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TOPから学ぶSPvol.5 三恵観光株式会社 杉本潤明社長 前編

top5a 三恵観光グループは、京都府福知山市に本社置く総合レジャー企業である。 手がける事業は、パチンコ、ボウリング、ゲームセンター、飲食、ゴルフ、コインランドリー、不動産、そして国外への進出も視野に入れたメガソーラー発電と多岐にわたる。グループ全体の売上は約100億円(2014年実績)、その中心となっているのがパチンコホール『ダラム800』を運営するパチンコ事業である。 前編ではダラム800の副店長である樋口司浩氏からの視点、そして代表である杉本潤明氏からの視点で三恵観光株式会社がどんな会社なのかを紹介する。 ======= プロフィール profile 杉本 潤明 氏 三恵観光株式会社 代表取締役 大学卒業後は不動産会社、プログラマーを経験し、結婚を機に三恵観光株式会社に入社。 2010年、35歳で代表取締役就任。 『2040年、年商3,000億円企業』を掲げ、主要事業であるパチンコ事業以外に、様々な事業を手掛けている。 =======

“他業種・精鋭”

グループの経営方針は多業種・精鋭。 『ダラム800』は現在1店舗ながら、総台数は京都府北部最大の800台。地域トップクラスの高稼働店と、まさに精鋭店舗と呼ぶにふさわしい。 2013年に中途入社し、現在『ダラム800』の副店長を任せられる樋口司浩さんは、初めて同店を訪れた際、衝撃を受けたという。 「初めて『ダラム800』を訪れたとき、予想以上の高稼働に衝撃を受けました。京都市から距離もある地域ながら、これ程までに多くのお客様を集められることに驚いたのです」 樋口さんが以前勤務していたのは、大阪を拠点とする法人である。2店舗の業績を見る責任者を任せられ、やりがいも大きかったという。しかし、さらなるステップアップをめざし、様々な業務を経験したい、大阪から出て視野を広げたいと考えるようになった。そうして出会ったのが三恵観光だった。 三恵観光への入社の決め手となったのは、高稼働の精鋭店舗で勤務できる点、そしてパチンコ事業以外にも多角的に経営をしている企業である点である。「視野を広げるには最高の環境だと思った」という。 さらに、採用を即決した杉本潤明社長の存在も大きかった。 「重要な判断を即決できる社長がいるなら会社の意思決定が速く、フットワークも軽いのではと思いました。だからといって、決してワンマン経営でもないことを感じました」 こうして入社することとなった樋口さんは、新しい風土に慣れることが重視され、まずは主任としてスタートすることになった。その後入社半年で係長、入社2年後には課長代理(副店長)を任され、現在は新店店長の筆頭候補となっている。 入社から約2年半が経った樋口さんから見た三恵観光は、チャレンジ精神が旺盛で社員からも意見が出しやすく、実現度も高い会社。入社前に感じた意思決定の速さとフットワークの軽さを身を持って経験することができているという。 では、このような社風を実現している、同社代表である杉本潤明氏とはどのような人物なのだろうか。

三恵観光を後世に遺していく

「私が育った町はとても小さかったので、町中の人に“パチンコ屋の息子”だと知られていました。小さい頃から、いろいろと良くないことを言われることも多かったです。道で知らないおじさんから、『お前のランドセルはわしが買ってやったんや』と言われたこともありました。 そのため、パチンコに対して怖いイメージが強かったんです。だから継ぎたくはないと思っていました」 大学卒業後は不動産会社での営業を経験した後、未経験からプログラマーとして転職した。三恵観光への入社は、結婚が機だったという。 「継ぎたくないと思う一方で、私は長男なので心のどこかでは継がなければならないことはわかっていました。結婚を機に今後の人生を考え、入社を決めました」 入社当初はゴルフ事業を任されていた。パチンコ事業を任されることとなったのは父である前社長との会話がきっかけだった。 「ゴルフ事業の報告のために本社に行ったときのことです。父から『この会社の主要事業は何かわかるか』と聞かれました。 私は『パチンコ事業です』と答えました。 すると父は『じゃあお前は、ビジネスとしてのパチンコがわかるのか』と、問いました。 私は『わかりません』と言うことしかできませんでした。 会社の大きな柱はパチンコ事業です。今後会社を継ぐのであれば、主要事業を知らなければ始まらない。 父はそう言いたかったのだと思います。この会話をきっかけに、ビジネスとしてのパチンコについて考えるようになり、パチンコ事業も任されることになりました」 こうしてパチンコ事業も任され、前社長のNo.2として経営を学んでいった。代表取締役に就任したのは2010年、35歳のときだった。前社長が亡くなったことがきっかけだった。 「父が亡くなった後の四十九日の期間は本当に悩みました。父が亡くなる前は自分一人でもやっていけるという変な自信があったんです。でも父が亡くなって、改めて父の存在の大きさに気づかされました。父がいたからこの会社の経営を続けられていたのだと思ったのです。 これから先、自分一人ではやっていけないのではないか。もう会社を売ってしまおうか。私たち家族だけなら、会社を売ったお金だけでなんとか生活していけるかもしれない。 そんなことを考えていました。 でもふとそこで気づいたんです。私は杉本家だけでなく、三恵観光という会社も、後世に遺していくために産まれてきたのではないかと。 こうして私は三恵観光の代表になることを決意しました。今では『2040年、年商3,000億円企業』という目標を持つようになりました」 杉本氏は会社が創業80周年となる2033年、58歳で引退したいとも考えているという。60代になると世の中の流れについていくのが難しくなる。それまでに経営者を10名輩出し、節目となる創業80周年で社長を交代するという目標も掲げている。 「そのために今必要なことは、“伝達力”と、“任せる”ことだと考えています」 ―つづく

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