株式会社エンタテインメントビジネス総合研究所、藤田宏社長 TOPから学ぶ前編
パチンコ業界向けのコンサルティング・教育事業を行っている株式会社エンタテインメントビジネス総合研究所の藤田宏代表取締役社長のインタビューです。前編では入社までのキャリアについてお聞きしました。
まずはご経歴を教えてください。
大学進学を機に山口県から上京し、卒業後はコンサルティング会社に就職をしました。いずれ会社を興したいと考えていたので、様々な職業や会社を見ることができるコンサルティングの事業に魅力を感じて、その会社では5年半勤めました。
いつから起業したいと思っていたのですか?
大学に入学する時には既に考えていました。ちょうどコンピューターが出始めた頃で、私は元々理系が得意だったので、初めはコンピューター関係の学科に行こうと思っていたんです。
ですが、実家が鉄工所を経営していたので、親は工学系の学科へ進学して後を継いでほしいと思っていたようでして。ただ、それは絶対に嫌だと思って(笑)起業したいと考えるようになりました。
何かをしたいというよりも後を継ぎたくない気持ちからまずは起業を考えたと。
そうなんです。だからどのような事業内容にするか具体的にはありませんでした。ただ、これからはコンピューターの時代がくると思っていた。でも、コンピューターそのものを作りたいわけではなかったので、何かできるんだろうと考えていました。
そんな中で結果的にどの学部に進んだんですか?
将来会社を作るという前提で経済学部に進学しました。正直、理系の大学生は学業が大変そうだったので、楽をしたいという気持ちもあって文系に進みました(笑)
卒業後のコンサルティング会社ではどのような仕事をしていたんですか?
アクセンチュア株式会社という大きい会社だったので、コンサルタントは300人程いて、製造・流通、金融・サービスの大きく2つのグループに分かれており、私は製造の部門でした。
具体的には、自動車メーカーや精密機器、薬品、おもちゃ等の会社を担当していました。
今とは全く違う業界向けに働いていたのですね。
そうですね。ただ、アクセンチュア株式会社で働いていた時からエンターテイメントの分野には興味を持っていました。
それはどうしてですか?
私が働き始めた頃はちょうどバブル経済で、製造業のお客さんは必要な物を既に持っていてもまた新しい物をどんどん買い替えていくという状況でした。
それに対して、わたしはもったいないという気持ちがあって、どんどん豪華にして、まだ使える物を捨ててしまっていることが少し引っかかっていました。そんな中で、「じゃあ、物じゃなければ捨てる必要も生じないのでは」と気が付きました。
エンタメなら捨てなくても良いので、地球にも優しく、人の心が豊かにできるのはないかと考えました。人が頑張ればどんどん再生産できる素晴らしいものだと思ったんですね。その頃に、エンタメに対して漠然とやってみたいという気持ちが生まれました。なんとなく、物を作って買わせるところから離れたかったんです。
そういったことを感じ始めたのは入社して何年目くらいだったのですか?
4年くらい経ってからですね。所謂、上流工程の、この後この会社がどういう形でどんなことをしていくのかを考える段階を見る事のできるポジションになってからです。
その頃から疑問というか、良い仕事をすればするほど捨てさせてしまうというところにやるせなさを感じていました。
藤田宏/株式会社エンタテインメントビジネス総合研究所 代表取締役社長 上智大学卒業後、大手コンサルティング会社での経験を経て創業メンバーとして株式会社エンタテインメントビジネス総合研究所に入社。1998年に代表取締役社長に就任。パチンコホール店長向けの実務能力検定試験、P能検やわかりやすい本シリーズなどの出版を行っている。
その時に転職を考えたのですか?
そうですね。5年目に管理職に昇進するという話を頂いて、管理職になるのであれば、3年はしっかりと経験を積まないともったいないという状況でした。
しかし、もう3年働くと考えたときに、それは長いなと。今転職するか、3年働くかというタイミングで、知り合いの方に数社紹介してもらい、その中の一社が今のエンタテインメントビジネス総合研究所です。海外事業やエンターテイメント事業の立ち上げという内容でしたが、事業の内容もよくわかっていなかった。
でも立ち上げなので勉強できるかなと考えて入社を決めました。その後にパチンコ業界という事も知りました。最初はそれも知らなかったんです(笑)
藤田社長は創業者ではなく創業メンバーだったんですね!
そうです。創業メンバーは私を含めて6名で、創業者は当時のエース電研のオーナーの方です。パチンコ業界が17兆円産業と言われるちょっと前くらいの時期で、パチンコ業界が産業として非常に大きくなってきたけども、インフラの基盤はまだ全然出来ていないというのがあった。
規模は大きいけどもシンクタンクでデータも出していないし、業界にはまだ学ぶ場がない。その2つをこの会社で変えていくというミッションがあって設立された会社でした。
最初はどのようなサービス提供をされていましたか?
主にパチンコ業界のシンクタンクの調査とコンサルティングです。親会社の組織を一から作り直すことと、パチンコ事業の営業全体のコンサルティングを行っていました。
グループ会社では海外事業の展開など新規事業の部門があったので、その3つの柱でスタートしました。私はコンサルタントの経験を活かしてコンサルティング部門で働きました。
まずは何から始めたのですか?
まずは教育の場を作ることが大きなミッションでした。日本の大学に、学べる場所を一緒に作りましょうと声かけました。でも、大学側は「なんでパチンコ?」という反応で賛同してもらえませんでした。
そこで国内は諦めて、最終的にはアメリカのラスベガスにあるネバタ州立大学で1993年に研究所を設立しました。翌年からそこで3週間程度の研修をやっていましたが、外国に連れて行くわけですから、人数に制限があり、国内でもセミナーをはじめました。
最初はたくさんの壁があったと思いますが、一番大変だったことはなんでしたか?
まず、研修するという感覚が企業側にほぼないという状況でした。当時研修を行う企業も少なかったので、無形のものにお金を投入するというカルチャーがない状態でした。お金を頂くことが一番大変でした。
後編へ続く