本日の『TOPから学ぶ!』は、有限会社サンエイ(本社:長野、屋号:ニュー東京)の安田常務取締役(前編)にお話を伺いました!
今からさかのぼること約3年前、長野に勢いのあるホールがある!ということで営業に行かせて頂いたのが、安田常務との出会いでした。
当時はちょうど「組織化」を進めようと試行錯誤されている最中で、出玉やイベントだけでは今後お客様に支持されない、接客にも力を入れたい、と色々なことにチャレンジされていました。

それから3年間、組織体制も整いつつあるニュー東京グループ。
そこには、常務の苦悩があり、周囲の助けがあり、部下との絆があり・・。
「うちはまだ発展途上の企業なので」
と、何度もおっしゃる安田常務。これまでの進化の過程をリアルにお聞きしました。
これから益々強くなっていくであろう、注目の企業様です。

ではどうぞ!


プロフィール 安田 英俊さん

有限会社サンエイ

常務取締役

他社で2年間のホール経験後、11年前に入社。

店長から店舗統括を経て、営業のトップを務める。

TOPから学ぶ!!
 
 
 

―安田常務、お久しぶりです!よろしくお願いします。・・・実はずっと聞きたかったことがあるんですが、どうして長野県の企業でありながら屋号が「ニュー東京」なんでしょう?

これね、わからないんですよ(笑)結構皆さんから聞かれるんですけどね。

創業者である祖父が東京に住んでいたことがあって、長野に新しい「東京」を。という思いがこもってるんじゃないか、という話しはしてたんですが、本当のところは誰にも分からないんです(笑)

―えぇ!そうだったんですか。ずっと気になっていて聞いてみたんですが、逆にもやもやします(笑)常務は入社してどのくらいでいらっしゃいますか?

11年になります。

幼い頃は周囲の人や友人に恵まれていたのか、パチンコ屋の息子だということで嫌な思いをしたことはなくて、むしろお店でお菓子やおもちゃが景品コーナーに並んでいる光景を見てわくわくしていましたから、パチンコに対してポジティブなイメージしかなかったですね。

そのせいか、兄も私もパチンコが大好きで、学生の頃は本当にパチンコばっかりやっていました。

でも、社長である父から後を継げと言われたことはありませんでしたね。自分達の好きなことをやれと言われていたんですよ。

私はパチンコは大好きだったけど、最初はこの業界に入ろうという気持ちは全くありませんでした。

それで就職活動したのですが、ある時満員電車乗っていて、俺はサラリーマンにはなりたくない。とすごく強く思ったんですよ。何か人と違うことをやりたい。同世代よりは上を目指したい、と。

かといって明確な夢や目標があるわけでもなくて、ただただ、願望や欲望だけが人一倍な若造でした(笑)

結局そのまま何も決められずに卒業を迎えたんですが、高校の同級生から連絡があって久しぶりに会ったんです。彼は高校を卒業してホールに入社し、当時釘師の見習いをやっていました。

頑張れば頑張っただけ報酬がもらえる、ベンツにも乗れる、学力ではなく実力が報われる仕事だ、という彼の話を聞いているうちに、私の願望や欲望も叶えられるんじゃないかと思って、その彼が働いていたホールに、アルバイトで入ったんですよ。

そこから2年間、本当にがむしゃらに働いて、最終的には社員になり台の調整を任せてもらっていました。 

―そうなんですか!実家のホールで働くという選択肢はなかったのですか?

全然考えなかったですね。社会人経験もないまま、社長の息子として入ったところで、自分自身も社員も仕事がやりにくいだろうし、明確なビジョンが見えるとも思えなかったので。

兄も私が他社ホールに入るのと同時期にメーカーに就職をしたんですが、2年が過ぎた頃、父から「どうせ同じ業界なんだから、帰ってきてやらないか」と。それで兄と一緒に、戻ろうか、ということで入社したのが11年前ですね。

父は、継ぐことを強要してもうまくいくとは限らないし、いずれは帰ってくるだろう、と思っていたのかもしれませんね。結果として、息子二人とも同じ業界に入っちゃって、父の思うつぼでしたね(笑)

―戻られてからは現場、店長、そして営業統括と11年を通して会社とともに歩んでこられた中で、ターニングポイントとなった出来事は?

今から8年前、柳原店のオープンでしょうか。私達が戻った頃は、2店舗経営していましたので3店舗目のオープンです。

それまで長野県では、自主規制として台数制限があったのですが業界に店舗大型化の波がきて、いよいよ長野でも自主規制が撤廃された頃です。父から兄と私の好きなようにやってみろ、と言ってもらい大型店舗をやることになりました。

それまでとは全く違うコンセプトや営業形態。今のニュー東京のベースとなる店舗ができました。

私は店長をやらせてもらったのですが、他社で経験があると言ってもたった2年程度でしたから、大型店いうことで、プレッシャーもありましたし、何も分からないまま、本当に手探りでしたよ。

プライドも何もありませんでしたから、分からないものは分からない、とそのままスタッフの皆に相談したり、特に業者の皆さんが本当に親身になって助けてくださいました。

自分の中に、これまでのやり方だとか、そういった固定概念がなかったのが良かったのかもしれません。

ある意味軽いノリというか、それ面白い!やってみようよ!と、色んなアイデアを取り入れていきました。

その時に始めたことが今でもベースとして残っていますよ。

今振り返ると、その店をオープンしてからの3年くらいが人生で一番勉強した期間でしたね。学生の時は全然勉強してなかったので(苦笑)

その後、同じ年に既存店をリニューアルオープンし、さらにその2年後に中野店をオープンしました。どの店もお客様が大勢来てくださって、本当に有難かったですね。

―とんとん拍子に成功してこられたんですね!

そう思っていたんですけどね、中野店をオープンしたところでグループ4店舗になったんですが、全体を見ながら、店長も兼任して、お店の装飾から調整まで全て私がやっていたので、いい加減パンク状態になりまして。

これは今でも反省点なんですが、当時は「俺がやった」という気持ちが強かったものですから、自分の部下を部下として捉えてなかったんですよね。指示通り作業だけやってくれればいい、と思っていました。

ワンマン、だったのかな。部下には権限を与えずに、ホールの管理だけちゃんとしてくれ、といった感じで。

そうやってきたので当然、人が全く育っていなくて、結果的に自分がパンクしてしまったんです。

もう限界だ、と思ったときに、縁あって業者さんから紹介してもらった方に何人か入社してもらいました。店長経験のある優秀な方ばかりだったので、自分の仕事を任せていけるようになりました。

そうやって仕事を少しずつ引き継ぎながら、3年程前から企業としての組織作りを始めました。そこから人事制度や教育制度など、色んなことをようやく整え出したので、うちで育った店長はまだ1名しかいないんです。

それ以前にいた社員に対しては、本当に申し訳なかったと、今でも思いますね。

正直、お店が成功している時にはあまり感じなかったんですが、その時に初めて、自分ひとりで出来ることは限られている。助けてくれる仲間がいて、自分がいる、ということを本当に実感しました。

同時に、私は本当に人の縁に恵まれているなあ、と思いましたね。

紹介で入社してくれた人達も、誰一人辞めずに今でも頑張ってくれています。 

―素晴らしいですね。部下の方との絆も常務の考えが変わったことによって強くなったのではないでしょうか。

そうですね。正直に言うと、ここ2、3年が一番苦しいと感じています。「組織」という形を作ることによって、やりにくいことが増えたり、トラブルが生じたり。業績だって業界全体もそうですが、落ち込んでいます。

まだ未完成なこの会社を一緒に作っていこう、と話して夢を持って入社してくれた人たちが沢山いる中で、本当に夢を与えられているのか、期待に応えられているのだろうか、という葛藤が常にあります。結果的に、自分の夢に巻き込んでいるだけじゃないかな、と。

それでも、たまに部下とお酒飲むと、そんなことはない、自分達は常務について行くつもりです、と言ってくれるんですよね。それが私の原動力になっています。弱気になっている場合じゃない、また頑張ろう、と思えます。

―それは感動ですね。先日のお誕生日会でも感動されたとお聞きしましたが?

はい、ここ3年くらい部下が中心となって私の誕生会を開いてくれるんですが、実は毎年泣いてます(笑)

今年は、本当に一番泣きましたね。

会社の経営陣としても、営業のトップしても、この2、3年なかなか良い結果が出せてない。

皆がもがき、苦しんでいる状況で、それに対して申し訳ない、という気持ち。それでも、健気に夢を持って頑張ろう、という姿を見せてくれて。感動というより、感謝の気持ちで、もう、ひどかったですね。号泣・・・(苦笑)

日々責任感を感じる中で、どうしても孤立感を持ってしまいますが、俺一人じゃなくて、皆に支えられてるんだ。本当に仲間に恵まれている、と実感しました。

―号泣の安田常務が見てみたいです。素敵な部下の方々ですね。

後編では少しずつ構築してこられたという人材育成について聞いてみました。お楽しみに!(後編へ)

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