本日の『TOPから学ぶ!』は、株式会社マルハンの韓社長(第1部)です!

業界最大手企業のトップである韓社長に、
「業界を変える」というビジョンの成り立ちや、マルハンイズムに込められた想いから、
事前に読者の方からリクエストがあった、

「どうすれば地域一番店になれるの?」
「どうすればマルハンのような会社が出来るの?」

というあまりにも直球な質問まで、余すところなくお答え頂きました。

本日7月7日から、4部にわたってお送りいたします。
第1部のテーマは「ビジョンの成り立ち」。
のちに業界のリーディングカンパニーとなるマルハンが、
改革の第1歩を踏み出した当時について、詳しくお聞きしました。

では、どうぞ!

*********************************************

株式会社マルハン(http://www.maruhan.co.jp/

代表取締役社長
1963年生まれ。
法政大学卒業後、ホテル、ゴルフ、不動産事業を展開する企業を経て、平成2年、マルハンに入社。
当時、順調に成長を続けていたマルハンの事業戦略を根本から見直し、
サービス向上策を積極推進。営業本部長として売上高1兆円企業への舵取り役を担う。
平成18年、代表取締役副社長に就任。平成20年、代表取締役に就任。

TOPから学ぶ!!

 

*****************************************

第1部■ビジョンの成り立ち

―韓社長、本日はよろしくお願いします。業界のリーディングカンパニーとしてトップを走り続けているマルハンさんですが、「業界を変える」というビジョンがうまれた経緯を教えてください。

私は入社した当初から「業界を変える」という大それたことを考えていたわけではありませんでした。
社長の息子として、大学卒業して他社で勉強した後に、26歳の時に入社しました。
当時のマルハンは、30数店舗、従業員800名、売上1000億。業界のトップグループに入っており、それなりに注目されていた企業でした。
経営全体を見ていく上では、経理財務の基本を押さえておかなければ、ということで最初は経理部に所属していました。でも当然専門知識もなければ、性格的にも、経理には向いていない方でしたので、苦痛で仕方ありませんでした。
経理をやりながら、仕事を終えた後や、土日に関西圏の店舗まわりをしていました。そして、自社の店舗を見たときに、「ああ、ダメだ、これは・・。」と思ったんです。

大学生の頃からパチンコが大好きで、よくやっていましたので、「お客様をお客様と思わない。」「せっかくパチンコを楽しんでいるのに、横にはガラの悪い店員さんがいる。」そんな当時の業界の姿は分かっていました。

でも、業界トップクラスのマルハンは、もっと近代的でちゃんとしているのだと思っていました。

ところが、同じでした。マルハンも例外ではなかったのです。

それまでは何となく自社のことを見ていましたが、自分の将来を描いたときに、『自分の職業に誇りを持ちたい。自分の仕事を、人に伝えられるようなものでなくては嫌だ。』という強い気持ちが生まれました。だから、最初は業界のためとか人のためというより、自分の将来を考えた時に生まれた気持ちが始まりでした。

社内改革をしなければならないと思い、経営企画室という部門を作りました。メンバーは私ひとり。経理の業務との二束の草鞋で、現場を回って、もっとこうすべき、ああすべき、と気になることを指摘し始めました。

「軍艦マーチをやめた方がいいんじゃないですか?」

「怒鳴り声でのあおりマイクって、どうなんでしょう?」

「従業員がホールで煙草を吸うなんてもってのほか。禁止します。」

その他にも予算制度を作ったり、店舗ごとにばらばらだったロゴマークを統一したりと、やれることから着手していきました。

しかし、現場はそんなことおかまいなし。26歳の若造が、社長の息子だからって入ってきて色々やり始めたけど関係ない。と、全く響いていませんでした。

このようなことを、経営企画室からの決め事として店長会議で言っても、店舗に行くと何も変わっていませんでした。それから1年以上やり続けましたが、全く響かないどころか、バカにされていましたね。「あいつに何が分かる。」と。結局、やっていたことは全て空振りで、何にも変わりませんでした。

「30店舗を束にして変えるのは無理だ。この会社はどうやったら変わるんだろう。」

何をやっても空振りに終わってしまい、私には、もう策が見当りませんでした。

会社を変えるのは不可能なんじゃないか?

当時の経営幹部たちは、その時30数店舗のマルハンを、100店舗にする、と言っていたんです。でも私には、そんな未来が全く見えませんでした。

一体どうやってやるんだ。組織もぐらぐらで、人材も育っていない。店を作ればいいってもんじゃないだろ。

でも自分の中には何のアイデアもありませんでした。

その時100匹目の猿現象という話を何かで目にしたんです。

・・・・・・・

南の島の猿が芋を食べていた。1匹の猿が、芋を海水で洗って食べることを覚えた。

そして、そのやり方をまねる猿が現れ、海水で洗ってから食べる猿が2匹になり、4匹になり、8匹になり・・。

そしてどこかの臨界点を超えた瞬間に、その島の猿が全部、一気にそのやり方をするようになった。

・・・・・・・

この現象を、100匹目の猿現象と言うそうです。

私は、これだ。と思いました。

一気に全部を変えることは諦めよう。今のやり方であと3年やっても多分変わらない。

その時はものすごく遠回りに思えましたが、まず1店舗だけ、自分の理想の店舗を運営させてもらおうと思いました。それも、新規店舗ではなく、築数年の既存の店舗で、マーケットも中くらいの店を任せてもらって、モデル店にしようと考えました。それが、静岡の草薙アピア店です。

当時のパチンコは、客と対峙して、騙し合い、駆け引きのし合い。

そして、軍艦マーチ、マイク呼び込みがパチンコ店を象徴していました。いわゆる“職人気質”の世界でした。

でも私はそうじゃないと言い続けたのです。

パチンコはサービス業だ。ファーストフードやファミレスと同じように、ちゃんとした採用をして、しっかりトレーニングすれば職人でなくてもホールは営業できる。

サービス業なんだから、きっと女性も戦力化できるはず。

仮説として訴えていたもの、いくら言っても相手にしてもらえなかったものを、証明する店舗を作りたかったんです。

―策が見当たらなくなってからのチャレンジだったんですね。韓社長が描くモデル店を作るために、何から始められたのでしょうか?

モデル店のXデーを92年の4月と決めて、まず初めに取り掛かったこと、それは採用でした。

会社というのは、一人ではできません。自分の協力者を探すことが必要です。自分の想いに共感してくれる協力者がどうしても必要でした。

その時に初めて、もう一度深く、深く考えたんです。

そもそも、パチンコ店というのは、お客様に何を提供して利益を得ているのか。今の会社、今の業界のままではダメだ。自分は5年後、10年後もパチンコ業界で働いている。その時に、パチンコ業界は素晴らしい、と言えるようにしたい!

会社には理念が必要です。それは経営者が一人で描いているのか、そこに参加する人全員の共有事になっているのかとでは、これは大きく違いますね。単に額に飾っているだけの理念では意味がありません。

そして、その理念やビジョンをひとつの想いとして、他人に伝えていく作業、共感、共有してくれる人を探す作業、これが採用活動だと思います。

それまでは、「いま給料いくらもらってますか?うちは1割増しで出しますよ。」というのが採用活動でした。

そうではなくて、採用する側とされる側の真ん中に、労働条件ではなく、一番目にくるべきもの、それが理念やビジョンでなくてはならないと思います。

私は、自分はこんな会社を作りたい、こんな業界にしたい、ということを伝え始めました。

その時入社をしてくれたメンバーからしたら、何も保障されるものはないし、だけどこの人が言っていることにかけてみよう。と思うだけの価値を感じてくれたのだと思います。

彼らに私の想いを伝えて、「わかりました、自分も参加してやってみたいです。」と言ってくれた時に、責任が生まれました。

それまでは、自分だけの考えだったけれど、共感してくれる人がいると、責任になっていくんですね。スタートメンバーと私の共有事として、自分達が目指す共有事として、それは存在していました。

それが現在のマルハンイズムの原型なんです。

それを実現するために、取組みを始めた草薙アピア店。

将来ここに参加をするであろうマルハンの社員のために、私達が造った新しい価値を、そのときには居ない未来のお客様に支持をして頂くために。というのがスタートでした。

つまりそれが「業界を変える。」ということ。そういうプロセスを経て、生まれたビジョンでした。

パチンコはサービス業である、ということを軸にするということは、組織そのものを変えることでもありました。

サービスの提供ということをどかんと真ん中に置いたときに、社員はどんな人を採用して、どんな教育をして、どんな考え方に基づいてパチンコホールが存在するのか、そこでその目的を達成するためには、パートナーとなる会社は、どんな会社が必要なのか。

今までと違うものがどんどん見えてきて、それを軸に会社運営のあり方そのものも変えていきました。

―先ほどの100匹目の猿の話ですが、韓社長ご自身が、臨界点に到達したな、と思った瞬間は?

明確なものはないんですが、ものすごいスピードで、変わっていってるんだ!と実感する毎日でしたよ。

戦争みたいな日々でしたが、こういう組織を作らないといけないんだ、という信念を強く持っていたので、絶対に妥協をしませんでした。それこそ10円の不正も許しませんでしたよ。

それは業績をマルハンで1番あげていようが、関係ありません。だめなものはだめ。杓子定規にやったわけではありませんが、自分達が目指すものに対しては妥協しない、という姿勢を貫きました。

社員にも、確固たる信念をもって改革を断行しているんだ、と映ったと思います。

―「企業理念とは、社員全員の共有事」という言葉が非常に印象的です。額に飾られているだけのものにしないためには、ビジョンや想いを全てのスタッフに浸透させる必要があると想いますが、どうやって浸透させていかれたのですか?

マルハンイズムというものを作りました。

マルハンイズムの浸透のために、あらゆる取組みをしています。

そもそも新入社員を採用するときに、雇用条件などはもちろん説明しますが、私達がどんな会社を目指しているのか、どんなことを大切にしているのかを伝えるとき、そこに当然マルハンイズムが出てきます。まずはマルハンイズムに共感できるかどうかが、採用の判断基準になります。

そして、入社後のイズムの研修では、「業界を変える」とはどのようなことなのか、どう変えるのか、そこに参加をする個人個人は、どのようにあってほしいのか、ということを伝えます。

店舗に配属された後も、スーパースター制度や、ありがとうカード、イズムの芽など、マルハンイズムを維持継続するための仕組みを取り入れ、企業文化を作っています。

常に、マルハンがお客様に提供する価値はどういうことなのか、ということを考える組織になるための仕組みです。

このように、マルハンイズムを作ることも大変ですが、組織の中に根付かせていくことはもっと大変なことです。何も知らない人が入ってきたときに、きちんと学んで維持継続していく。これが大変難しくて、この15年くらいの間に試行錯誤を繰り返して、今日にたどり着いた。という感じです。

―韓社長、ありがとうございます!

関連記事