パックエックス通信

株式会社マトリックス、大堀康祐社長 TOPから学ぶ

大堀康祐/株式会社マトリックス 代表取締役。1994年にゲーム制作会社である株式会社マトリックスを設立。「面白いコンテンツを真面目につくる」にこだわり、その後はモバイル事業、パチンコ・パチスロ事業も開始。現在は社員数約120名の企業に成長している。

今週は株式会社マトリックスの大堀康祐社長に登場いただきました。ゲームが大好きで、高校生の頃には自らゲーム攻略の同人誌を作っていたという大堀社長。同じくパチンコ・パチスロも大好きで、「もっとおもしろい台をつくりたい」という想いから、パチンコ・パチスロ事業も始められました。前編ではパチンコ・パチスロ事業を始めるまでのお話をお聞きしました。

本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのお話から伺いたいと思いますが、ゲーム業界に入ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

私は子供の頃からゲームが好きだったんです。中学生のときにインベーダーゲームが出たのですが、初めて目にした時は「なんだこれは!?」と衝撃を受けましたね(笑)。

それまでの遊びはコンピュータを使わない遊びが主流でした。コンピュータを使うようになったことで、ブラウン管に映った絵がリアルタイムで書き変わる。「これはすごい!」と僕ものめり込みました。インベーダーゲームの登場が遊びを劇的に変えたんですね。でも、当時のゲームセンターは不良のたまり場でした。そのため、親御さんからは“ゲーム=悪”だと思われていました。「こんなに面白い遊びなのに、なぜ認知されないの?」と残念だなと深く感じていました。パチンコ業界とも近い状況ですよね。

高校生になってゲームへの熱はさらに高まり、ゲーム攻略の同人誌を作ろうと思ったんです。今は「ファミ通」など有名な雑誌は複数ありますが、当時はそのような雑誌はありませんでした。作ってみようとは思ったものの、著作権などで訴えられたら嫌だなと思い、ゲーム会社に電話して聞いてみたんです。

当時のゲーム業界はイメージの健全化に向けてファンを大事にしていました。そのため、私みたいなエンドユーザーにもちゃんと時間を割いて対応してくれたんです。いろいろと教えてもらいながら、同人誌としてゲーム攻略本を作るようになりました。

私が大学生の時にはファミコンが登場し、ゲームブームが起きました。それがきっかけとなって、ゲームが「不良の遊び」から、「文化」として認知されるようになっていったのです。

大学卒業後の進路もやはりゲーム業界と考えていました。高校生の頃からゲーム会社の方にお世話になったこともあり、私も「この業界の発展に貢献したい、ヒット作を生み出したい」と思うようになっていました。卒業後はゲーム会社に入社し、まずは制作を学びました。

御社を起業するきっかけとなった出来事は何かあったのでしょうか?

私がプランナーというゲームの企画を考える仕事をしていたときのことですね。

ゲームの制作は長いです。今だと携帯ゲームは数か月で作れるものもありますが、昔のゲームは1年かかるものばかりでしたし、開発期間が延びることもよくありました。

プランナーというのはどんなゲームを作るかを考える仕事です。それを元にデザイナーが絵を描いて、プログラマーがプログラムして完成する。だからゲーム制作の中で最初に手が離れるのがプランナーなんです。当時のゲーム会社は組織としてしっかりしていた訳ではないので、手が空いている人たちで次の仕事を作らなければなりませんでした。だから私も営業活動していたのですが、あるとき案件になった仕事を会社に報告したら、「せっかくだから自分でやりなよ!」と言ってもらえたんです。もともと独立したい意思があったので、タイミングがすべて合致し、職場の同僚たちと一緒に独立することになりました。そのとき受注したものがマトリックス最初のゲームになったんです。

これまでたくさんのゲームの制作に携わってこられたかと思うのですが、そのアイデアはどのように生まれてくるのですか?

僕はゲームというのは“派生学と組み合わせ”に近いと思います。例えばドラゴンクエスト。制作者も話していましたが、RPGの基礎になっているアメリカの「ウィザードリィ」というゲームと、「ウルティマ」というゲームの良いところを組み合わせて作られたものがドラクエなんです。大体のゲームは似ていますよね。画面が横に流れていって敵を倒すゲームとか。操作に関しても、Bはジャンプ、Aは攻撃など。

だからゲームというのは、いろんな良いところを掛け合わせ、“派生”させたものであると私は考えています。突然変異で現れたゲームはテトリスぐらいではないでしょか。

ゼロから考えると言い切る人もいますが、僕は韻を踏んでいるゲームが多いと思っています。なので、他社のゲームをしている時にも、このゲームにどう変化を加えたらもっと面白くなるかを常日頃から考えています。

そのような考え方や視点は、いつ頃からお持ちだったのですか?

幼少期からですね。ビデオゲームだけではなく、遊びそのものが好きな子供でした。駄菓子屋に行っては、玉を弾くゲームや、飴つきの紐を引くゲームなどに夢中でした。とにかく「上手くなる、攻略する」という努力をすることが好きだったんですね。いろんな着眼点を得ることは、この頃に養われたと思います。

現在は社員数約120名の企業に成長されていますが、組織が大きくなるターニングポイントはいつ頃でしたか?

最初のターニングポイントは、ゲームの制作ラインを1ラインの制作から、複数ライン同時進行で制作するようにした頃です。そのタイミングで人が増え、さらに大きくなったのは、モバイル事業とパチンコ・パチスロ事業の開始ですね。

私はコンピュータが登場した当時、すごく衝撃を受けたんです。人間が時間をかけて一生懸命考える計算を、コンピュータは一瞬で答えを導き出す。「すごいな!これを使えばいろんなことが出来るな!」と言う考えがありました。だから会社としてもコンピュータを使った遊びは何でも作ろうというスタンスでいました。

最初は家庭用ゲームだけでしたが、携帯電話の普及とともにモバイル事業にも力を入れ、その後、もともと好きだったパチンコ・パチスロ事業にも力を入れていきました。

ゲームとパチンコは同じ娯楽ではありますが、制作する上での違いはどのような部分にありますか?

ゲームはユーザーが自分でコントロールできますよね。ボタンを押すと、キャラクターがパンチやジャンプするなどの反応が返ってきます。それに対しパチンコはアタリかハズレかのみです。ユーザーは受け身で一方的にアタリかハズレかの最終的な結果を受け取るだけです。だからこそ、いかにしてユーザーに演出の途中でドキドキ感やわくわく感といった楽しさを感じさせるかが、制作においては重要になってきます。

私自身は昔からハネモノが大好きでした。なのでその面白さも知っています。これにコンピュータや液晶が絡むとさらに楽しくなるという想いも昔からあって、だからこそ、今のパチンコ・パチスロ事業がありますね。

パチンコ・パチスロ事業を始められた頃、苦労したことは何かありますか?

パチンコ業界は閉鎖的ですよね。私は特にコネクションもなかったので、最初は真っ向勝負でした。パチンコの企画書は見たことがなかったので、リーチはこうで、演出はこうで、役物はこうで…と想像しながらオリジナルの企画書を作り、メーカーへ営業に行っていました。

メーカーに電話して企画書を見て頂きたいとアポイントメントをもらって・・・今思うと、高校生の時と同じですね。

メーカーさんの反応はどうでしたか?

不思議そうでしたね。否定的ではなく、「なんでゲームを作っているのにパチンコも作りたいの?」という感じでした。 当時はゲーム制作会社がパチンコ業界に参入することは多くはなかったです。でも私は面白いパチンコ台を作りたいという想いがあったので、チャレンジしました。

その頃には、社員数30~40名規模の企業になっていました。

その頃から現在の約120名へと成長する要因は何があったのでしょうか?

ポリシーにある「真面目に仕事をする」ことですね。ゲーム制作会社の中にはパチンコ関連の仕事を甘く見ている会社も少なくないと思います。パチンコをやったこともない人が企画書を作って制作をしていることもあります。だからユーザーが遊びたい台にならないんです。当たり前ですよね、非ユーザーが作るパチンコなんて面白くないじゃないですか。

私たちはすべての事柄に対し真面目に取り組むことをポリシーにしているので、パチンコ台を作ることにも本気で取り組んできました。

当社のパチンコ・パチスロ事業のスタッフたちは、みんなパチンコやパチスロが大好きで、いつも勝った~、負けた~、という会話をしていますよ。彼らが考えるパチンコの企画はやはり面白いです。そうやって真面目に仕事をしてきたからこそ、今があるんだと思います。

自分達で手掛けたものが世に出た時は嬉しいんでしょうね。

作ったパチンコ台が出るときは必ずホールに行って、お客様が遊技しているのを後ろで見ています。ひとつひとつの演出に対し、お客様がどの様な反応をするのかを確認するんです。

自分たちの作った台にお客様が座って、「これはこうなるとアツイんだよ!」と、隣のお客様に説明しているところを見た時が本当にうれしいですね。

社員のみなさんが制作に集中できる環境を整えていると伺ったのですが、実際にどのようなことをされていますか?

我々のビジネスは、「今はこれが流行です」と会社が教えてくれるものではないです。全ての人達が職人として常にアンテナを張って、情報収集し、こうした方が面白いと考え、勉強し続けることが大切です。だから私たちの仕事は、常に刺激を受けていなければなりませんし、会社もそのような環境におくべきだと思っています。

なので、今のオフィスも情報が取りやすい環境下であるということを考えて、歌舞伎町のこのビルにしたんです。ここだったらゲームセンター・パチンコホール・映画とあらゆる娯楽が揃っていて、情報収集にうってつけの場所だからです。休み時間でも市場調査ができ、弊社にはピッタリの場所ですね。

「真面目」ということを大切にされていますが、そのお考えに至ったきっかけは何かありますか?

私達が作っているものはソフトです。ゲームもパチンコも、何もないところに価値を付けることが仕事です。ただその価値というのは、趣向性の問題です。良いか悪いかは、判断する人によって違います。価値のないものに対して、あると言い張る人もいます。そのような不透明なところがあるからこそ、業界に対して真摯に取り組む姿勢が必要なのです。自分たちが好きで、良くしていきたいと思っている業界ですからね。

一番大切な「人を感動させる、楽しませる」。これはゲームでもパチンコでも同じで、難しいことです。そのため、生半可な気持ちでは行動できません。しっかりと計算し、考えなければ実現できません。

私の夢はゲーム業界に恩返しすることなんです。ゲームを生み出してくれたこと、遊ばせてくれたこと、働く場を与えてくれてこと。私達はゲームに感謝するとともに、恩返しをしていきたいです。これらが全て「真面目」に繋がっています。

ではそんな夢を共に実現する社員さんの採用で、大堀社長がこだわっていることは何かありますか?

職人なので一定の水準は必要ですが、それよりも理念に共感してくれることが大切です。例え素晴らしい仕事をする人でも、理念に共感できない人と一緒に働くのは難しいですね。

それからゲームやパチンコなどの遊びが好きで、さらにビジネスとしても捉えることができ、仕事に真剣に取り組んでいける人。そういった人に来てほしいです。

パチンコ・パチスロの事業部にパチンコを全くやったことのない社員を配属することもごくまれにあるんですよ。本人の適性を考えてなんですが。そういう人の多くはイメージだけで「パチンコ=悪」と思っていることが多いんですね。だから「パチンコ=遊び」という考えを私自ら一生懸命説明しますよ。パチンコの楽しさを知ってもらいたいんです。

加えて社内にはパチンコ・パチスロ試験があります。「フリーズとは?全回転とは?」といった簡単な問題から内規まで幅広く出しています。パチンコ台を作る人は真のユーザーであり制作のプロであることにこだわっています。

大堀社長ご自身もパチンコがすごく好きなんだということを感じます。

大好きですよ!いつも宝探しのようで、ワクワクしています。今後の目標は「これはスゴイ!」と思わせる台を世に出すことです。

では最後に、業界の方へのメッセージをお願いします。

パチンコはギャンブルではなく遊びです。私たちの仕事は夢を追うことだと考えています。

ですが、昔のパチンコ台は遊びの幅が広かったのに対し、近頃は狭まってしまったことが残念です。ハネモノなど今でこそ復活傾向にありますが…液晶の進歩はすごく大きいのですが、内規に乗っ取った部分がそれに比べると制作できる幅が小さく感じますね。私たち制作会社はその制約下の中で、もっともっと楽しい台を作っていかなければなりません。

パチンコホールさんには業界を盛り上げるために、他責ではなく、“自分がやるんだ”という気持ちで真面目に取り組んでほしいです。

例えば遊技台にしても、もっと1台1台に真剣に向き合って欲しいですね。パチンコ業界は、ホールよりもメーカーが強い立場にあるとよく言われています。だからこそ、ホールの方には、今よりもっと遊技台を知っていただき、メーカーに向けてたくさん意見を出してほしいです。ホールの方が展示会に来ても、試打ロムで大当たりしている状態しか打っていない光景を良く見ます。でも台を見る際に重要なのは、当たっている楽しい瞬間ではありません。ユーザーが一番多く打つことになる通常状態をいかに多く打ち、当たるまでのドキドキ感がどう演出されているかを見ることです。台のことを知る努力をすることで、より戦略的な台選定が可能になってくるのだと思います。

私自身もパチンコは大好きですし、本当に、パチンコ業界には元気になってほしいですね。

ありがとうございました!

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