
今週のパック・エックス通信「TOPから学ぶ」は、東真商事株式会社の江川慶脩本部長です。
飲食店での勤務を経て、22歳のときに家業である東真商事株式会社に入社。現在は取締役本部長を務められています。
前編では、東真商事株式会社に入社されるまでの経緯から取締役本部長になられるまでについてお伺いしています。

江川慶脩氏
東真商事株式会社
取締役本部長
イタリアンレストランで3年間の勤務後、都内のパチンコ店で1年間勤務。その後、入社。
現在は「ポパイ」と「スロットポパイ」の2店舗を経営。
―本日はよろしくお願いします。
江川さんは以前は、どのようなお仕事をされていたのですか。
昔は家業を継ぐという意思はなく、学校を卒業してすぐはイタリアンレストランで働いていました。
もともとイタリアが好きで、半年間住んでいたこともある程だったので、イタリアンレストランで働くのはとにかく楽しかったです。
3年間働いていましたが、1度も休んだことはありませんでした。
休日も料理と顧客心理を研究するなど、24時間365日、料理のことしか考えていませんでした。
―実家に戻るきっかけは何だったのでしょうか。
飲食店に勤めてからの2年目くらいまでは担当として皿洗いと掃除、下準備を任されていました。
3年目に入る頃には、たくさんいた先輩を抜いて、料理長と同等の仕事を任せてもらえるようになっていました。
入社した当時は料理の知識、技術は皆無に等しく、ただただ言われたこと、教わったことをこなす日々でした。ですが今でも当時の経験が現在の仕事のベースになっていると感じます。
それは、一つ一つの基本を納得できるものにするまで、継続学習し続けることが何よりも大切ということです。
やりがいはありましたが、周りを見渡せる余裕が出てきた頃、もっともっと上を目指したいと考えるようになりました。そのためにはどんな仕事をするといいのかと考えるうち、経営という仕事に興味を持つようになりました。
―実際に実家に戻られていかがでしたか。
社長である父は、息子だからという理由で跡を継がせたいとは考えいませんでした。なりたいならそれ相応の覚悟と何があっても努力し続けることが必須条件だということでした。
私はそれまでパチンコを一切したことがなかったので、まずは1年間他店舗で働くことになりました。
最初の半年間の仕事は玉運びでした。
パチンコのこと、パチンコホールの仕事のこと、様々なことを学びました。お客様と接すること、ホールが提供すべきものを勉強することができました。
決して楽しいことばかりではありませんでしたが、中身の濃い経験をすることができた一年間だと思います。
一年間の期限で働くことを快諾していただいたホール様には今でも感謝しています。
―1年間の店舗経験後はどのようなお仕事をされていたのですか。
大型改装に入るタイミングだったこともあり、店舗の内外装、設備、機械選定と、人事を担当することになりました。
人事については、挨拶をすること、出社時はスーツを着用してくること、本を読み教養を身につけることなど、基礎的な部分からスタートしていきました。
―スタッフの方々の反応はいかがでしたか。
揉めることも多かったように思います。
ダメなものはダメと、躊躇せずにはっきりと伝えるようにしていました。
事実としては半数近く辞めていきました。しかし、辞められてしまうことを怖がっていては本当に強い組織は作れません。自分が組織としてあるべき姿になるために正しいと思ったことを、きちんと伝えるということを続けていきました。
―スタッフの方が辞めていくことに対して、お父様から何か言われたことはありましたか。
会社組織が人で成り立っているということを身をもって体験している父ですが、特に何か言われたことはありませんでした。
全て自分の責任で行いなさい、という考え方なので、悪いことも、いいことも言われませんでした。
グランドオープンから1年目のときは大幅な赤字を出してしまったのですが、それでも何も言われませんでした。
当時は人の問題もそうですが、企業経営に関しても全く理解が足らず、お客様で賑わっていればそれでいいのだろうくらいに思っていました。投資回収の概念、リスクヘッジに乏しく結果的に大幅な赤字になっていました。
父から経営に関して教えられたことは少なかったですが、その分自らの、失敗から学ぶことは多くありました。
―一番の失敗をお教えください。
人に関することよりも機械や販促方法に関する失敗の方が多いかもしれません。
これはいいと思った台を多めに導入したら、お客様が全くつかないということがほとんどでした。
無知だからこその失敗は数えきれないくらいしましたね。
―ご自身の中で成功への道が見えてきたタイミングはいつでしたか。
日々行ってきたことが成果として表れ始めたのは、グランドオープンしてから1年半が経過した頃です。
エリア内で稼働上位になることでバランスを意識することができるようになった頃です。
また、その頃には従業員への教育も浸透しつつあり、以前と比べて接客やお客様商売であるという意識も向上しつつありました。
―当時のご自身のことを振り返ってみてどのように思われますか。
振り返ってみると、視野が狭く、行き当たりばったりでした。責任者として組織をまとめあげる能力も人徳もなかったように思います。
当社が運営している店舗だけを見て物事を考えていました。
商圏から顧客を奪い合うという意識よりも、自店の顧客ニーズを読み取り、来店頻度を上げるためには何が必要なのかばかり考えていました。
―続きは後編で!