今週のパック・エックス通信は、グランド興業株式会社の福田社長へのトップインタビューです。
前編は社長就任までのお話です。
実はパチンコに対してあまりいいイメージを持っていなかったという福田社長。
実家が経営されるパチンコ店を継ぐこととなり、最初のモチベーションはどこにあったのでしょうか。

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TOPから学ぶvol.63
グランド興業株式会社 福田浩明社長 前編
「共により豊かな社会をつくる」

福田浩明さん
グランド興業株式会社代表取締役社長
岡山県を中心に「OMEGA」の屋号で6店舗を経営。
パチンコ店のほかにも飲食店、イベント企画・制作・運営管理・実施、Web製作など多岐に渡る事業を経営している傍ら、ぱちんこ情熱リーグ情熱サポーター委員会委員長も務めている。

―本日はよろしくお願いします。まずは入社の経緯から教えていただけますか?

入社11年目、社長に就任して3年目です。
僕は学生生活がすごく長くて、アメリカに8年、ソウルに1年いて、日本に帰ってきたのが28歳の時なんです。その後1年間叔父の経営しているパチンコ店で修行をしてからサブチーフとして入社しました。

―家業を継ぐことに対して抵抗はありませんでしたか?

すごくありました。僕は小学校の頃から将来の夢を聞かれると「パチンコ屋さんじゃないこと」と言っていたらしいんです。店舗の2階が自宅で、母は僕をおんぶしながらや、カウンターの中に箱を置いてその中に僕を置いて仕事をしていました。小学生になって学校から帰って来ると店舗の前で大人が喧嘩していたりして、そういうのを見ているのがすごく嫌だったんですね。夜寝るときに蛍の光が聞こえたり、友達の家のように庭がなくて代わりにあるのは駐車場だったり、嫌なことがいっぱいありました。そういう積み重ねから、跡を継ぐとはこれっぽっちも思っていませんでした。
現会長である父も昔から「継がなくてもいいから好きなことをやれ」と言ってくれていて、僕はそれを本気にしちゃったんですね(笑)

―そのような考えだったのが、なぜ継ぐことにしたのですか?

実はアメリカの生活が楽しくて大学を2つ卒業したんです。勉強がすごく難しかったですね。そしてむこうで内定も貰って就職先も決めていました。父は、大学卒業後3年間やるから方向付けをしてきなさいと言ってくれて、でも結局卒業寸前になるとやっぱり1年だ、と言われて内定を辞退しました。卒業後、日本に帰ってくることなくそのままソウルに行きました。自分のアイデンティティである韓国語すら話せないなと思ったんです。ソウルで1年暮らして、観念して日本に帰ってきました。それでもやっぱりまだ嫌で、喧嘩もたくさんしました。特に大きなキッカケがあったというよりは流れでしたね。

―なるほど。そんな中で業界に入って、最初のモチベーションは何でしたか?

この業界自体にずっと不満みたいなものがあったんです。もっと幅広い楽しみ方があるのに、お客様も社員さんも楽しそうじゃない。お金を使うのはゴルフとお酒だけ。もっと楽しいことが世の中にはいっぱいあるのになんでだろうと。全部がマイナスに見えた。そして逆にそれが一番最初のモチベーションでしたね。みんなが気づいていないことを僕が見せてあげられるって上から目線で思っていたんです。
でも、現実を見ると、一般企業に出しても恥ずかしくないくらいみんな勉強していることを知りました。僕が思っていたよりもみんな前を向いているし。そこに気づいたことで見る目が変わりましたし、尊敬の念を抱くようになりました。
そこからはもう、僕らはパチンコ屋さんじゃない!エンターテイメント集団だ!という想いでいろいろと取り組みました。自分たちが楽しめばお客様も楽しいはず!と思って、僕がイベントを発明したんじゃないかっていうくらいイベントをやったり、音楽を変えたり、店長も世代交代させました。パチンコ屋さんっぽくないパチンコ屋さんを作りたい、というのが原動力でしたね。

今でも当時の想いは忘れてないです。先日の居酒屋甲子園
でも言っていたんですが、「やり方ではなくあり方を問われている」という言葉がすごく響きました。あり方っておとなしい様で結構攻撃的に出来ると思っているんです。アメリカでの生活が僕の中で成功体験として残っているので、それをみんなに見せたいというのが強いです。絶対楽しいですから。

―続きは後編で!

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