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でるでるラッキーグループ、金克彦常務 TOPから学ぶ前編

でるでるラッキーグループは「でるでる」「パーラーキング」の屋号で、栃木県と埼玉県に7店舗を展開している会社。今回は金常務にインタビューさせていただきました。前編では、大手パチンコチェーンからでるでるラッキーグループに入社するきっかけ、そこから取り組んだ接客の基礎などをお聞きしました。

でるでるラッキーグループの創業はいつですか?

祖父がパチンコ店を開業したところから始まります。祖父は1日も休まず働いて、お店を切り盛りしていたそうです。その後、事業拡大を進め、現在の7店舗体制になりました。

金常務は家業を継ぐ気持ちとは別でパチンコ業界に入ったと聞きました。

そうですね。家業を継ぐというよりも、単純にユーザーとしてパチンコが好きだったんですよね。もちろん、親がパチンコ店を経営していたので何となく意識していましたけど、それが絶対だとは考えていなかったです。

初めて働いたパチンコ店は他社だったそうで。

そうですね。大学進学したことをきっかけに横浜で一人暮らしを始めましたが、家から通えるパチンコ店でアルバイトをしました。

そのパチンコ店は、どんなパチンコ店でしたか。

当時では珍しく、礼儀や挨拶に厳しいパチンコ店でした。お客様が来店した時に、大きな声と笑顔で「いらっしゃいませ!」と挨拶するのにはビックリしましたね。

現場はアルバイトが中心になってホール運営していたので、その分、ホール業務だけではなく、スタッフ育成や営業企画など色々な業務に携わらせてもらいました。約2年半勤務しましたがパチンコ業界で働くことに魅力を感じ、この時に将来はこの道に進もうと決めました。

でるでるラッキーグループ、金克彦常_2

金克彦/でるでるラッキーグループ 常務取締役。1978年生まれの40歳。大学卒業後、大手パチンコチェーンに新卒入社。その後、父の経営するでるでるラッキーグループ(有限会社キング商会)に入社。

大学卒業後は?

大手パチンコチェーンに新卒入社しました。最初の配属は、静岡の店舗。木の床で、ネオンも昔ながらの装飾、お世辞にもきれいとは言えない、昔ながらのパチンコ店でした。そこの店長が本当に良い人で、とても可愛がってもらいましたね。

その後、関東への新規出店をきっかけに、私は立ち上げメンバーとして異動しました。そこでは1年ほど勤務しましたね。

でるでるラッキーグループに入社するきっかけは?

当社が会社として仕組み作りに着手することを考え始めたタイミングだったのだと思います。

当時の店舗は完全なる独立採算制だったので、会社の本体機能はあって無かったようなものでした。店長のみが正しい数字を把握していて、ある意味自己申告に近い形。会社の方針やカラーが無く、帰属意識はまるっきり無い状態です。

父も、将来のことを考えると今やらなければという危機感が高まっていたのでしょう。

実際に入社してみて、どうでしたか。

個人的には19歳からパチンコ店で働き、正社員としての経験もあるので、一通りの業務はできる状態で入社していますが、今までの経験を活かしてもっと良くできる部分は多いと感じました。

ただ、私は入社間もなく、社歴で言えば先輩が多いので、変えていきたいことをどうやって伝え、実行して行くかは悩みましたね。

まず何から取り組みましたか。

技術的なことよりもマインドからですね。私たちのパチンコ店が好きで、遊びに来てくれているお客様に対して、接客を通じて感謝を伝えられるように。

アルバイト時代も、正社員時代も、接客は大切で重要だという文化の中育ったので、私ができることは率先垂範することかなと考えて、まずは自分が理想の接客を、自分から始めてみました。

接客の基礎をつくると。

とにかく、今まで学んできた正しいと思うことを実行するのみ。どちらかと言うと押し付けるようなやり方で、「これが出来ないなら辞めちゃえば?」という心の無いことも発言していました。

そんな感じだとギスギスするし、その結果退職する人も出ましたが、今思うともっと対話すべきでした。ただ、当時私も若かったので、自分が先頭に立ってがむしゃらに働き、その背中を見て着いてこれる人だけこい、そんな感じだったと思います。

この時期、まずは相手のことを良く知ろうと、多くのスタッフと対話を重ねて価値観をすり合わせました。その過程で私のことも知ってもらえたので、相互理解が深まり、互いに仕事がしやすい環境が整っていった部分もあります。

営業について教えてください。新店計画はありますか。

引き合いはありますけど慎重になっている、というのが本音です。条件面で折り合えばという感じでしょうか。

今後の営業方針は?

現在の営業地域は長く営んできたからこその優位性もありますので、でるでるラッキーグループを知っている人が多いこの地元で、末永く付き合っていただけるように努力していきます。

そのためにも、ライバル店とは一部共存しながら地域顧客を育成する必要がありますね。競争相手ですけど、お互いがやり合って消耗することが今すべきことではないですから。

北関東は人口減少と高齢化が加速していきます。その中で重要なのは、自らが社会構造の変化に適応する持続発展可能な企業へと進化していくこと、地域やパチンコ業界を衰退させず、互いの営業の相乗効果で地域を盛り上げ、ファンを増やして行くことでしょう。

なるほど

他にも、パチンコホール運営以外の事業も育てていきたいです。昨年は映像作成事業とやきいも販売事業を立ち上げました。映像制作事業は、元々外注していたものの内製化して、さらにそれを外販していく形、やきいも販売は当社の飲食事業のアイドリングタイムを活用することからスタートしました。

事業の多角化は、パチンコ業界に対する危機感もありますか?

急速に時代の流れが変化していく現代において、社業を安定発展させていくためには、そういう潮目でパチンコ業に続く2本目、3本目の柱を作っていかなければなりません。様々な業界に対応できる柱を持っていることは強みにもなりますので。

また、パチンコホールで働いている従業員のセカンドキャリアとしての可能性も感じています。

パチンコホールのセカンドキャリアは各社課題になっています。

そうですね。パチンコホールの設備機器も発達して、今では少ない従業員でも営業ができるようになりましたが、完全に無人化することは不可能だと思います。

入社したスタッフがそれぞれの適所で活躍する場を提供していくことは会社の責務です。年齢を重ねても活躍できる、既存事業に適所がなければ新規事業を立ち上げるなど、それぞれの活躍の場を広げていけるのが理想です。

-後編に続く