TOPから学ぶvol.56
株式会社共栄 増田光均社長 前編

プロフィール
増田 光均 氏
株式会社共栄 代表取締役社長
パチンコホールグループを経営する傍ら、日本青年会議所の支援団体・アミューズメント部会の代表を務め、今年のテーマである「アミューズメント力で日本を元気に」実現に向けた活動を行う。
現在はパチンコ業界だけでなくアミューズメント業界全体に裾野を広げ、店舗視察や著名人を招いての講演会などを主催し、情報交換を活発に行っている。

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-本日はよろしくお願い致します。まずは株式会社共栄の社長に就任された経緯からお話を伺いたいと思います。

30歳の時に父親である前社長から社長を引き継ぎました。今年で40歳になるので、ちょうど10年目ですね。

—社長を継ぐというのはいつ頃から意識されていたんですか?

小学校高学年くらいです。家族の中で男は自分だけなので、自分が手伝うのだろうとなんとなく思っていました。
学生時代に父親が経営するホールでアルバイトをしたのですが、それもホールがどんなものか関心があったからです。
他店に派遣スタッフとして働いていたこともあります。ちょうど業界の変換期といえる時期で、たくさん勉強させていただきました。

-大学卒業後入社されたのですか?

いえ、最初はリース会社に就職しました。
大学3年生くらいになって、自分には他に何が出来るんだろうと思い始めたんです。
周りの友達が就職活動を始めだした頃だったので、友達がどんなところに就職するのか気になりましたね。
このままだと自分の考えは狭いのではないかという意識が芽生え始めました。
そこで自分は何がしたいのかもう一度よく考え、マスコミ業界で何かを作り出すような仕事をしたいと思うようになったんです。しかし、何社か面接を受けましたが、どこからも内定はもらえませんでした。
周りの友達はしっかり就職活動の準備をして成長しているのに、自分は遊んでばかりで危機感が無かった事を痛感しました。それがきっと面接でも現われていたのだと思います。

その後、会社を経営するためには金融を勉強する必要があるという考えから、金融業界を受けるようになり、銀行とリース会社から内定を頂いたのですが、リース会社の方に入社することにしました。

—まったく別の業界で働くというのは珍しいですよね。

関わりのない業種をやってみたかったんです。世間が狭かったと大学時代に感じたので、自分自身を開拓したかった。知らないことばかりで大変でしたけど、その分楽しかったですね。

—何年くらい働かれたんですか?

3年です。最初から3年とは決めていたわけではないのですが、仕事は集中してやりました。
リース会社なのでパチンコ店の負債の情報なども入ってくるんです。やはりパチンコ店の情報は気になりましたね。おかげで自社についても客観的にみることができました。
3年目くらいのときに、金融の世界で勉強したことをパチンコ業界で活かそうと、退職することにしました。

—リース会社を退職された後に御社に入社されたんですか?

いえ、販社に勤めました。違う角度からパチンコを勉強したかったんです。
その後共栄に入社しました。

—その頃苦労したことは何ですか?

自分が思い描いている店舗運営と現実とのギャップを感じたことですね。
特に気になったのはスタッフの対応でした。
お客様、販社さんや営業さん、上司が部下に対してなど、改善すべき点があると感じました。
アルバイトとして働いている頃から、スタッフがいきいきと仕事をしてくれるような職場にしたいと意識的に考えていたんですね。だから特にそういった部分が特に気になりました。
周りはあまり危機感を持っていなかったですが、3年先、5年先を考えると、このままではだめなのではないかと思いました。
大きく言うと社風を変えていかなくてはいけないと感じました。私が違う業界に勤めたからこそ感じる事ができたのかも知れません。

—当時は社長のお考えに共感される人は少なかったということですか?

最初はいなかったですね。言い続けることで徐々に増えていきました。
1店舗目で店舗オペレーションが分かるようになり、2店舗目で働き始めた頃から、自分の考えを伝えていくことができるようになりました。
その当時、お店を良くしていきたいという気持ちを強く持ってくれているスタッフがいたんですよ。そういう人が育ってきたことは大きかったですね。自分の心が折れそうになった時も、そういう仲間がいるとよりよい会社にしていかないといけないと思います。

その後副社長を経て社長に就任しました。
最初に社長になるという話をもらった時は、まだ自分には早いと思って断りました。
社長就任を決めたときも実力不足だと感じていましたが、決意があればできると信じて引き受けました。

―続きは後編で!

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