TOPから学ぶvol.59
株式会社大宝グループ 金沢太景社長 前編

プロフィール
株式会社大宝グループ
代表取締役 金沢 太景さん
オリエンタルランドで数年勤務後、父の跡を継ぐためホール修行を経て、株式会社大阪商会に入社。
その後、株式会社大宝グループの代表取締役に就任し、更に会社を強くするために組織強化や店舗展開をし、事業の拡大を図る。

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―まずは大宝グループ様に入社されるまでの経緯をお伺いできますか?

私は大学には行かなかったんですよ。F1ドライバーになりたくて、高校卒業後は東京でレース活動をしていました。でもレースってお金がすごくかかるんですよ。ですので、お金を出してくれるスポンサーを探すために人に紹介してもらったり、長者番付に乗っている人やレーシングカーに載っているスポンサー名にひたすら電話して営業する日々を送っていました。
そんな中で私のサポートをしてくれていたのが、そのディズニーランドの下請けの会社でした。
その頃ちょうどエレクトリカルパレードが始まる年で、『人が足りないからバイトをしてくれ』と言われ、それがきっかけでオリエンタルランドに入社しました。

レースの世界は他のスポーツと違って、完全実力主義じゃないとこがあるんですよ。理不尽なこともありましたし。その理不尽な世界を変えたいという想いを持つようになって、そのためには力を付けないといけないと考え、レースは引退しました。
その後は父の跡を継ぐために最初は上野の機械屋さんで約1年、京都のホールで約1年お世話になり、㈱大阪商会に帰って来ました。

―パチンコ業界に対して抵抗はありませんでしたか?

私はパチンコ屋の2階で生まれ育ち、軍艦マーチ聞きながらいつも学校に行っていたので、当たり前というか、パチンコ屋さんもその辺の飲食店や花屋さんとか服屋さんと変わらないお店、普通の商売だと思っていました。
周りからのイメージがあまり良くないなと思い始めたのは小学校の高学年くらいからです。
『あそこの家はパチンコ屋さんだからあんまり遊びに行くんじゃない』と言われているのを聞いたことがあって、「パチンコってもしかしてイメージ悪いのかな」って意識し始めました。
でも私は父の跡を継ぐものだとずっと意識して育ってきたので、イメージが悪いと気づいてもパチンコ業界を嫌になることはありませんでした。イメージがよくなるといいなとは思っていましたが。

―戻って来られた時はどのようなポジションだったんですか?

まずは現場です。その後すぐ店長になり、入社して1年後には営業部長になりました。たぶん父としてはそんなにすぐに上がらせたくはなかったと思うんですけど、当時は会社が大変な時期だったので、仕方ないところはありましたね。

―当時の会社の課題はどのようなものがあったのでしょうか?

大手と比べて小さい会社は資金力はないですが、機動力が売りですよね。でも、当時は機動力が低かったんです。
本部と現場にズレがあって、本部が現場に対し、できると思って言っていることが実際現場ではできていないことがたくさんありました。その本部と現場のズレをなくしていくようにするのが一番の仕事でしたね。

―入社当初は現場から反発などはなかったですか?

ありました。今の父で2代目、僕で3代目なんですね。
長いスタッフは当然、「業界経験が1、2年しかないのに、何がわかるんだ!」ってことを思いますよね。
でも当時のお店はお客様が全然入っていなかったですよ。
だからどんなに業界歴が長い方たちが、あーでもないこーでもないと言ってきても、でも今お客様はいないじゃんというのがありました。確かに本部経営陣の指導も悪いけど、実際現場を守って来たあなたたちにも責任はあるじゃないの?と思っていたので、あまり物怖じはしなかったです。
これが5万稼働2万枚のお店だったら、さすがに口出しできないんですけどね。会社の状態が良くなかったことで、逆に私は会社にすっと入っていくことができました。

-営業部長から社長になるまでの経緯を教えていただけますか?

営業部長として自社を見ながら、別の会社の店のコンサルティングも行っていたんですが、その会社の社長が物件を売るという話になったんです。
いいお店だったので、5年もすればペイできると思い、父に保証人になってもらい買うことにしました。
それが㈱大宝の始まりです。ですので、父の会社を継いだというより、別の会社の社長になったという感じですね。今はチェーン店が全部で8件あるのですが、内2件はもともと父のお店で、父からは営業は任せると言われているので、今は僕が父の会社を借りている状態です。他の6件は自分で出しているお店です。

―社長としてご自身のお店を持つようになり、改めて新しく意識し始めたことなどはありますか?

まずは数字ですよね。数字がないと、支払いもできないですし、給料も払えませんので。
今は少し楽にはなりましたが、最初は数字を落とさないように、1日1日が勝負でした。とりあえずどうやって今日を戦うかっていうことだけしか考えてなかったです。少しずつお金を残していって、余裕ができてきて、いろんなことができるようになっていきました。

―続きは後編で!

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