大分に本社を置くビープラスグループさんが経営する7店舗は、東京、神奈川、大分、熊本、宮崎、沖縄2店舗と広範囲です。
1年程前には企業コンセプトを明確化し、ロゴも改訂。日々進化を遂げる企業さんです。
今回は代表取締役社長の岩田憲行氏、取締役副社長の岩田直樹氏にお話を伺いました!

profile

Profile
岩田憲行氏(写真左)
ビープラスグループ株式会社
代表取締役 社長
20歳のときにビープラスグループ入社。ホール周りからスタートし、リニューアル店の店長を務めた時期も。平成18年に代表取締役社長就任。現在も営業面を統括する。

岩田直樹氏(写真右)
ビープラスグループ株式会社
取締役 副社長
大学卒業後、ビープラスグループに入社。人事、財務面を統括する。2016年、立教大学大学院MBA(修士)を取得。

本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご経歴からお伺いしたいのですが、岩田社長はどのような経緯で入社されたのでしょうか?

岩田社長-
アメリカ留学中の20歳のとき、当時社長だった父から帰ってくるよう言われました。なぜそのタイミングだったのか、きちんと聞いたことはないのですが…。

アメリカの大学を卒業したいと考えていたので名残惜しい気持ちはありました。ですが、父の仕事を手伝いたいという気持ちはあったので帰国しました。
入社したのは帰国後すぐですね。

岩田副社長はどのような経緯で入社されましたか?

岩田副社長-
私は大学卒業後に入社しました。
その頃ちょうど新卒採用を開始していて、私が入社したのと同じタイミングで新卒第一期生が入社しました。
ですから、私とは同期入社になります。その中から現在は取締役経営管理部 部長として活躍してくれている人もいます。

岩田社長は入社後どのようなお仕事をされていましたか?

岩田社長-
明野店の屋号が変わったばかりの時だったので、ホール周りなどの手伝いをしていました。

その仕事を3~4カ月続けた後、当時経営していた販社で1年ほど勤務していました。
再びパチンコホールの仕事をするようになったのは、リニューアルする店舗があるということで、その店長になったことがきっかけです。それが22歳のときです。

店長を任されたときは不安の方が大きかったです。経験したことがない仕事ばかりで大変でした。毎日朝から晩まで店舗にいて仕事をしていて、体力的につらかったですね。

役職者はいなかったので、あらゆることを自分でやらくてはいけませんでした。当時はまだマイクパフォーマンスがあったので、閉店後にマイクパフォーマンスの練習もしていました(笑)。

その後、課長、部長へと昇進していき、管理する店舗が増えていきました。
一番多いときで3店舗ですね。閉店後の作業を3店舗行っていると明け方になるので、帰って寝て、午後また出社してという生活です。それを30代前半くらいまで続けました。

ただ、大変ではありましたが、楽しかったことの方が多いです。営業面を管理していたのですが、営業は結果が目に見えてわかりやすいですよね。自分が行ったことが結果になって表れるとうれしかったし、楽しかったです。

社長になられたのはいつ頃ですか?

岩田社長-
平成18年なので、10年前です。
その頃には父は社長を引退して、私の叔父が引き継いでいました。ですが叔父の体調が悪くなったため、父から社長を引き継ぐようにと言われました。

それがきっかけで私が社長となり、弟が専務(現在は副社長)になりました。
以前から経営の実務的なことは行っていたので、それ程問題なく、引き継ぐことができました。

御社は沖縄にも出店されていますが、沖縄での経営はどうですか?

岩田社長-
沖縄は文化や言葉も本土とは異なる部分が多いですし、特殊な地域だと思います。

ですから、本土で成功した戦略が成功するとは限らないですし、沖縄ではその土地独自の戦略を立てていく必要があると感じています。

やはり地元密着な部分が強いですし、地元の方に受け入れてもらえるまでには時間がかかります。
当社は7年前に出店しましたが、最近ようやく受け入れてもらえるようになりました。

-後編につづく-

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