株式会社ノースランド、紅粉拓也第4エリア長 先達に訊く
紅粉店長本日はどうぞよろしくお願いいたします。まずは入社のきっかけを教えてください。
高校卒業後は自衛隊に入隊し5年ほど勤務していました。その後、運送会社を経て、23才の時にアルバイトで入社しました。私自身パチンコで遊ぶのがとても好きだったので、趣味が仕事になったよくあるパターンだと思います(笑)。
入社した当時のパチンコ店はどのような雰囲気だったのでしょうか?
当時のパチンコ業界はまだ『サービス業』という感じではなかったので、今とは全く違います。スタッフはお客様へ「いらっしゃいませ」ではなく、開店時なら、「おはようございます」その後は、「どうも~」と言うくらいでした。お客様も当時は荒っぽい人が多く朝の開店前やコーナー開店の時には、それはもう修羅場です(笑)。お客様も殺気立っており、それに対応するためにスタッフも真剣でした。
そんな雰囲気なので、スタッフはお客様と対等に対応できないとダメで、役職(主任・班長)やリーダーになれる条件のひとつは、『向こう気があるか!』とか、『元気があるか!』だったと思います。当時、パンチパーマやリーゼンドなどのスタッフが多かったのもそういう理由でしょうね。強く見せないといけないというか、本当にそういう雰囲気だったのです。そんな業界でしたが、お客様もスタッフも荒っぽいところはありながらも今より繋がりが濃く、良い思い出もたくさんあります。
紅粉 拓也/株式会社ノースランド 第4エリア長兼のーすらんどほっと館高岡店 店長。平成3年23歳の時、ノースランドに入社。平成8年に店長就任。以降20年以上にわたって現役店長として活躍。ノースランドの最年長店長でもある。
今とは全然違うんですね。仕事が辛いと思うことはなかったですか?
仕事は大変なこともありましたが、それよりも面白かったです。上司であるA店長や主任に恵まれたことも大きかったと思います。今でも悩んだりした時には、「A店長ならどうするかな・・・」と考える程で、今でもこれからも尊敬している方です。
先にも言いましたが、当時のパチンコ業界に「サービス」という雰囲気はまだありませんでした。そんな時からA店長は、お客様に対して感謝の気持ちを大切にするようにとよく言って、言葉遣いや立ち居振る舞いといったビジネスマナーからお酒の飲み方など、社会人としての基礎を教えてくださいました。また、仕事は任せると決めたら、かなり任せてくださいました。パチンコホールで若い人が働くのはあまり多くなかった時代だったので、期待もあったのかもしれません。その分、とにかくよく叱られました。言われたことを期限内にできていなかったらもう大変で、しょっちゅう叱られていました。今、自分が店長になって、任せることの大変さを知り、当時教えていただいたことを自分が部下に対して教えることも多く、本当に感謝しています。
以前にA店長と、当時のことを振り返って「お前には遠慮なく怒れた」と言われました。それを聞いてすごく嬉しかったですね。男としては誉れです。損得なしに人として付き合ってくれた方です。
紅粉店長が初めて店長になられたのはいつ頃ですか?
入社してから5年経った頃で、28才のときです。私が初めて店長に就任したのは現在のハイパー豊田店で、しばらくして新店を任されました。その頃はベテランの店長が多かったので異例の抜擢でした。実は私が抜擢されたのは、A店長が近くにいてくれたからだと思います。私が店長になってからもよく「調子に乗るな!」「10年早い!」といったことを良く言われましたね。店長になるとかなり決裁権があったので、どうしても天狗になりがちです。例えばメーカーさんが丁寧に挨拶してくれたりするのですが、それに対して「お前にじゃなくて、店に挨拶してくれていることを忘れるな!」と何回も言われました。
A店長は、仕事に対しては本当に厳しい方で、徹夜は当たり前で、A店長が「帰るぞ!」と言われない限り、「お先に失礼します」なんて台詞は絶対禁句であり、当時はどの店舗もそんな感じの上下関係だったと思います。自分の評価は自分がするものでは無い!周りがするものだ!「勘違いするな!」ともよく言われました。でも本当に温い方で、私にたくさんの教えとチャンスをくださった大切な方です。今でも「いつかは、A店長の様な店長になりたい」と思っています。
当時の店舗と紅粉店長
紅粉店長は20年以上にわたって店長として活躍してこられましたが、その理由をご自身ではどのように考えられていますか?
正直よく判りません(笑)大した活躍もしてないですし(笑)あっという間に20年経った様な感じです(笑)。A店長からは「お前は頭が悪いし、要領が悪いから、人の倍は働け!」とよく言われました。仕事は頭で覚えるものではなく「身体で覚えろ!」みたいな感じでしょうか、今になれば判る事ですが、役職は自分から望んだりするものではなく真面目にやっていれば、おのずとついてくる!みたいな感じです。私自身が、もともと野心といいますか、「上にあがりたい!」などの意識みたいなものはあまり持っていなくて、店長には一度はなってみたいと思っていたくらいで、それよりもA店長から「頼むぞ」と一言、言われるのが嬉しかったです。
今はオーナー、専務、常務など上司の方々から「頼むぞ!」と言われたりするのが嬉しいですね。また人を嫌いに思うことや、この人が苦手とか人間関係で悩むことが無く、周りの皆さんに恵まれたからです。確かなことは、ノースランドが私を採用してくれた事が全てではないでしょうか。
これまでのご経歴の中でターニングポイントはどこだと思われますか?
今となって思い出せば本当に恐れ多いことで、若気の至りと言うしかないのですが、店長になりたての頃にオーナーや専務、常務に直談判したことです。
あるとき自分の中で思うことがあり、直接伝えようと本部に行きました。本来であれば直属の上司にまずは伝えるべきなのですが、いわゆる直談判です。会社に対して、それもオーナーや専務、常務に直談判するにはそれなりに覚悟が必要です。腹をくくったというか、退職も覚悟で本部に行きました。それ程の強い想いがありました。
そんな私の話を、オーナーはきちんと優しく聞いて受け止めてくださり、私が本部から出るときには玄関まで見送ってくださいました。恐らくですが「よく言いに来てくれたな、ありがとう」ということだったのかなと自分勝手に思っています。本当に大きい人だなと思いました。
オーナーもそこまで本気で考えて発言してくれるということが嬉しかったのかもしれませんね。
そうですね。あとから聞いた話ですが、私がオーナーに直談判しにいくことを知って、実は周りの方が事前に伝えてくださっていたようです。私は自分の意見をはっきり言う方ですし、部下としては扱いにくいタイプだと思うのですが、経営陣を始め周りの方々はそんな私を受け入れてくださって、本当にいい会社だと思います。
それまでもオーナーを尊敬していましたが、このときを機にさらに尊敬の気持ちが大きくなりました。そのオーナーから“頼むぞ!”と言われたら、何があろうと一生懸命に頑張るしかないですよね。また澤田専務、澤田常務も同様に、話を終え帰る時には玄関や車近くまで見送ってくださり「ありがとう、よく来てくれた!」の言葉を掛けてくれます。
上手く良い例えがみつからなくて話にくいのですが「男なら(神輿)担いでなんぼ!」みたいに思える人に出会ったという感覚です。それがオーナーであり、澤田専務、澤田常務であり、またそういう人に出会えたことは本当に幸運なことだと思います。
紅粉店長は座右の銘はありますか?
いつも思うのは「我」という言葉です。自分が良いと思うことをすることです。周りが反対しても、自分がいいと思えばそれが答えです。いつも答えは自分の中にあるのだと思います。理由はともあれ、我自身が納得出来ないと行動出来ない!といいますか、格好の良い言い方をすれば自分の行動は自分自身に責任がある!みたいな感じでしょうか。
例えが悪いかもしれませんが、私が尊敬する人や大切に想っている人が、仮に周りに何と言われていようが、私はあまり気になりません。肝心なのは、私が決めた「担ぐ人」が一番大切で、言いたい奴には言わしとけ!と思います。
今後の目標を教えてください。
今49歳ですが、あと10年経ってもアッという間だったと言うのかもしれません。日々一生懸命にやっていく事しか無いと思っています。なかなか難しいかもしれませんが、意気で!みたいな仲間を1人でも増やしていきたいです。そういう人がいることは会社にとって大きな強みになると思います。
最後に、パチンコ業界で働く若手のみなさんに向けてメッセージをお願いします。
業界の将来が不安という声もありますが、30年後50年後も残っている業界だと思います。将来を不安に思うよりも、自分の店や自分の会社を残すために自分ができることを考え、まずは目の前の事を一つひとつこなしていくことが大切と考えます。
パチンコ業界は以前と比較すると確かに低迷していますが、例えばファッションの流行のように一周まわってまた同様の服が流行り、業界もいつかまたいい時が必ずくると思います。まだ誕生して約70年の業界ですから、「一周」はしていないと思われます。将来に不安を感じるのであれば、自分の目の前のことにまずは向き合うことが解決策になるのではないでしょうか。