パックエックス通信

vol106 臼井産業株式会社 波山鍾範社長 前編

臼井産業さまバナー前編

今週のパック・エックス通信は、臼井産業株式会社の波山鍾範社長です。
「昔から事業をやりたいと考えていた」と話す波山氏は、学生時代にボストンに留学し、帰国後、美容皮膚科クリニックを起業した経験のある、やり手の若手社長。
前編では、パチンコ業界で働くまでの経験や経緯についてお聞きしています。

 

臼井産業さまプロフィール波山 鍾範氏
臼井産業株式会社
大学卒業後、美容皮膚科のクリニックを起業。4年半前に家業である臼井産業株式会社の代表取締役社長に就任。現在は、新規事業も手掛けている。

臼井産業株式会社
昭和50年7月設立。東京都八王子市と横神奈川県横浜市で1店舗ずつ経営。
パチンコ以外にも福祉事業を手掛ける。

―本日は宜しくお願い致します。まずは、入社までの経緯についてお聞かせ下さい。

入社をしたのはちょうど4年半前になります。それまでは、ピーリングや脱毛などを行う美容皮膚科を経営していました。

大学時代は、かねてからの希望だったアメリカのボストンに留学しました。実はそれまでいろいろとあり、親には随分と反対をされましたが、懇願し、何とか許しをもらっての留学でした。

―ボストンではどのような暮らしをしていたのですか。

ボストンにある大学の機械工学部に4年間通い、自動車や航空機に近いハードウェアの勉強をしていました。

休日は、大学の近くにレッドソックスの本拠地であるフェンウェイパークがあったので、野球観戦によく行っていましたね。当時は野茂投手がレッドソックスに在籍していたり、イチローがメジャーデビューをしたりと、日本人選手が大活躍していた時だったので、とても楽しかったです。TBSの報道陣が球場に来ていて、インタビューを受けたことなんかもありましたよ。球場のスクリーンいっぱいに私が写し出されていたので、緊張して上手く話せませんでしたけど(笑)。

―4年間の大学生活を終えた後はどのようなことをされていたのですか。

親戚に医師がいるのですが、ちょうどその頃、その人と美容皮膚科の経営を始めようという話が持ち上がったんです。それでその道に進むことを決め、日本に戻ってきました。

―もともと医療系のお仕事に興味はあったのですか。

正直、全くありませんでした。ただ、ビジネスとして面白そうだなと思ったんです。
当時、ピーリングや脱毛などのクリニックが流行り出していたので、これは儲かるんじゃないかと思いました。
昔から事業を起こしたいという気持ちがあったことも、開業するきっかけでしたね。

―そこでは、どのようなお仕事をされていたのですか。

医師免許がなければ行えないこと以外の全ての業務を行っていました。管理、経営、人材募集、広告、経理、レセプトなど、本当に全てですね。

もちろん、それまでにそのような業務に関することは一切学んでこなかったので、全て手探りでした。
最初は、帳簿の付け方すら分からなかったですからね。日々の業務に追われながらも、勉強をして確実にできることが増えていっていきました。あの時の経験は、自分自身を大変成長させてくれたと思っています。

―分からないことだらけで、毎日大変だったと思うのですが、中でも特に厳しかったことは何でしたか。

当たり前かもしれませんが、計画表を作ってはみたものの、実際に数字通りに事は運びませんでした。準備期間であったオープン前の3カ月間は、休みなく毎日深夜2時近くまで仕事しなければならないくらい、本当に大変でした。

それと、パチンコ店と違って、グランドオープンだから長蛇の列ができるというわけではありません。
オープンしてからの半年間は赤字続きでなかなか目に見えた成果が出ず、毎日辛かったです。ですが、徐々にではありましたが、半年後には黒字になり、最終的には利益も多く出るようになり、とても嬉しかったですね。

他にはスタッフとのコミュニケーションの面で苦労しました。
女性が多い職場だったのですが、私は昔から女性の扱いが苦手で。男女関係ないかもしれませんが、先陣に立って指揮を執ることの難しさを教わった時期でもありました。

仕事ですから大変なことや辛かったことの方が多かったです。ですが、それでも事業が育っていくことの喜びの方が大きかったので、乗り越えて来ることができたと思っています。

―4年半前に家業である臼井産業株式会社の代表取締役に就任されたとのことでしたが、なぜ立ち上げた事業を辞めて、継ぐことを決意したのでしょうか。

一言で言ってしまえば、やらざるを得なかったからです。

先代の体調が悪くなり、指揮をとれる人が誰もいませんでした。それに加え、経営状況も思わしくなく、誰かがやらなければいけない状態でした。

それまで父の跡を継ぐ気はありませんでした。ですが、その時は経営を立て直すことができるのは自分しかいない、やるしかないと思い、決意を新たに臼井産業株式会社の代表取締役に就任することを決めました。

―続きは後編で!


 

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