パックエックス通信

ヒューネッツジャパン株式会社、清水博文常務 TOPから学ぶ

清水博文/ヒューネッツジャパン株式会社 常務取締役。大学卒業後、大手パチンコホールにて2年間勤務。その後父が経営するヒューネッツジャパン株式会社に入社。沖縄、福島での勤務を経て、東北エリアのエリア長に就任。現在は仙台に常駐し、会社全体を見ている。

今週のパック・エックス通信は、ヒューネッツジャパン株式会社の清水博文常務です。
お父様の影響で学生時代からパチンコホールで働くことを意識し始めた清水常務。ヒューネッツジャパン入社から、東北出店の頃のお話、東日本大震災での経験、人材教育に対するお考えをお伺いしました。

本日はよろしくお願いします。まずはご経歴からお伺いしてもよろしいでしょうか?

私が高校生の頃に、父が独立して沖縄でパチンコホールの経営を始めました。当時は愛知県豊橋市に住んでいたので、父は単身赴任でした。

パチンコホールで独立されるという方は珍しいのではないですか?

そうですね、すごいことだと思います。独立前に働いていたホール企業のオーナーによくして頂いたそうで、今でも尊敬している人物として良く話を聞かされます。

パチンコに対して抵抗はなかったですか?

なかったですね、子供のころから父がパチンコホールで働いていたので、なんとなく自分も将来はパチンコホールで働くのだろうと思っていました。いずれ父の跡を継ぐことになるだろうと考え、大学卒業後は全国チェーンのパチンコホールに入社しました。そこで2年間ホールスタッフとして、ホールでの様々な仕事を学びました。

ただ、パチンコや、会社を継ぐことへの抵抗はなかったですが、父の会社に入社してからは、喧嘩ばかりでしたよ(笑)。今は会社全体のことを任せてもらえるようになりましたし、ぶつかることは少なくなりました。

現在の会社に入社後はどのようなお仕事をされましたか?

まずは一般職からのスタートでした。当時は3店舗で、私が配属された店舗は、店長と役職者でやっとお店が回っている状態でした。私が働いていたホール企業は、大手ということもあり、組織が随分整えられていました。一方で沖縄の店舗はまだまだ発展途上にあり、これまでとの環境の差に戸惑いがありました。大手で学んだことを活かそうとしましたが、最初はなかなか受け入れられず、もどかしい思いもしました。

でも結局は認めてもらうためには実力をつけるしかありません。社長というのは出来る人がしなければいけないと思います。社長の息子ということだけで社長になっても出来る人間でなければ会社をつぶしてしまいます。社長とは出来る人しかしてはいけないものだと思います。それだけの責任を背負う訳ですから。

社長になりたいというよりも、父が立ち上げたこの会社を引き継いでさらに発展させたいという想いの方が強いです。だからこそ、人の倍やって普通だと思っていましたから、とにかく必死に働きました。

実は班長になる昇進試験で一度落とされたんですよ。悔しかったですね。評価には特別扱いは一切なく、他の社員と同様に、実力がついたら次のステップに、というように昇進していったので、店長になったのは入社から5年後のことでした。

ただ、やりたいということはチャレンジさせてもらえる環境でした。沖縄とはまた違う土地で働いてみたいという想いから、郡山の店舗を志願して異動したこともありました。本社の営業管理の仕事もしましたし、様々なことを経験し、勉強させてもらいました。

これまでで最も苦労されたことは何でしょうか?

仙台に出店した頃でしょうか。今から5年程前に、別の企業が経営をしていた店舗を買い取るという形で仙台への出店が決まりました。

誰が東北エリアをみるのか、となったときに、父から私が行くように言われました。当初は一人でということでしたが、さすがに厳しいだろうということで、もう一人社員を連れて行きました。東北への出店は急な話だったので、経営する企業が変わるだけで、店舗名や設備、スタッフもそのまま。1日も営業を休むことなく、リスタートしました。

私は東北エリアのエリア長という役職でしたが、元からいたスタッフたちも戸惑いはあったと思います。私もエリア長という役割も初めてですし、東北という土地のこともよくわからない。手探りのような状態で、たくさん失敗もしました。

その中でもやはり、元からいたスタッフたちとのコミュニケーションの面では苦労しました。今思えば、もっと相手への気遣いの心を持つべきだったなと思います。まずは一緒にやっていこうという気持ちをつくることが大切だと学びました。準備をする時間がほとんどない状況ではありましたが、やはり一緒に働いていく人というのは重要です。これから私がどんな想いを持ってこの店舗を経営していきたいと考えているか、これからも協力してほしい、ということをきちんと伝える場があればよかったと思います。

東北エリアに出店し、どういったきっかけでうまく行き始めましたか?

大きなターニングポイントがあったというよりは、繰り返しだと思います。経営者が変わると、店舗の方針も変わります。私の考えを繰り返し伝えていくことで、理解をしてもらえるようになり、徐々に雰囲気は変わっていきました。私自身、相手への気遣いをより意識するようになったのも大きいかもしれません。

でも東日本大震災は、大きかったかもしれませんね。緊急事態が起きると、普段は見えないようないろいろな部分が見えてきます。店舗の運営にとってもですが、私自身のその後の人生にとっても、ターニングポイントだったのかもしれません。

当時はどのような状況だったのでしょうか?

女川店は鉄骨だけという状態になってしまいましたが、他は全て大丈夫でした。当時は物が不足していましたが、当社の場合は他のエリアにも店舗があるので、そこから物資を届けてもらい、3月中にはすべての店舗の営業を再開しました。

営業を再開すると、「待っていました」とばかりにたくさんのお客様が来店してくださいました。お客様同士でお互いの無事を確認し合う光景も見られました。パチンコへのバッシングもありましたが、再開を喜んでくださるお客様がいるということは、私たちが地域社会で必要されていることなのだ、と改めて感じることができました。

パチンコホールを経営するという魅力を、どんなところに感じられていますか?

パチンコという業態は他にはない魅力があると思います。

ひとつは、お客様の喜怒哀楽がはっきりしていること。人の心を揺さぶる遊びなのだと思います。それから、1店舗あたりのお客様の出入りが他の業態に比べて多いことです。だからこそ、接客や営業など、様々な面で工夫できることはたくさんあり、難しさもおもしろさもあるのだと思います。

では次に、人材育成について意識していることをお聞かせ頂けますか?

甘やかさないことですね。 ある程度追い込むということは必要だと思います。追い込めば真剣になって、必死で考えてなんとかやろうとします。甘やかしてしまうと、責任感を持って仕事をしなくなってしまいます。

私は、会社に対しての責任感よりも、まずは自分自身と向き合い、自分の行動に対して責任感を持ってほしいと考えています。そういった意識の部分を変えていくためには、ある程度のプレッシャーをかけないといけないのだと思います。

結局、人に言われて動いても、気持ちが乗っていないからうまくいかない。自分で決めて、自分で考えて動くから、失敗しても違う方法を試してみたり、試行錯誤して最終的によい結果を出すことができます。

それを気づいてほしくて、意図的にプレッシャーをかけて真剣にさせるということはやっています。

社員さんにはどのような人になってほしいと考えられますか?

先ほどお話ししたように、自分に責任を持てる人になってほしいです。最終的には全て自分だと思います。自分の守りたいものは自分で守ってほしい。そして、社会の役立つ人間になってほしいと思っています。パチンコ業界だけに限らず、別の業界に行ったとしても、活躍する人になってほしいですね。

新しく入る社員さんに対しては、どのようなことを伝えていますか?

お客様と地域に必要とされる店になりたいという考えは伝えています。会社なので利益は必要です。お客様に支持されるから、経営を続けていける。薄利多売で、できるだけ多くのお客様と関わり、お客様・地域から必要とされる店にしていこうという話はしていますね。

では最後に、今後はどういった会社を目指されていますか?

今後はさらに人材育成に力を入れていきたいと思っています。社員の成長が、会社の成長につながっていくので、人の成長を促せるような組織にしたいです。

ただ楽しいだけではなく、大変なこともつらいことも乗り越えて、その先にある達成感を感じられる会社。そういった集団にできれば会社は自然と成長していくのではないかと思います。

本日はありがとうございました!

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