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有限会社三岩、守山 真理子社長 TOPから学ぶ

守山真理子/有限会社三岩 代表取締役社長。祖父が創業した有限会社三岩の3代目として、1997年に代表取締役就任。東京都内に2店舗を経営。2015年までに新たな店舗を出店することを目標に、組織力強化、人材育成に努めている。

今週は有限会社三岩の守山社長のインタビューです!物腰柔らかく、お母さんといった印象の守山社長。社員さんへの感謝の気持ち、愛情がにじみ出ているようでした^^社長就任前は専業主婦をされていた守山社長。もちろんパチンコ業界は未経験。社長就任の経緯から、就任後に取り組まれたことや今後への取り組み、社員教育についてなどのお話です。

守山社長本日はよろしくおねがいします。まずは社長就任の経緯をお伺いできますか?

この会社の創業は私の祖父で、叔母が二代目の社長を引き継ぎました。祖父が急死したことをきっかけに、私が叔母の養女となりました。私は結婚後専業主婦をしており、主人はサラリーマンをしていました。15年程経ったときに、お店の責任者が高齢になったので主人に手伝ってほしいと話がありました。それで主人はサラリーマンを辞めて、店に入ることになりました。

叔母から代がわりをしたいという話があったのは1997年でした。主人ではなく、私に話があり、社長を引き継いでくれとのことでした。なんで主婦の私がと言ったんですが、あなたが引き継がないなら店をたたむと言われました。主人はサラリーマンを辞めて店に入っていたので、お店をたたむと収入源がなくなってしまいます。古くからいた経理の社員、60歳以上の社員の計5人に辞めてもらうという条件で、私が社長に就任することになりました。ただ、先代はその社員さんたちに感謝の気持ちがあるからと、多額の退職金を支払ったため、私が就任して初めての期は赤字スタートとなりました。

最初はパチンコ屋さんの経営ってどうするんだろうというところから始まりました。でも店の経理をみたときにどうもおかしいと思ったんです。OLの経験があったので違和感は覚えたのですが、簿記の言葉すらわからず、どこがおかしいのかはわからなかった。そこで通信教育で簿記の勉強をしました。

社長を引き継いでから、やはり現場を知らないと、ということで経理をやりながらホールにも出ました。でもパチンコがわからないので、最初はフィーバーするときに台にさす札がどれかもわからず、常連のお客様が親切に教えてくれたこともありました。

現場からの反発はひどかったですね。ど素人の夫婦が突然現場に入ってきたという感じでした。わからない人がいると邪魔だとか。私は子育てや家事をしながらだったので、肝心な時間にいないと面と向かって言われました。でも私はそういうのを気にしない性格なんです。わからないと平気で言えるところがありました。主人も元はコンピューター技師で、パチンコをやったこともなかったんです。釘の学校に通って勉強したりしていました。

先代とはなぜ社長を任せようと思ったといったお話をされたことはありますか?

いえ、特に話したことはないです。叔母としてはとてもいい叔母でしたが、経営者としては疑問に感じることもありました。叱られたこともないし、ほめられたこともなく、何も言われませんでした。でも時間が経ってくると、逆に何も言わずに見ているだけということはすごいことだなと思います。

実は2003年に先代が脳梗塞で倒れたのですが、その後にお家騒動というんですかね、先代と裁判にまで発展してしまったんです。5年間の裁判の間一切会うこともできず、亡くなったことも知らせていただかなかったくらいです。なので先代の想いや考えもまったくわからずですね。

そのような状態でストレスはありませんでしたか?

主人は10年の間に4回程入院したことがあります。口に出してはいわないですが、体に出てしまうようです。私はストレスを感じないんですよね(笑)。小さい頃から親に何事もやるからにはきっちりやりなさいと刷り込まれていたので、自分でやると言ったことに関しては徹底的にやりたいんです。病気ではないですが2時間以上熟睡できないというのはありますよ。閉店後深夜2時くらいに家に帰って、4時に起きてという生活を10年やっていたので。子どもが大学に入るまでは部活があるので朝5時には出て行くんですよ。お弁当も2食作ってとか、4食作ってという感じです。子どもの世話をしてから出勤して、17時くらいにちょっと抜けて買物して夕食の支度をして、21時頃に戻って閉店業務してということをずっとやっていました。

社員さんからの反発があったとのことですが、終息した要因は何かありましたか?

先代の頃からの店長がいる間は、主人が入り口でお客様を出迎えて、いらっしゃいませと挨拶しようと言っても、そんなの必要ないと言われることもありました。店長がそう言えば現場の方も右にならえになってしまいますよね。その店長が辞めたことが、社員からの反発がなくなっていった要因だったと思います。

会社の中が変わっていくターニングポイントとなった出来事は何かありましたか?

経営者が変われば会社が変わるということがありますよね。私はずっとパチンコ屋さんが嫌いでした。引き受けたからにはという思いのみで踏ん張って続けてきました。そんな中で、お家騒動があり、何度も辞めようと思いました。

でもそのときに支えになったのはお客様や社員でした。お家騒動で一時は家から追い出されるかもしれないということもありました。それでも裁判が終わって店に帰ってくると、ネオンがついていて、お客様がいて、社員がいる。それを見たときに本当にありがたいと感じたんです。何としてでもお客様、社員を守りたい。そのためにもこのお店の経営をつづけていきたいと思うようになりました。

その頃からパチンコに対しての意識が変わり、「事業」だと捉えるようになりました。傍からうらやましがられるような生活させていただいて、社員の方やアルバイトさんにも遅延なくお給料を支払うことができていて、そんな事業をやらせてもらっている。がんばってくれている社員のためにこの会社を残していかなきゃと思うようになりました。きれい事ではなく、本当に社員の方に足を向けて寝れないね、とよく主人と話すんですよね。至らない私たちのところでよくとどまって働いてくれるなと。感謝の想いを伝えたいと日々思いますね。

今日は7割くらいお客様が入っていらっしゃいましたが、以前から強いお店だったんでしょうか?

引き継いだ当時は定休日があり、毎週月曜日はお休み、元旦もお休みし、夏は社員旅行で3日間お休みをしていました。開店してからスタッフが台清掃をしたり、電球を換えたりする等、現在ではありえない営業スタイルでしたが、当時も地域密着というか、常連のお客さんに支えられ、3割くらいの営業だったと思います。

そこから今の稼動になるまでに、どのようなことをされましたか?

まずは清潔なお店、遊技環境を整えたいと考え、リニューアルしました。資金調達のために銀行に行きましたが、住宅ローンの知識はありましたが、企業の融資はまったくわからず、「融資を受けたいのですが、如何したらよいですか?」と相談しました。その銀行さんとは長いお付き合いだったので、いろいろとアドバイスして頂きました。経営計画書の作り方もわからなかったので、雛形をみせてもらい、これに書いてきなさいと教えてくださり、なんとか融資していただけることになりました。

しかし、その頃パチンコ業界の景気が下降し始めてきた時期で、業者さんやメーカーさんには「リニューアルの時期ではないですよ。失敗しますよ。」と言われました。でもこのままでは余計お客様は来ない。自分の中ではやるべきだと確信みたいのがありました。結果的には成功しました。お客様も倍増し、その後、4号機が全盛期となり、空きスペースだった2階もスロットコーナーとして増床しオープンすることが出来ました。

また、広告規制前、イベントをする時は、お客様の信頼を得るために、嘘イベントはしないという事を徹底しました。例えば、スロット全台 設定6というイベントがありました。異常なくらいのことをしないとお客様の感動、信頼は得られないと思ったからです。店長はそんなことをしたらとんでもない赤字が出るということを分かっているので、指示通りにやってくれないこともありました。でもやってみないとお客様の反応や、どれぐらいの赤字になるのかわからない。結果は予想以上の赤字でしたが、それにも増して、お客様の信頼を得る事が出来き、その後もお客様の声を大切にする積み重ねが、今に至っていると思います。

なぜ遊技環境を整えたいと考えられたんでしょうか?

パチンコ屋さんのトイレはきれいというのが当たり前の時代に、うちはそうではなかったんです。高齢者のお客様が多いのに、洋便器ではなく和便器だったり、島通路が狭すぎて、一人しか通れないとか、お客様に不快、不便なお店だったんです。お客様を大切にしない営業はしたくないと考えました。自店でできる限りのことはさせて頂く事が、お客様に支持されるお店になると思いました。

今後はどのようなことをやっていきたいと考えられていますか?

3店舗目のパチンコ店を出店したいと考えています。2店舗目の店はグランドオープンでこけてしまったんです。オープンして1ヶ月はよかったんですが、2ヶ月目からどんどん悪くなっていきました。初めて自分が土地から建物まで新規で立ち上げたお店なので特別な思い入れもあり、石にしがみついてでもという気持ちで踏ん張り、何とか、今4年経ち、軌道に乗ってきました。

3店舗目出店は、社員の想いに応えたいというところが強いです。ただ、パチンコ店の出店はかなり初期投資がかかるので、2店舗目出店した時同様、軌道に乗るまでの財務状況の不安定が心配です。現状の2店舗をより強い店にし、利益を社員へ還元する方が良いのではないかとも考えます。

また、異業種の参入もしていきたいと考えています。もともと、創業者の祖父は三岩という大衆食堂を営業していたので、飲食店も事業として出来たらよいかと思います。

勉強会で学ばれたことで、ここをやればいいんだと感じたポイントなどはありますか?

スピードが重要だと思います。これまで情報を得る機会に参加することをあまりしていませんでした。でも勉強会、セミナーなどに積極的に参加することで、情報量が増え選択肢も広がってきました。時流予測が得られ、スピード感を持って時流の先取りを実行していけば、繁盛店となれると感じました。なので勉強会やセミナーへは、私はもちろん、社員も積極的に参加するようにしています。そこで学んできたことで、自店で活用できることはまずはやってみるようにしています。

スタッフの育成面ではどのようなことをされていますか?

人材育成に力を入れないと、もう1店舗というのは絵に描いた餅になってしまう。そこで役職者である、課長、店長の3名を特に意識改革を進めています。課長には経営者発想、経営者感覚が身に付くように、一緒に行動する機会を増やしたり、私が会う方と同席させたりしています。

現在の社員は全員アルバイトから社員になっています。一般的な入社試験みたいなのを経験していません。まず社員を一般社会人としても通用するまでに教育していきたいと思っています。パチンコ屋という社会での社会人ではなく、うちを辞めたときにどこでも通用する、市場価値の高い社員を抱えたいという思いがあります。そのために月1回の勉強会があります。また、朝7時から1時間のサロン会というのを設けて、全社員共有する時間を作っています。

人材育成に力を入れようと思うようになったきっかけはありますか?

セミナーなどで他社さんの話を聞き、うちは全く組織、仕組みができていないということを痛感しました。例えば身だしなみにしてもそうです。寝癖がついたままのスタッフ、髪が不快なほど伸びても切りに行かない。ホールでは制服があるので、出社する時の服装はジャージ(パジャマ兼)とか。計算ドリル、漢字ドリルでテストをしてみたら・・・・・!!明確に会社の方針を伝え、三岩の求める人材に成長して行ってもらいたいと思っています。

現在ご主人である専務との役割分担はどのようにされていますか?

専務は警察、消防、組合関係の会合、銀行さんとのやり取りなど、外部と関わる仕事をしています。私は契約や営業状況の確認、営業会議をしています。また、気になったことがあれば、すぐ確認したいので、外へ出かけます。1日があっという間に終わっています。ここ2年くらいは、仕事中心の生活が本当に充実していて、楽しいです。社員を褒めているときはもちろん、叱っていても、楽しいです。(笑)。

―座右の銘はありますか?

座右の銘はありませんが、人として正しいことをするというのが私の信条です。そうすることで自然に徳を積んでいくことになると思っています。騙されたこともありますし、別事業も失敗して損したこともあります。でも、今営業を続けられているのは、少しづつ積み重ねてきた徳に守られているからだと実感しています。

―最後に業界の方に向けてのメッセージをお願いします。

社会からのパチンコ業界に対する目というのはあまり進歩していないんじゃないかと思います。駐車場の子どもの事故についても、パチンコ店以外でも起きているはずなのに、新聞やTVが取り上げるのはパチンコ店の場合が多いんではないでしょうか?

パチンコ屋さんは脱税しているとか、遠隔操作しているといったイメージを持たれている方もまだ多いです。スタッフがマンションの賃貸契約時に仕事を聞かれ、パチンコ店員と答えると断られるということもまだまだあります。一般社会からのパチンコ店に対する偏見が改善されるように、この業界に携わる人すべてが、手を携えていけると良いと思います。

ありがとうございました!

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