パック・エックス通信を御覧の皆様、こんにちは!
編集長のまつしまでございます。
本日の『TOPから学ぶ!』は、株式会社玉越(本社:愛知)の髙木副社長(前編)です!

玉越さんといえば、業界でも注目度の高い企業様ですね。

視察に行かれた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
「街のオアシス」を目指して、地域社会への貢献活動や、お客様の負担が軽減できるようなイス(カンガルーチェア)を自社で開発するなど、独自のサービスを展開されています。

偉大なる創業者である会長と、その会長を裏で支え続け、今では社長として女性ならではの気遣いとリーダーシップを発揮されている社長を心から尊敬しながら、独自の個性を発揮し会社を「企業」へと進化させている髙木副社長へ、入社してからこれまでの軌跡、偉大な両親への思い、今後さらに企業化していくために必要なことなど、お聞きしてきました!

では、どうぞ!

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髙木 宏動さん プロフィール

株式会社玉越(http://www.tamakoshi.com/

取締役副社長

高校、大学時代をアメリカで過ごし、帰国後株式会社玉越に入社。ホール勤務に始まり、本社配属後留学中の経験を活かし、ITの導入を手掛ける。現在取締役副社長として、同社の企業化を進める。

趣味はスノーボード。一時プロを目指したほどの腕前。

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―髙木副社長、本日は何卒よろしくお願いいたします。まず業界に入ったきっかけを教えてください。

この会社で働くことになったきっかけは・・・大した事ない話ですよ(苦笑)
私は高校と大学をアメリカの学校で過ごしました。留学中も特に真面目に勉強しているわけじゃなくて、大学も中途退学をすることになるんですが、その理由がスノーボードだったんです。
ウインタースポーツが大好きで、特にスノーボードにはまりまして、21歳ぐらいのときに「俺はプロになる。」と、大学を中退して、すごい意気込みで帰国しました。
しかしプロになると言っても、そんなに簡単な世界ではなく、しばらく実家でフラフラとしていました。それを見かねた父(現会長)が「お前、まっとうになれ。」と首根っこ捕まえられまして・・・。それで連れてこられたのがうちの店だったんです。
正直、嫌で嫌でしょうがなかったですね。

元々うちは、父が瀬戸の出身で陶器屋をやっていたんです。だけどその商売がうまくいかなくて廃業することになり、私が産まれた年にパチンコ事業を始めることになったと聞いています。
母(現社長)もカウンターでずっと働いていましたから、小さい頃は保育園よりもホールで過ごす時間が長かったですね。ホールをちょろちょろしていると、強面のお客様にゴツンとげんこつをされたりしていましたので、あんまり良い思い出がありませんでした。
そういう環境のせいか、パチンコを毛嫌いしていましたから、もう辞めたくて仕方がありませんでした。今考えると、親の苦労子知らず、とはこのことですね。
でも父には沢山借りがあったし、金銭面でも世話になっていましたので、早くそれを返して、とっとと出て行こう、とずっと思っていました。

―最初はホール業務から始められて今に至るまでに、嫌だ、という気持ちが変化されたんですね。

そうですね。何も教えられないまま、制服を着せられて、鍵を持たされてホールに放り出された。それが私のホールデビュー第1日目でした(苦笑)
今でこそ笑い話ですが、俺は何でこんな格好してるんだ?と疑問で、何をしていいのかも分からず、ホールをうろうろしていました。
感覚としては、アルバイト以下で、やる気のかけらもありませんでしたね。もうとにかく嫌でしょうがなくて、全てをプラスに捉えることが出来ませんでした。

それがある時期から少しずつ変わり始めるんですが、一つのきっかけとしては、当時勤めていた店は、そんなに稼動が良い店じゃなかったんですが、その当時勤めていた人達が一生懸命ホールを走り回っている姿をみて、自分は何をやっているのだろう、と考えさせられたことです。
社長の息子で特別枠のような形で入社してきて、変な話、一番不真面目なわけでしょう。それに対してみんなも色々思っただろうけど、何も言わずにやらせてくれていました。
みんなの姿を見て、「何の役にも立てていない。これじゃよくないんじゃないか。」と思い始めました。そこに至るまで、結構時間がかかりましたけどね。そう思い始めてからは、働くのが楽しかったです。
ちなみにその頃の仲間は、今でも残って頑張ってくれているんですよ。

2年くらいで本社に配属され、新しいテーマを与えられました。情報企画課という部署に配属されたのですが、当時はコンピューターがほとんど普及・浸透しておらず、ちょうどIT化が進んでいた頃で、それを整備するという仕事でした。アメリカにいた頃に授業で少しかじった程度だったのですが、ちょっと知っている、ということで任せてもらいました。必要とされているという感覚で、とってもやりがいがありましたね。

―仕事をするうえで、「必要とされている」と感じることは、何よりモチベーションがあがりますよね。いち早くIT化に取り組まれたからでしょうか、御社は「企業化されている会社」というイメージが強くあります。

そう言って頂けると嬉しいですね。まだまだですが、そういうところは目指しています。
私の父もそうですが、創業者の方々というのはものすごいカリスマ性があって、会社が「家業」っぽくなってしまうのはしょうがないことだと思います。
ただそこから脱却していかないと、時代の流れについていけなくなり、企業としては衰退していきます。企業化を進めるのは、私達2代目、3代目の仕事なのかもしれませんね。

―なるほど。そういった役割を意識されているのですね。今のお役職は副社長でいらっしゃいますが、主なお仕事とはどんなことでしょうか?

何でも屋ですよ(笑)何でもできないとダメだ、と常に叩き込まれてきました。
お店も回りますが、現場にずっと張り付くというのは今はありませんね。
どうしても社外に出ることが多いですね。セミナーや異業種交流会、社会貢献活動など。全ては社業のため、というポリシーに基づいてやっていますが、自分自身が一番鍛えられていると思います。セミナーなどで同業の方はもちろん、異業種の方にもお会いするご縁が沢山ありますが、そういったご縁も自分を変えるきっかけになりましたね。すごくありがたいことです。

―ありがとうございます。髙木福社長が思われるトップとして必要な要素、また心がけていらっしゃることとはなんでしょうか。

私の場合、父が現役でリーダーをやっていますので、現状はその背中を追いかけながらなんですが、その中で、自分の考え方次第で出来るし、自分もそうありたいなと思っていることは、常に元気でいることです。
健康面でもそうですし、明るくて、どんなに辛いときでも、嘘ついてでも(というと極端ですが)、リーダーが明るくないといけないと思います。そういうことを本当に実践できる人が本物のリーダーだと思います。
ちなみにうちの父は元気の塊なんですよ(笑)それって、よくよく考えるとすごいことなんですよね。
その人がいると安心できるとか、その人がいるから自分も頑張れるとか、やっぱりリーダーが下を向いていたり愚痴ばかり言っていたら、雰囲気も湿っぽくなりますしね。人間だし、気分のバイオリズムとか環境とかいろんなことがあると思いますが、そういうことを感じさせないというか。そういうのがリーダーの魅力であり、必要なことだと思います。

―タイトルにもなっている「パチンコは平和産業」という言葉は、あのゴルバチョフ元大統領に頂いた言葉だそうです。その時のエピソードは、後編でお送りします!
続きは後編で◎

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