。業績に直結する重要な部分なのになぜやらないのか不思議でしょうがないです。

技術の面でもホールさんはお客様満足度を高めなければなりません。私の持論は、店長は熱い情熱と理を持って、一生懸命モノづくりに励むこと。その姿をオーナーは認め、称賛すること。そしてその姿に、後輩・部下は尊敬の念を抱くこと。今の業界にはこの考えが必要だと思います。

ものづくりに真剣に取り組むからメーカーに対する要望も本物の要望が生まれてくるし、エンドユーザーに対する姿勢もおのずと変わってきた事でしょう。なによりも、ものづくりはそれに従事する本人の自己成長につながり、そういった善き人材を抱える企業にとっては、さらなる成長発展の可能性を促進するものと私は信じています。

今後のパチンコ業界についてどのようにお考えですか?

世の中に現状維持なんてないと思います。良いことをやってマイナス評価されることはありませんが、悪いことをやったらマイナス評価されます。現実、パチンコ業界はマイナスイメージを進んでいます。これまでに取り組んできたことが間違っている訳ではありません。努力が足らなかったのだと感じます。今後は接客も高めつつ、技術も高めるよう励まなければならないと考えます。

最後に山田塾のこれからについて一言お願いします。

釘は勿論ですが、心の部分も高めていきたいと思います。釘を叩けばお店が成り立つわけではありません。技術だけではなく、ホールスタッフにも、そこからお客様にも伝えられるような責任感・リーダーシップを身に付けてほしいです。リーダーの資質は、部下にやりたいことを伝えられているかだと思います。立場が逆になればわかりますが、自分に惜しみなく意見や考えを述べてくれる上司は慕えますが、何を考えているかわからない上司には近づき難いものです。キラキラした顔で入塾する若者もいれば、どんよりとした顔で入塾する若者もいます。そんな彼らが最終的には輝いて巣立つ姿を見ることが私のやりがいです。彼らがリーダーの資質や心得を習得し、会社により多くの貢献をしてくれることを願っています。彼らのために、私はこれからもがんばります。

ありがとうございました!

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