こんにちは、PX通信編集部のとみおかです!

今週はTOPから学ぶです!
パチンコ業界の不正を撲滅させる為に日遊協で率先してセキュリティ対策委員を努められている株式会社九州エース電研の山田社長にお話いただきました。

それではどうぞ!!

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TOPから学ぶvol.50
株式会社九州エース電研 山田 久雄 社長 前編

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プロフィール
山田 久雄さん
株式会社九州エース電研 代表取締役社長 ( http://www.k-acedenken.com/ )
社団法人日本遊技関連事業協会 副会長 ( http://www.nichiyukyo.or.jp )

設備機器の販売や工事を請け負う会社として創業し、現在はパチンコ店も4店舗経営されており、パチンコ業界の不正撲滅を目指し、日遊協のセキュリティー対策委員長として積極的に活動されています。

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-山田社長、本日はよろしくお願いします。まずは創業時のお話を聞かせていただけますか。

父が上野でパチンコ店の内装を専門でやっていたんですが、それが昭和42年に倒産したんです。
会社が倒産した当時は辛いこともありましたが、その時の経験は今となっては良い経験になっていますね。
エース電研は昭和40年に設立されたのですが、その際父もかかわりを持っていたことから昭和45年に九州でエース電研の代理店をしないかと誘われ㈱九州エース電研を立ち上げました。

-山田社長はいつ頃、九州に行かれたのですか。

昭和56年、26歳の時ですね。
私が大学を卒業する直前の昭和53年にインベーダーゲームが流行ったんです。
お客さんをみんなインベーダーに取られて、父の会社も倒産をするんじゃないかというくらい落ち込んだ時期でした。
だから就職は自分で探して、まったく違う会社にしようと思い、御茶ノ水にあるスポーツ用品店に就職しました。そこで約2年間働いた後、九州に行きました。

-九州に行くきっかけはなんだったのでしょうか。

父から手伝ってほしいと言われたんですが、まだ会社が厳しい状態だったので最初は断りました。今やっている仕事の方が楽しいとも思っていたので。
でも母が『一度やってみてダメだったらまた戻ってくればいい』と言ってくれたので決心しました。

私が九州に行った56年といえば九州でフィーバーブームが起こった頃だったので、とにかく忙しくて寝る時間もないくらいでした。
2年間は現場ばかりでしたが、月に200時間くらい残業したこともありました。九州中をとびまわりましたね。

-200時間ですか?当時は仕事を楽しんでいるという気持ちはあったんですか?

最初はなかったですね。補給装置って汚れるんですよ。地下に潜るか、天井裏か。作業時間もほとんど閉店後ですし。改装工事っていってもほとんど毎日徹夜でやるので本当に体がもたないなと思いました。

-話は変わりますがパチンコ店を経営されるきっかけを教えていただけますか。

昭和57年に父の意向で始めました。
補給装置って浮き沈みが激しいでしょ。支払いも手形が多くて資金繰りも大変ですし。
父はいつもパチンコ店さんに物を納める仕事をしていたので、自分で現金商売をやりたいと思っていたんじゃないですかね。

-なるほど。社長になられた経緯を教えていただけますか。

20年前、37歳の時に社長に就任しました。
父親が70近くになり高齢になったのでというのが一番の理由ですかね。
九州のオーナーさんは早めに代替わりしている方が多かったので、その影響もあります。
父は『社員の元気が会社の元気』とよく言っていましたね。
ちょうどその頃はバブルが崩壊し始めた頃で、我々の業界にあまり人が来なかったんです。『福利厚生を手厚くしないと若い人たちは入ってこない』というようなことをよく言っていました。

最近でこそCSだESだと力を入れてはいますが、20年前はまだこのへんに注力している企業は少なかったですよね。
でもうちみたいに補給業界にいたら父みたいな考えになるんじゃないかな。
結構な汚れ仕事でしたからね。いくらお金をもらってもやりたくないっていう人もたくさんいて1~2年で辞める人もたくさんいました。

-山田社長が一番求めている人材はどういったタイプの方でしょうか?

失敗してもいいから、新しいことをチャレンジしてくれる人ですかね。

-今現在、店舗の運営には山田社長も自ら関わっていらっしゃるのですか。

実際の営業は店長や責任者がいますけれど、基本的な方針は私が出します。
店舗に関わった時からお店をこうしたいという願望はありました。
昔は労働環境がめちゃくちゃだったので、早く整えていかないとな、と思っていました。

-昔と比べたら業界の労働環境はだいぶ良くなっていますよね。

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