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TOPから学ぶvol.38 株式会社宇座商事 宇座専務 前編

パック・エックス通信をご覧の皆様こんにちは!まつしまです。

今回は株式会社宇座商事の宇座専務にお話を伺いました。
トップとして心がけられていることはもちろん、
沖縄ならではのパチスロ事情を語っていただきました!

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プロフィール
宇座 信一さん
株式会社宇座商事
専務取締役
他業界での勤務経験を経て、28歳の時に同社入社。
沖縄県遊技業協同組合 青年部会部会長として、
沖縄と本土の架け橋を務める。

パック・エックス通信

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―宇座専務、本日はよろしくお願いします!さて、宇座専務が業界に入られたのはいつですか?

28歳の時です、23年前かな。それまでは東京で全然違う仕事をしていました。結構面白くて、その仕事を気に入ってましたから、戻るつもりは無かったんですよ。

―戻られてからは何から着手されたんですか?

その当時、沖縄ではパチンコがすごく弱かったんですよ。スロットは結構よかったんですけどね。だから、まずパチンコを何とかしなくちゃいけない、っていうので、色んなことやりましたよ。
教えてくれる人もいないし、全部自分でやるしかなかったですから、大変でしたねえ。

―沖縄はスロットが強くて、パチンコあまり良くなかった、というのは何か地域的な理由があったんですか?

沖縄の場合、初めは、遊技場といえばスロットだったそうなんです。どうしてかというと、スロットの機械が軍にあったんですよね。そこから入手して商売を始めた、というのが沖縄の遊技場のはじまりと聞いています。私が生まれる前の話です。
小さい頃に見たことがあるんですが、メカ式の機械でね。ガチャン、とレバーを下ろして、ギーギーっと。
時計の中身みたいな感じでしたよ。

―いわゆる「沖スロ」の原型ってことですか?

そうそう!もともと軍の中は、25セントコインで遊んでいたんですよ。100円よりすこし大きいくらいですね。その流れで、沖スロのコインは30パイで少し大きいんでしょうね。その名残なんです。
昔は、沖縄の人は30パイに馴染みがあるからか、全く同じ機械でも25ハイだと遊技しなかったんですよ。5号機に変わった今では、その風習も崩れつつありますけどね。

―本土の人でも、やっぱり沖スロは大きいコインでないと!というファンもいると聞きますよ。25セントの名残だったんですね。

そうなんですよ。
当時は機械を手に入れるのが大変だったみたいで、あの時はまだ本土の方にはなかったんじゃないかな。
沖スロが電気式スロットになってからは沖縄で定着して、店内の比率でいうと、パチンコが10%くらいであとはすべてスロット、といった感じでした。今ではパチンコの比率もだいぶ上がって、40%くらいでしょうかね。

―それでもやっぱりスロットの比率が高いんですね。ありがとうございます。

宇座専務にとって、トップに立つ人間、リーダーとして心がけていらっしゃることとはどういうことですか?
自分でやってみて、出来るのであれば人に任せられるようなリーダーになりたいですね。
ポイントはまずは自分がやってみる、ということ。釘調整にしても、ホール運営にしても、自分が経験したからこそ出来るアドバイス、ってあると思うんですよね。
店長に対して「売り上げをあげなさい。粗利をあげなさい。」というだけではなく、経験に基づいた具体的なアドバイスがしてあげられますから。
うちはチェーン展開しているわけでもなく、まだまだ小さな組織ですから、全員が経験をして全員が成長することが大切です。そのためにも、どんどん任せられるように勉強したいと思っています。

―続きは後編で!

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