TOPから学ぶvol.46 株式会社千歳観光 白石 良二 社長 前編

今回は神奈川県内と東京都内に8店舗を運営されている株式会社千歳観光の白石社長です。

前半では業界に入られた経緯や目標の立て方、白石社長のサクセスストーリーを赤裸々に語って頂きました。

プロフィール
白石 良二さん
株式会社千歳観光( http://www.chitosekanko.co.jp )
代表取締役社長

様々な業界を経て平成6年に株式会社千歳観光へ入社。その後、平成12年に営業本部長に就任、平成17年12月代表取締役社長就任。社業を務めながら、日遊協の理事も兼務されて業界の活性化、健全化にも力を注いでいます。

―白石社長、本日は宜しくお願いします。まずは業界に入られたきっかけからお伺いできますか?

この業界に入るまではいろんな仕事をしていました。旅行会社、一般事務、タクシー運転手…業界に入ったのは28歳くらいで、あるきっかけがあったんです。うちの父親が元々釘師をやっていて、その会社では経理関係がずさんで不正があるんじゃないかということで当時タクシー運転手をやっていた私のところに電話がきて「おまえ、経理を見られるよな?」と聞かれたんです。10日もあれば調べられるじゃないかと言われたのでタクシーの仕事をその間休んで、当時父親が見ていたパチンコ店3店舗のうち1店舗にアルバイトとして入って中身の数字を全部見せてもらったんです。

―そうだったんですね!元々、経理の経験があったんですか?

いや、特になかったです。その日のお金を集めて、入金を数えるくらいで自分でも出来るかなと思いました。その日の売上を数えてどこで計上されるのか、1日目はそこだけ目をつけました。そしたらピッタンコで、自分の目をつけた箇所で不正が行われていたんです。1日ですべて解明しました。お金の流れる仕組みを理解した時、どこでお金が抜かれるのか1日でポーンとわかったんです。でも、タクシー会社には1週間休みをもらっていたし、このホールの経理担当者もクビになるだろうということで、次が見つかるまで休みの間は私が経理を見る事になったんです。

―なるほど。その時がターニングポイントだったんですか?

そうですね。経理を任されたので父親や店長の給料がいくらか知ることになったのですが、その額に驚き、業界に対する魅力を感じたんです。そこで父親に「何ができれば店長になれるんだろう?」と聞いたら「釘調整と、マネージメントだ」と言われました。父親は自分の所に誘ってくれましたが身内の所に入っても甘えが出るだろうからと、知り合いの会社を紹介してもらったのが業界に入るきっかけでしたね。

―そうだったんですね。ちなみに当時は独身だったんですか?

その時、すでに私には妻子がいたので嫁さんと相手のご両親に3年で店長になるから挑戦させて欲しいと話してみました。結局OKはもらえなかったんですけどね…。
なので3年で帰ると伝えて単身でこの仕事を始めました。仕送りもしないといけなかったので寮に住み朝から晩まで働いたんですけどその後、色々あって結局離婚しちゃったんですけどね。

―そうだったんですね。その後、目標の3年で店長になれたんですか?

いきました。約束どおり。
それまで他業種で働いていたので、当時ホールにいた人の生活環境や能力などを見て、人は悪くないけど言われた仕事をこなしているだけで、自分から提案したり接客に気をつけたりという人が少なかったんです。そういう環境を見て、自分が上に立てる部分を率直に感じていました。といっても新人の自分は何ができるわけでもなく、提供できるのは自分の体だけだったから、人が休んでメンバーが少ない時間帯に積極的に働いていたら、半年で主任を拝命しました。

―なるほど。他の人が休んでいる時にこそ積極的に動いていたんですね。

そうですね。主任に抜擢されたけどそれまで業界経験のない、29歳の一般男性でした。
その時に感じたのは、人の2倍働こうと思ったんです。そして、これが結果的に自分にとって大きな財産になりました。人の2倍働くってことは、お店の中に2倍いることになりますし、人より倍の時間ホールにいるからその分様々な部分が見えてくるんです。個人の性格や人と人とのやり取りなどね。目標(3年で店長)がはっきりしていたので人が1年かけてやることを半年で習得できました。自分でも凄く吸収が早かったなと感じます。3年で店長をやると決めた人間が、人と同じ時間しか働かなくていいわけがない、そういう風に思っていましたからね。

―やっぱり目標が決まっていると行動が違いますね。

入社して半年が経ち、釘を覚えるときも、釘師や店長のもとに朝早く、または夜遅くに伺って相手に覚えてもらっていましたけど、【まだ早い】【若い】とすぐには教えてもらえませんでした。そうはいっても教えてもらえないから行かない、ではなく《 目で見て覚える》という考えが強かったので、朝の5時半とかに店に行って釘調整を後ろから見てメモを書いて夜も同じくこの繰り返しをしていたんです。そのうち店長も根負けして、「それじゃあ釘を教えてやるよ」と言ってくれました。

―なるほど。釘を覚えてからはいかがだったんですか?

釘をやらせてもらってからは色々と早かったですね。実際に釘の調整も悪くないという評価もして頂いて、3店舗を回らせてもらっていました。そんなある時に店長が朝いないホールがありまして。何をやっているのかなと思ったら競艇や競馬に精を出していました。この店長も長くないんだろうな~と思いつつ働いていたら、案の定辞めることになったんです。その時、3店舗を主任のトップとして回っていた状態でしたので営業部長から「白石くん、釘はできるか?」と聞かれたので、自信はなかったけど「やります」と言いきりました。それが入社して2年半目くらいですかね。

―当時、出勤しない店長がいた状況の中で白石社長は誰から教わっていたのですか?

それまでに3店舗見て回っていたので、そこそこ店長像も見えてきていました。良い店長というのは、お客様やスタッフとよく話し自分の思いを伝えることができる人でしたね。悪い店長というのは、スタッフとコミュニケーションがないとか怖いイメージを持たれるように仕向けている人が多かったのかな。まあ、店長が居なかったおかげで店舗トラブルを店長代理として自分が解決し結果的に色々と勉強できたので出世のきっかけとなったんですよね。居ないことが逆にチャンスにつながったんです。

―ある意味、実践的な店長研修を受けていたイメージですね。

そうですね、半年くらいで店舗トラブルはすべて自分で解決できるようになりました。
当時は携帯もなかったから店長から連絡がこないかぎり相談もできないので自分で考え行動をしていた事がチャンスだったと思います。もちろん失敗もいっぱいありましたよ。なんでこんなことを決めたんだと店長に怒られたこともありますけどそれらの事がきちんと糧になっていました。店長を拝命したときも店の規模や、やり方も知っていたのでどうすれば売上が伸びるかなどわかっていたのでやりやすかったです。

―店長になられてからの目標はすでに設定されていたんですか?

まずはグループ5店舗中の売上トップ、それから地域トップ、これらは最低やろうと思っていました。4年くらい店長をやって、5店舗のうち3店舗の店長をやって、総括店長もやっていました。

―ではその店長経験を経て、千歳観光さんに入られるきっかけはなんだったのでしょうか?

当時、もうパチンコ店はいいかなって思っていたんです。当時オーナーの息子さんが専務として入社してきたのですが、その人とどうしても合わなかったんですよ。わからないことに対して素直にわからないと言えばいいのに、自分の我を通す人で。どうにも間違ったことばかり言うので途中でぶつかることも多くなってきていまして。こりゃあ会社にとっても良くないな・・・と感じて、営業部長に相談して会社を辞めました。このときパチンコから離れて違う職業をやってみようかなと思ったんです。年齢も35そこそこだったから、まだまだ色々できるだろうと思いまして。そんな時メーカーの人達が「ダメだよ、もったいない」と口を揃えて言ってくれたんですよね。その中のあるメーカーの人から紹介されたのが千歳観光だったんです。

―それが千歳観光さんとの出会いだったんですね。

東京と横浜の違いを不安には思いましたが、一度常務と会うことにしたんです。その人がまた怖い顔をしていましてね、こりゃまずいところに来たなと思いました(笑)。ただ、話してみると現場上がりの人で、話がわかるなというのを感じていました。その日は面接ではないと聞いていたので話をした後にちょっと書類を書いて別れたのですが、それから3日連続、朝に常務から電話があったんです。「入社を決めたか?」と。

―常務としては最初から入社してもらう気持ちだったんですか?

私が「え?面接もしていないのに」と言ったら「ばか、会うということは面接ということなんだよ」と言われまして(笑)。まだ決めてないことを伝えたら「そうか、ならちゃんと決めておけ」と初日に言われて、次の日の朝8時にまた電話がきて「どうだ、決めたか」と。「え?昨日の今日ですよ、まだ決めてない」といったら「そうか」と。3日連続これが続きました。3日も連続で誘ってくれるのだから、縁があるんだろうし、ここまで欲しいって言ってくれているのだから入社しようと決意しました。その旨を伝えたところ「馬鹿、俺が3日も電話かけているんだから早く決めろよ」と言われまして(笑)。しかも「いつから入社ですか」と聞いたら「明日から」って言われたんですよ(笑)。

―また、急な話ですね。

そうですね、1週間分の荷物をバッグに詰めて、とにかく来いと。そこで今の会長にお会いしたのがまたひとつの転機でした。最初に言われたのが「あなた若いね」でした。当時の千歳観光には5店舗あったのですが、50~60歳の店長ばかりでしたからね。
自分は35そこそこの若造というわけですよ。今までいろんな人が入ってきて成長しなかったというのもあるだろうし、こんな若い子で大丈夫なのかな?という不安もあったんでしょうね。入社して引き継ぎもあまりしない状態のまま、上川井店の店長をやることになったんです。そこからすべてが始まりました。当時36歳の時でした。

―千歳観光さんの店長として新しいスタートを切られた最初のハードルはなんだったんですか?

人ですかね。ホールの業務についてこられない人は辞めていくというのもわかっていたので、去るものは追わずという状態でした。自分の考えと合う人間を入れた方がいいというのもあったので、ダメなものはダメ、良いものは良い、ついてこられないものはしょうがないという感じですね。当時の古い体質も残っていたので、僕のやり方に反発し一度に大量の人間が辞めたときもありましたよ。

―そうだったんですね。就任してからは業績はあがったんですか?

アウトは増えなかったです。でも無駄玉を極力排除しました。
それを見て当時の常務に「お客様は増えてないのに、なんで利益があがるんだ?」と不思議がられましたね。前の会社で3店舗分を自分で管理していて、当時のお客様の癖や店の無駄を見抜いたので、どんな店に配属されても、まず無駄玉の排除をやろうと思っていました。データを参考に無駄な部分を調整する、そうするとアウトやお客様が増えていないのに利益だけ増えるんです。

―そういった実績を残したので本部にも認められていくわけですね。では様々な実績を残されて経営陣への信頼も厚かったと思いますが、社長になられるまでの経緯を教えてください。

社長になるタイミングは営業本部長をやっていて、あるとき社長に呼ばれて「あんた社長やってよ」と、ただその言葉だけいただきました。

―それだけですか!?この業界ですと同族経営の企業様が多いと思うのですけど、社長を任命されるケースは稀ですよね?

そういうところは私も感じていたので、目標としていたのは常務だったんです。
それを飛び越していきなり社長だったのでびっくりしましたが「まあ、やってやろう!!」とすぐ思ったのは内部環境を見ていたからですね。古い体質が残っていたので、内部を変えようというのはすごく感じていました。あとはやっぱり自分は現場で生きてきた人間なので、現場で起きたことが会社としての課題だなというのも感じていたんです。そういう意味で現場がもっと風通しの良い環境を作ってあげようかなと考えていました。会長からは何も言われておらず、むしろ好きなようにやんなさいとおっしゃって頂きましたね。

―後半は社長を任命された白石社長の組織改革と、思い描く業界のあるべき姿についてお伺いしました。(後半に続く)

 

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