パックエックス通信

vol95 株式会社タツミコーポレーション 木下成哲社長 前編

タツミ様前編

本日は株式会社タツミコーポレーション 木下成哲社長に登場いただきました。
アルバイトとして入社し、代表取締役に就任された木下社長。
前編では入社当時に苦労したこと、社長に就任に至るターニングポイントになった出来事などを伺いました。

木下 成哲 氏
株式会社タツミコーポレーション
代表取締役社長
1995年株式会社タツミコーポレーションにアルバイトとして入社。
店長、統括店長、常務取締役を経て、2014年2月に代表取締役社長に就任。
現在は近畿を中心に27店舗を展開する。
タツミ様プロフィール

―木下社長、本日はよろしくお願いいたします。まずは入社の経緯から伺いたいと思います。

元々パチンコは大好きで、お金がなくてもつい足を運んでしまうくらいでした(笑)。
接客も好きだったので、パチンコホールかガソリンスタンドで働きたいと思って仕事を探しているときに、たまたま兵庫県の加古川店のオープニングスタッフの募集を見つけたのがきっかけです。
そうしてアルバイトとして入社したのが、1995年。18歳の時でした。

―御社に入社を決めた理由はどのようなことだったのでしょうか?

会社の考え方に共感したからです。

その頃の弊社は、新卒第一期生を採用し、より企業として発展していくため、接客に力を入れようとしていました。

当時のパチンコホールといえば、お客様よりも店員の方が力関係は上。
お客様が「暑い」とおっしゃっても、「それなら自分でエアコンの温度を下げてくればいい」なんてことを平気で言うような店員がいるのも普通でした。

私は接客が好きということもあり、当時からそんなホールの雰囲気を変えたいと思っていました。本気で接客を良くしていこうと考えているこの会社ならそれが実現できると考え、ここで頑張って行きたいと思いました。

―入社してみていかがでしたか?

ありがたいことに、アルバイトの私も、新卒一期生の皆さんと同じように扱っていただき、たくさんのことを教えていただき、任せていただきました。
ですから私も社員の皆さんに負けないくらいの気持ちで一生懸命取り組んでいました。

アルバイト時代から接客向上のための声掛けマニュアルの作成を行ったり、社員の方、アルバイトの方々とビジョンを語るということもよくしていました。

―どのようなビジョンを語られていたのでしょうか?

兵庫県で一番というのは当然で、さらに会社を発展させていくためには接客の向上に加えて、ブランディングにも力を入れるべきだという話をしていました。

最初は「また木下がでかい声で何か言ってるな」というくらいにしかみなさん思っていなかったと思いますが、徐々に私のビジョンに共感してくださるようになりました。

―共感されるようになるために、何か工夫されたことはありますか?

入社当初は私が一番年下だったので、年上の方々にどのように想いを伝えていけば良いのかということにはとても悩みましたが、声をかけて、話し合うということはよくしていました。
それから、ビジョンを語るだけでなく自ら実行するということをしていました。

私のモットーは「背中を見せる」なんです。
私自身ができることをひとつずつ実行していく姿を見て、徐々に私に理解を示してくれるメンバーが増えていったのかな、と思います。

―「ブランディングに力を入れるべきだ」と思われたきっかけは何かあったのでしょうか?

アパートを借りようとしたとき、勤務先がパチンコホールだということで最初は断られたんです。
ですが、大家さんに「どこのパチンコホールなの?」と聞かれ答えたところ、「ガイアさんか、そこならいいよ」と部屋を貸してもらえました。
このとき、ブランド力=信用力であることを実感したんです。
お店の評判がよくなれば、さらにお客様が増えますし、働いているスタッフの社会的な信用力も高まるのだと思いました。

―代表取締役には2014年の2月に就任されたとのことですが、それまでのご経歴を伺えますか?

最初の加古川店で社員登用して頂き、5年間勤務しました。その後板宿東店に異動し、店長に就任しました。そこでは約6年間勤務し、その後は統括店長を経て取締役に就任し、そして現在に至ります。

―アルバイトから代表取締役というのは、珍しいケースだと思うのですが、その理由はどこにあると社長は考えていらっしゃいますか?

自分がやりたいことを全力で行い、結果を出してきたからだと思います。
アルバイト時代から自分のやりたいことはほとんどやらせていただいていました。
自分が言い出したことなので、途中でやめることもできないし、失敗もできません。「木下に任せたらお客様がたくさん来てくださる」と思ってもらえるように、いつも必死でしたし、全力で取り組んでいました。とにかく現場が好きで、タツミのモットーである「現場第一主義」でやっていました。

イベント規制が入る以前は毎日イベントを開催していたので、今考えたらたくさんのことをやらせていただきました。
そこで毎回しっかり結果を出していったから、認めていただき、今の自分があるのかなと思っています。
月1回行われる店長会議では、会長自ら「お前ら、木下のやっていることを見に行ってみろ」と言っていただくこともありました。

―社長に選ばれた直接のきっかけのようなものはあったのでしょうか?

2012年にミクちゃんアリーナ学園南店のグランドオープンを任せていただいたことだと思います。
それまでもグランドオープンに携わらせていただいたことはありましたが、大きな方向性は会長が決めていたので、1からつくらせていただいたのは初めてのことでした。会長から「私は一切口を出さないから木下が主導してやってくれ」と言っていただきました。
今思えば会長は私にすべて任せることで、社長としてやっていけるのかどうかを見極めていたのではと思います。
そして完成した店舗を見た会長は、「俺やったら分煙もしないし、こんなお店づくりはしない。もう世代交代やな」と言ってくださいました。

それからは、私が出した稟議を全て通してくださるなど、任せて頂けることがどんどん増えていきました。

―会長は次に社長を任せられる方の育成に力を入れていらしたんですね。

そうですね、企業を存続させるには時代に合わせた柔軟な考えと勢いを持つ若い力が必要不可欠です。会長は数年前から会社の若返りを考え、若手の育成に力を入れていらっしゃいました。

―社長に就任されたのはどのようなタイミングだったのでしょうか?

ある日突然、会議の場で経営は全て私を中心にしていくと発表があり、社長に就任することになりました。

会長は、「自分が先頭に立つのではなく若い力に任せた方が会社は飛躍すると判断し、社長を退く決意をした」とおっしゃっていました。
そう考えると社長交代はいいタイミングだったのだと思います。

―社長に就任された時の心境はどうでしたか?

会長は商売にも人にも会社にも厳しい方です。
そんな会長に認められ、そして社長に選んでいただけたことがとても嬉しかったです。

全社員・全スタッフだけではなく、その家族も守っていくために、この勢いのまま邁進しようと決意しました。

これから会長から社長としての仕事をすべて教わり、会長の意思をしっかり汲み取り、さらに精進していきたいと思います。

後編(5/21up)へ続く!

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