こんにちは、パック・エックス通信のとみおかです。
今週は有限会社パーラー企画 西原常務へのトップインタビューです。
子どもの頃から、「男にも女にも好かれる格好いい男」になりたかったという常務。
前編ではパーラー企画入社前から、入社から役員就任までのお話です。

それではどうぞ~

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TOPから学ぶvol.66
有限会社パーラー企画 西原孝徳常務 前編

西原孝徳さん
有限会社パーラー企画 常務取締役
ランドマークの屋号で広島と岡山で2店舗を展開。飲食店経営やモデルという異色の経歴を持ち、現在は独自の社員教育を基に経営を行っている。

—本日はよろしくお願いします。まずは入社の経緯から教えていただけますか?

大学在学中の18歳の時に親がこの会社を設立して、私は大学に通いながら、週末だけアルバイトとして働いていました。
しかし20歳の時に、どっちみちこのまま大学に通っていてもこの会社に就職するので、それならば卒業するまでの2年間で色々な経験をしたいと思って、大学を中退して東京に行きました。25歳の頃に広島で店舗を出す事になり、親に呼び戻されたのがきっかけです。
最初の1年間は岡山の店舗で修行して、その後副主任という肩書きで広島の店舗に配属され、約2年前に役員に就任しました。岡山の店舗での修行当時は、アルバイトと同じ制服を着て、一般からの入社と言う事で働いていました。もちろん中にはオーナーの身内だと知っている人もいたんですが、言わないでもらっていました。

—東京にいる間は、何をされていたんですか?

友達や先輩達とお金を出し合って、飲食店をやっていました。人脈や資格もなかったので、すぐに自分達で出来る仕事といえば、飲食店やバーといった仕事が手っ取り早いかなと考えたんですね。5店舗経営していましたが、私が実家に戻るタイミングで会社を売却して解散をしました。
元々、いずれはパチンコ業界に入るという事を感じていたので、モデルやバンド活動をしたり、飲食業をしたり、出来る時にやれる事をやりたいという一環ですね。その期間でしか出来ない事を大事にしたかったんです。

—パチンコ業界に入ることに対して迷いや嫌悪感のようなものはありませんでしたか?

全然ありませんでした。もちろん私自身がパチンコ好きでしたし、周りの友達もパチスロ好きが多く、むしろ周りからはパチンコ屋で働く事に対して羨ましいと思われていた節もありましたね。
弊社はパチンコ屋というよりも、アミューズメント会社だと思っています。意識的には、パチンコ店を経営しているというよりは、部門の1つという考えですね。もし仮に法律が変わってパチンコが禁止になったとしても、パチンコに変わるアミューズメントを考えていくというスタンスです。

―いつ頃から、西原常務が考えるホール作りを実現し始めたのですか?

入社当初から、こういう会社にしたい!というビジョンはありました。
東京で飲食店経営をしていた時は、休みもあり、スタッフも楽しく働いていて、福利厚生も充実させていました。そういう居心地の良い会社だからこそ、自分達でこの会社をもっと良くしていこう!とアイディアを出していく、というスタンスだったのですが、岡山に戻ってきたら、労働環境の過酷さに驚いたんです。スタッフから話を聞くと、まさにご飯を食べるためだけに働いているような状況で、先も見えず、夢を見せてあげられる人間もいない。体が動く限り働き詰めるだけの仕事、という感じでした。
それではアイディアも出ないし面白くない。人生で仕事の時間が1番長いわけですし、家族よりも職場の人間の方が長い時間を過ごすのですから、それなら楽しくしたいと思いました。

しかし、まだ入ったばかりで実績もなかったので、発言権を得るためにまず頑張ろうと思ったんです。広島に来てからは役職にも就いたので、自分の考えを出せるようになり、今あるものに満足するのではなく、今は無いものをみんなで作っていこう!というスタンスを出せるようになりました。

—役員までステップアップする上で、どのようなことを意識していましたか?

任された仕事+αを常に意識していました。
主任であれば、主任の仕事は真っ当しつつ、では次のステップで店長になるためにはどうしたら良いのか?日本で1番優秀な店長とはどんな人だろう?と考えた時に、まだまだ足りないと感じ、このままでは主任としては通用しても、店長としては最低ランクだと思ったんです。最高の店長になるためにはどうすれば良いか、何が必要か、というのを思いつく限りノートに書き出して、それを1つずつ潰していきましたね。その姿勢をアピールする事でチャンスが巡ってくるのだと思います。
明日からでもすぐに店長が出来る状態の主任を目指してやっていましたね。店長になったから店長の仕事をするのではなくて、主任の頃から店長の仕事をする。そして店長の時は役員ならば何をするかを考え、財務や人脈や理念など、プロデュースする側の立場になって考えて、自分には何が足りないのかを書き出していました。

—「書き出してつぶしていく」という方法は、ご自身であみだしたのですか?

受験が大きな影響だと思います。志望校が求めている点数と自分の現状を鑑みると、足りない部分が山程あって、その差を自分で探して自分で埋めないといけない。
企業が大卒を求める理由はこれなのではないかと思っています。大学受験の場合は特に、自分で行きたい学校を選んで、自分で勉強方法を考えて、分からない事があれば自分で調べて処理をする。そういった能力があると言う前提が大卒だと思っています。指導しやすいですよね。いちから全部説明しなくても良い。高卒も大卒も
基本的な能力はあまり変わらないと思いますが、分からない事があればすぐに人に聞くとか、分からないからやらない、ということがないのが大卒だと思います。

—その考えやスタンスはいつからお持ちなのですか?

私は子供の頃から、男にも好かれる男、女にも好かれる男格好良い男とはどういう人かと言うのを考えていました。
東京でモデルをやっていた当時は調子に乗っていて、若い頃特有の青臭い考えのようなものにドップリと浸かっていたんですね。23歳くらいの頃、当時の彼女に「姿形は親からの遺伝だし、お金があるのも親のお陰。貴方個人は中身がスカスカで魅力が無い」と言われたんです。確かにその武器を無くしたら、自分ってどんな男なんだろうと考えた時に、何も無かったんですよ。そこから中身を詰めていこうと考えが変わりました。

—では、西原常務にとって人生のターニングポイントはそこですか?

そうですね。やはり当時は物凄く落ち込みましたが、後日振り返ると、これが本当の優しさだと分かりました。嫌われようとも、この人を何とかしたいという気持ちこそが、本当の優しさだと思います。ですので、今は私もスタッフに対してそうであるように心がけています。
まぁ彼女の場合はむしろ捨て台詞みたい感じでしたけど(笑)

—1番最初に何から取り組んだのですか?

自分に付加価値をつけようと思って、仕事の面でも必要とされたい、そのためにはまず実績を作らなくてはいけないと考えました。考え方から変えないといけないと思って、本をかなり読みましたね。どういった考え方をしないといけないかを理解しないと、選択そのものを間違ってしまう。成功した人間の考え方を知るために、本を読む事から始めました。
そして凄い先輩方に自分から会いに行って話しかけに行って、たくさん吸収させてもらいました。最短の距離で成長したかったので、先輩の失敗した話を聞いて、そこから成功するためにはどうしたら良いかを抽出して、その最短ルートを模索しました。

―続きは後編で!

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