こんにちは、パック・エックス通信のとみおかです。今週は株式会社三慶商事の趙社長のトップインタビュー!
前編では常務になられる経緯のお話です。
常務になられる際の会長からのアドバイスは「自分でなにもやっちゃいけない」だったそうです。それではどうぞ!

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TOPから学ぶvol.68
株式会社三慶商事 趙 顕洙社長 前編

趙 顕洙 氏
株式会社三慶商事 代表取締役社長
埼玉県の岩槻を中心にARENAの店名で現在6店舗のパチンコホールを運営。『共生』の理念を掲げホール経営以外にも飲食事業や地域貢献、ボランティア活動などにも力を入れている。

―本日はよろしくお願いします。まずは理念に掲げている「共生」について教えて頂けますか?

今から10年くらい前にお店を1店舗ずつ大きくリニューアルする計画を練っていまして、そのタイミングで理念を掲げようと思っていました。
そんな中で社内の数名で勉強会を開いたり話し合ったりして決めました。
「共生」という言葉は、実は僕が考えたわけではなくて、専務の言葉なんです。先代のころからブレーンとしてやっていて、先代から僕のスタイルに代わった時に考え方もうまく切り替えてくれた人でして、ある意味、僕よりもうちの会社のことを知っていて、一番よく見てきた人です。最初僕自身は「共生」という言葉がピンとはこなかったです。

—最初は「共生」をどういうふうに捉えられていたんですか?

優しいというか言葉がきれいすぎるというか、正直「力がない」っていう感じがしましたね。本を読んだりして勉強していくうちに、徐々に「共生」という考え方が自分の中に落とし込まれてしっくりくるようになりましたね。

―なるほど。今の会社に入られる前は何をされていたんですか?

大学を卒業した時はどこかで家を継がなきゃいけないという意識があったんですが、そうなったらどっぷり浸かる事になるわけじゃないですか。なのでまずはなるだけ関係のない仕事をしようと思ってまして、ドキュメンタリー映画の製作会社で4年ほど助監督の仕事をしていました。テレビ局などに納めるのではなく自分達で企画から撮影、編集まで行い、各地で上映会をやるというスタイルでして、映画を作るたびに赤字が膨れ上がっていきました。今考えるとめちゃくちゃですが(笑)。映画が好きだったのでそういう経験はしたかったんですが、月末になるとなにしろ支払いが大変で、監督とプロデューサーがいつも喧嘩をしていました。でも毎日がすごく楽しかったですね。

27歳の頃に父親から連絡があり、店をもう一店舗やるからそろそろ来ないかと言われたんです。当時は生活も成り立っていなかったので、そろそろかなと思い父の会社に入社しました。

―会社を継ぐということに違和感はありましたか?

製作会社に勤めていた時は素直に継ぎたいとは思えなかったです。その時は文化的なことに憧れていたんですね。まあ道楽ですよ、道楽息子(笑)。筋が通ってなかったし中途半端でしたね。
平成9年の10月に入社しましたが、その2、3日後に突然、常務の肩書を与えられました。業界の事を何も知らないのに。

―常務になるにあたって会長から何かアドバイスはありましたか?

「自分でなにもやっちゃいけない」と言われました。当時はその意味がわかりませんでした。会長は現場主義で、全てのことを自分でやってきた人だったんですが、おそらく会長は、その反面を考えていたんではないかと思います。それと早く経営に関わってほしかったのではないかと思います。でも実際はどんな顔して周りの人たちと接していいかわからなくて、いろいろととまどったりもしました。でも今考えると、それがあったから周りの人たちが主体的になってくれたのかなとは思いますね。
なので、自分は現場を経験してない分、社員たちと接する時は絶対に偉ぶってはいけない、誰に対しても尊重することを心がけています。どんな時も現場スタッフの子たちの気持ちを知ろうと努めるようにしています。

僕の仕事は事業を設計することだと思ってます。その設計を机上の空論にしないためには、やはりどんどん現場に入って知ろうと努めるようになるし、自分だけで決めるわけにはいかないからコミュニケーションをとるようになるわけです。でもあくまで実行して実際に成果を上げるのはうちの社員たち。そういうスタンスでずっときていますね。

―続きは後編で!

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