パックエックス通信

vol104 株式会社イチバン・コーポレーション 赤嶺英光社長 前編

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今週のパック・エックス通信は、株式会社イチバン・コーポレーションの赤嶺英光社長です。
「店長は動物園の園長」のようだったと当時を振り返る赤嶺社長。
前編では中途入社後に関わった新卒1期生の教育、採用、制度の整備などについてお聞きしました。

 

プロフィル赤嶺 英光氏
株式会社イチバン・コーポレーション
代表取締役社長
大学卒業後、パチンコホールに就職。その後1994年にイチバン・コーポレーションに転職。2014年に代表取締役社長に就任。

株式会社イチバン・コーポレーション(http://1ban-grp.com/index.html)
1953年設立。ICHI-BANの屋号で10店舗を展開(滋賀9店舗、京都1店舗)。
滋賀県内のアミューズメント企業として、トップクラスの店舗数と規模を誇る。

 

―本日はよろしくお願いいたします。まずはパチンコ業界に入るきっかけを教えてください。

私は九州出身で、大学は地元の学校に通っていました。地元は就職先が少ないんですね。
公務員や銀行員の職はありますが、どちらも私の柄じゃない。それ以前に勉強してないんで・・・(苦笑)。
このまま地元にとどまるかとも考えましたが、より大きな可能性を求め県外に行きたいと考えるようになり、県外でも事業を行っている会社に就職することにしました。それが1989年のことです。

その会社に入社後、数ある部門の中から企業側の都合で私はパチンコ部門に配属されることになりました。当時はパチンコの経験もなく、まったく興味もありませんでした。ですが配属されるからにはパチンコのことを知っておかなければいけないと考え、同期に教えてもらいながら初めてパチンコで遊んだことを覚えています。

―イチバン・コーポレーション様に入社される経緯はどのようなものだったのでしょうか。

27歳の時、別の業界に転職しようと考えるようになりました。
理由はこの業界の将来に不安を感じるようになったことです。
ですが当時の部長に「その歳で辞めてしまうのはもったいない」と引き留められ、知り合いの会社を紹介するからと、いつの間にか先方と連絡を取って面接の段取りを組まれていたんです (笑)。
それがイチバン・コーポレーションでした。

特に私がこの業界に不安を感じていたのは、当時のパチンコ業界の人の部分でした。
面接で現在の会長と会うことになったのですが、きっと業界人という感じの強面の人なのだろうと想像していました。しかし、実際にはいい意味でとても普通のビジネスマンの方が来られました。

さらに話していくと、他と違ってパチンコ店らしくないと感じるところが多くありました。ここでならこれまでとは違うパチンコホールをつくることができるかもしれない。そんなチャンスを感じ、とりあえず3年くらい働いてみようかいうことで入社を決めました。それが今やもう20年近くになっていますね。

―イチバン・コーポレーションに入社されてからはどんな業務をされたのでしょうか。

私が入社した1994年はちょうど新卒1期生が入社してくる年でもありました。
私は当時28歳になったばかりだったので新入社員と年が近いということもあり、新卒1期生6人の教育を任されました。

―6人全員というと大変だったのではないでしょうか。

そうですね、一からパチンコについて教えなければいけないので大変でした。
ですが私の目の届くところにしか置けませんでした。
当時はどうしても悪い噂や話が耳に入ってきてしまうような状態でしたから…。
新卒社員たちには、「そういった現状を変えていくために新卒を採っていて、会社を変えてから新卒を入れるのではなく、君たち新卒が会社を変えていくのだ」という話をずっとし続けましたね。

彼らは教えたことをとにかく素直に真面目に取り組んでくれました。例えばお客様に店内のマナーを守って遊んでもらうように、と指導していたので、違反をしているお客様がいたらきちんと注意しに行きました。お客様に怒鳴られて、おどおどしながらも注意をするのです。
店内のあちこちでそういったことが起こるので、私はその対応に追われていましたね。

それに加えて機械トラブルの対応も私がやらなければいけなかったので、私は工具を持ちながら休憩も取らずに店内を走り回るような日々を送っていました。

大変でしたが、新卒1期生のうち1名は今でも管理職として会社に残ってくれていますし、他にも何人かはこの業界で頑張っているようです。

―新卒社員の入社で社内に変化はありましたか?

店舗もお客様も大きく変わっていきました。
それまでルール違反をしていたお客様も、違反をするたびにいちいち注意されるので居心地が悪くなったのか、来なくなりました。
そのうちお客様からあのスタッフがんばっているね、といったことを言って頂けることも増えていきました。
やはり店の質によってお客様の質も変わるのだということがわかりましたね。

新卒社員を育てるのは確かに大変ではありましたが、彼らが2年、3年目になる頃には、新しく入ってくる新卒2期生、3期生の面倒を見るようになり、随分会社の雰囲気も変わりました。

―赤嶺さんが入社されて、新卒社員の教育以外にはどのようなことをされていましたか?

採用と、制度の部分を整えることです。
20年前のパチンコ業界はとにかく今では考えられないことが普通に行われていました。
店長は動物園の園長のようでしたから(笑)。給料の前借りも多かったですし、様々な問題がありました。

人の採用に関しては、それまでは人が足りないので面接に来た人は全員採用しているような状況でした。だからまずはそれを辞めさせました。
「今日面接してほしい」と電話してくる人たちは大抵、お金に困っていて、その日の宿にも困っています。つまり訳ありの人です。
だからだいたい駅から電話帳を見て適当に電話してきている。電話口から電車の音が聞こえるからわかるんですね。
そういう人たちはうちの会社に入りたいなんて言う気持ちは全くなくて、パチンコ店に行けば社宅があって、まかないがあるから来てるだけ。怪しいと思う人は3日~1週間くらいあけて、2、 3回面接をしました。そうやってしていくうちに徐々に採用の質はよくなっていきました。

給料の前借の問題では、まずは前借のハードルを高くすることから始めました。最初の頃は面談も行っていました。用途を詳しく聞いてから前借させるのです。そうすると手続きが面倒なので、前借をする人は減っていき、それでも前借がやめられない人は辞めていきました。
前借をいきなり廃止するのは難しいので、3か月後に廃止すると事前告知を行いました。

そうやってどんどん変化を起こすことで、社内では不満も出ましたが、続けていけばそれが当たり前になっていきました。

-続きは後編で!


 

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