パックエックス通信

vol94 株式会社シティコミュニケーションズ 三田大明社長 前編

シティ様バナー前編

今回は株式会社シティコミュニケーションズの三田 大明社長に登場いただきました。
前編では新規事業の立ち上げでのお話、社是に込められた想いを伺いました!

プロフィール
三田大明氏
株式会社シティコミュニケーションズ
代表取締役社長
1995年株式会社セガ・エンタープライゼス入社。1998年有限会社ザ・シティ入社。2000年には漫画喫茶のチェーン展開のため有限会社ディスクシティエンタテインメントを設立、代表取締役に就任。
2002年株式会社シティコミュニケーションズ代表取締役就任。
現在はパーラー事業部・ネットカフェ事業部・おもてなし事業部(飲食事業、スパ事業、ウェディング事業)・デザイン事業部・スマ-トフォンアプリ開発事業部・ネットオークション事業部・不動産事業部と幅広い事業内容を関東中心に展開する。

シティ様プロフィール

―三田社長、本日はよろしくお願いいたします。まずはこれまでのご経歴から伺いたいと思います。

1995年に新卒で株式会社セガ・エンタープライゼスに入社しました。
昔から幅広い意味でのエンタテインメントに興味があったのですが、セガに入社しようと思った一番の決め手は、セガの発想力に惹かれたことでした。

当時のセガは、「全国約300箇所に日本初のゲームのテーマパークをつくる」という目標を掲げていました。それが現在のジョイポリスなんですが、その頃は今でいう「テーマパーク」というものはまだ一般的ではなく、時代に先駆けた発想にとても魅力を感じました。

―株式会社セガ・エンタープライゼス様ではどのくらい働かれていたのでしょうか?

約3年間勤務し、最終的にはゲームセンターの店長をさせていただきました。
その後、自分でゲームセンターを立ち上げるために、仲間を募り、独立しました。

ですが、その頃世の中ではゲームセンターの売上が低迷していました。
ゲームセンターのユーザーはどこに流れているのか調べていくうち、名古屋で漫画喫茶が流行っているという話を聞いたんです。

そこでさっそく名古屋に視察に行きました。
一晩かけてお客様の流れや店舗の様子を視察したところ、夜中でも客足は途絶えず、しかもスタッフはアルバイト1人。店舗内をみたところ、初期投資もさほどかからない。客数から大体の売上と経費を計算してみると、その利益率の高さに驚きました。

まだ全国的にはメジャーではないこの事業形態を、今取り掛かれば大きな収益を生むのではと考え、漫画喫茶を始めることにしました。

―漫画喫茶立ち上げの際に、一番苦労されたことはなんですか?

やはり一番は資金調達です。
初期投資の額面としてはそれ程多くはありませんでしたが、当時は漫画喫茶というビジネスモデルはまだメジャーではありませんでした。そのため事業計画書を銀行に出してもなかなか貸してはもらえません。

事業計画書自体作成するのは初めてで、何度も書き直し、最終的には3回目でようやく貸してもらえることになりました。
しかし、それは父に保証人になってもらったということが大きかったです。

―お父様は漫画喫茶を始めることに対しては賛成されていたのでしょうか?

いえ、必死に頼んでようやく保証人になってもらったくらいなので、賛成というよりはあきらめたんだと思います。私がやりたいと言ってきかなかったので。
銀行側もこれまでの父との付き合いもあったので、渋々ではありますが判子を押してくれました。

―経営を始めてみていかがでしたか?

立ち上げから1年で黒字化させることができました。
右も左もわからず息をつく間もない日々でしたが、みんなで頑張ったことが形になったということはなんて気持ちいいんだろうと感じました。
私についてきてくれた仲間たちにとても感謝しましたし、仲間を守るためにも夢を叶えるためにも、絶対に成功させなければという想いがありました。

その当時のことは私たちの「物語」として、新卒採用の時もお話ししています。
現在では、漫画喫茶からネットカフェに進化を遂げ、チェーン展開を行い、池袋には世界最大級の店舗を構えるまでになりました。
ですが、それは最初の一店舗の努力があったからこその物語です。
苦労して歯をくいしばって、小さな成功を重ね、最後に花開く快感。
うちの社員には自分で人生を切り開き、全身で生きていることを実感するその瞬間を感じて欲しい。自分の物語は自分が盛り上げる、自分で完結する、自分で叶えるということを常に話しています。

―では次に御社の社是についてお伺いしたいのですが、なぜ「KEEP CHALLENGING」という言葉を選ばれたのでしょうか?

社是が経営者の想いや魂であるなら、この言葉しかないと思いました。
この言葉が生まれた背景には、バブル期の父の姿を見ていた経験が大きいと思います。

バブルが崩壊した頃、私はまだ高校生でした。
その頃父が経営していた会社は、土地と株で繁栄した会社でした。
ですから、バブルという時代の影響をもろに受け、多くの方々から手のひらを返されたような対応をされました。

苦しみながらも耐える父の姿をずっと見てきて、私も幼いなりに、自分がいつか経営者になるとしたらどういった経営者であるべきかを考えるようになりました。

そうして辿りついたひとつの答えが「KEEP CHALLENGING」だったんです。

世の中は振り子。良いときも悪いときもある。
勝ち続けるために必要なことは、運ではなく、努力をし続けること。
良いときは驕らず、悪いときは絶対にあきらめない。それが大切なんだと思いました。

苦しむ父の姿を私は一生忘れてはいけないと思っています。自身が経営者となった今も、なぜこの社是にしたのかをいつでも思い出せるよう、常に目に見える場所に社是を掲げるようにしています。

 

―後編(5/7up予定)につづく

 

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