TOPから学ぶvol.57
株式会社阪神観光 道風 益定社長

—本日はよろしくおねがいします。
まずは社長になられたきっかけから教えていただけますか?

以前は父が経営をしていて、兄がその跡を継ぐことになっていました。
ですので私は自分の進路を自由に決めることができる立場にあり、当時やっていたアメフトに関連する企業から内定も貰っていたんですよ。
ですが父があまりに厳し過ぎて兄が体を壊してしまって。それで急遽私が継ぐことになったんです。

—では大学卒業後すぐに跡を継がれたのですか?

いえ、卒業後は修行のために2年間という約束で㈱平和に入社しました。
そこで機械のことや営業を学びながら仕事をしていました。昼間は工場で働いて、夜はホールから応援要請が来るのでそちらに行っていました。
ホールから呼ばれるのは閉店後なので、23時をすぎるんですね。次の日は朝8時から工場で仕事だから先輩方はあまり行きたがらないんです。
だけど私はつい最近まで夜中まで飲んで次の日はグランドで走っているような生活だったので、それくらいなら余裕だったんですよ。だから率先してホールへ行っていました。
それに、行った先でお礼としてこづかいを貰えたんです。これは2~3件くらいまわったら良い金になるなぁと思って続けていました(笑)。

その内よく行くホールのオーナーに、「経営者の子供なんだから、経営感覚あるだろう?」って言われて、「あります」ってつい勢いで言っちゃったんです(笑)。
それがきっかけで、そのホールの遊技台の整備をやるようになりました。

でも実際はデータの見方ひとつ分からないから、全て聞きながらやっていると、他の人が15分で済むところを2時間かかるんですよ。
その話が店長からオーナーに行ったんですが、オーナーは私が丁寧に仕事をしていると勘違いしたようで(笑)。
それがきっかけで他店のオーナーにも紹介してもらい、最終的には3店舗まわるようになっていました。

—では2年間の修行後、御社に入社されたんですか?

いえ、実際は途中で父に呼び戻されました。
父と幹部の人たちと簡単な入社式を済ませた後、父と15分くらい話をしました。
話が終わったら父がおもむろに実印と銀行印を僕に渡して、『後は好きにしろ』って出て行っちゃったんですよ。その15分が引き継ぎ式でしたね。
それから父は死ぬまで会社の敷地をまたぐことはありませんでした。

—ではその際に社長に就任されたのですか?

阪神大震災前までは営業部長という肩書きでしたが、実際には経営は私に任された状態でした。

—それは大変苦労されたのではないですか?

かなり大変でした。何をすればいいのかまったく分からないので、周りの従業員に聞きながらやっていたのですが、それが数日続くと、従業員が舐めてくるんですよ。
これはマズいと思い、『俺の右腕になるのか、それとも辞めるのか決めろ!』って脅したことがあったんです。そうしたら全員辞めちゃいました(笑)。

誰もいないので次の日から店が開けられない状態で、どうしようかと思っていたら、夜中に1人戻って来て、謝ってきたんです。
「今後真面目についてくるなら許すぞ」という態度は取りましたが、内心「助かった~」と思いましたね(笑)。
その後もう1人戻ってきてくれて、どうにか営業することができました。

—先代に相談はされなかったのですか?

何を聞いても『忘れた、好きにしろ』しか言ってもらえませんでした。
ただ1つだけ、兵遊協青年部に入れというアドバイスは貰いました。
青年部の先輩方に経営のことを詳しく教えて頂けたので、結果的にそれでかなり助けられました。

—震災後に正式に社長になられたのは何か理由があったのですか?

経営も軌道に乗り、アクセル全開でいこう!と勝負をかけていた時期に震災が起きたんです。被害を免れたのは1店舗のみで、建設中の新店も含め、系列店はほとんど壊滅状態でした。

他にも別の事業を行っていたのでどうにかなるという気持ちはありましたが、このままではマズいという危機感から覚悟を決め、会社関連で名義が父のままになっていたものをすべて自分にしました。

―続きは後編で!

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