パック・エックス通信を御覧の皆様、こんにちは!
編集長のまつしまでございます。
本日の『TOPから学ぶ!』は、株式会社ヒカリシステムの金光社長(後編)です!

後編では、前回少しだけ触れた、金光社長が社長就任されるまで、
そして、予定よりだいぶ早くに就任することになってから、手探りで取り組んできたことを詳しく教えて頂きました。
業界の諸先輩方から色んなことを勉強する中でも、
前回インタビューにも出て頂いた平成観光の東野専務からは、
明るく、前向きで変化を恐れない姿勢にとっても影響を受けているそうです。

お話を聞けば聞くほど、
謙虚に学び、貪欲に吸収し、徹底してオリジナルにしていく姿勢に、
金光社長の「パチンコで世の中の人の暮らしを変える!」という信念を感じました。
同じ業界で働くものとして、志の高さにとても感動しました。

では、続きをどうぞ!

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―では、金光社長がヒカリシステム入社された経緯についてお聞きします。
大手化学メーカーに約4年間勤められた後、入社されたそうですが、戻られたのはどういった経緯でしたでしょうか?

当時、チェーンストアとしてヒカリシステムの改革を始めた父が『これから、チェーンストアとして店を変えていく。今の会社の社長を目指すか、ヒカリシステムの社長になるかはおまえが決めろ』と書いた手紙と、何十冊ものチェーンストア理論の本を送ってくれました。

業界の最盛期とされた1995年には1万7631店あったとされるパチンコ店。しかし、それから数年後の2000年当時には、景気低迷や規制強化などの逆風を受け、大きな変革期を迎えようとしていました。まじめで堅実な父を信頼していましたので、父の気持ちは私の胸に響きました。

「私が、会社と時代を変えよう」と、大手企業を辞め、大手企業を作る立場へ。ヒカリシステムへの転職を決めました。(ヒカリシステムHPより)
経緯は、HPに記載している通りなんですが、その時の心境としては正直、半分は野心で、半分は義務感でしたね。野心というのは、先日お亡くなりになったチェーンストア理論で有名な渥美俊一先生にすごく影響を受けています。

渥美先生の本を読んだときに、「世の中の暮らしを変えるんだ」という志に、すごく共感・感動を覚えたんですね。

当時、大学出て就職した会社では業績が伸びていた部署に配属され、若いうちから海外の企業との取引などを任せてもらえて、自分が思い描いていたような環境での仕事ができました。

大きな会社でしたが、フランクで手を上げればやりたいことをやらせてもらえる風土があり、とても楽しかったしやりがいも感じていましたが、どうせいちプレイヤーとして仕事をしていくのであれば、渥美先生が思い描くような「生活を変える仕事」をしたい。そのくらいの志を持ってやりたい。と思ったんです。

であれば、全く何も無い0のところからよりも、父の会社にいる人や資源というような出発点が合った方がいいだろうなと。言ってみれば甘えた野心ですね。

もう半分の義務感は、長男でしたし、正直、幼い頃は父の商売の中身を知らなかったけど、自分を含め兄弟が学校へ行かせてもらえて、不自由を感じることなく生活させてもらえたのは、多分父の仕事のおかげだ、と思っていました。

多分どこの中小企業でも悩みどころである事業承継の問題、後継者がいない、というところに少しでも役に立てるのであれば。という気持ちが半分でした。

会社の状態などは全く分かっていませんでした

父は、絶対に継がせる、という思いは無かったようです。就職活動をするときも、お前の人生なんだからお前が決めなさいと、相談にはのってくれましたが、あそこに行け、これをやれ、とは一度も言われませんでしたね。

―入社されて、はじめはどんな役割に就かれたのでしょうか?

ホールで働いた経験がほぼ無かったので、まず他社さんで半年ほど勉強をさせて頂き、その後営業担当の取締役としてヒカリシステムに入社しました。

でも、釘は叩けないですし、何が出来るわけでもなかったんですよね。

とりあえず、他社さんや、ペガサスクラブ(チェーンストア経営の研究団体)で学んだことをそのまま会社で全部やってみよう!とやり始めたんですが、結果は・・全部はずれました。

一生懸命勉強会などをやるんですけど、僕は実務知らないで理屈だけだし、現場は「また変わったこと言い出してるぞ。お手並み拝見。」という具合に様子見をしていて、噛み合っていませんでした。うまくいくわけないがないですよね。

例えば最初に、基本的に本部がコントロールして、現場はオペレーションに徹するべきだ、と中央集権のやり方を、たかだか6店舗くらいの時にやろうとしました。

全然業績もあがらないし、本部の間接費ばっかり大きくなって。店長はお留守番坊や状態で・・うまくいきませんでしたね。やっぱり店舗へ権限委譲していかなければ、と元に戻すと、店長にブランクがあるので、また決裁を持ってもなかなか上手く行かなかったり・・・。

それでもやっぱり、機械選定や、イベント立案など現場でやったほうが、断然成果が上がりました。

今でも機械選定など、ほとんどのことは店長に任せています。予算は一応ありますが、評価の対象はお客様の数と営業利益。それのみです。

だから、機械を買わずに、粗利を落とす店もありますし、どんどん粗利を上乗せして、機械を買う店長もいます。初めは稼動でやっていたんですが、台数が増えたり減ったりしたときによく分からなくなるので、じゃあお客様の数だ。と変更しました。

去年から比べて一人でも増えていれば、成長しているし、減っていれば市場環境の変化に対応できていない、ということなんですよね。

あとは、先ほど言ったように、会社が花を咲かせて、実を育て、また種を蒔くためには、営業利益というのは必要。ということで、その二つの指標で評価をしています。

―代表取締役に就任されたのは2004年と、入社して4年で就任されていますが?

創業社長である父の癌が再発したのが2004年。1度手術をして、落ち着いていたのが再発したので、今度はもうダメだろう、と、父も覚悟を決めたんだと思います。再発した瞬間に代表取締役変わりました。

私を連れて、お取引先の銀行へ挨拶に行ったり、12月の社員大会で社員の方に「これから私が会長で、息子が社長になる。よろしくお願いします」と、深々と頭を下げた父の姿を見ながら、予定よりも大分早いタイミングでしたが、少しずつ社長になる、という覚悟が出てきましたね。

その後、すぐに父は亡くなって、何となく、社長になっても5年間くらいは父がいて、色々と教えてもらう。とイメージを持っていたんですけど、何も無かったですね。

―就任されて、苦労したのはどんなことでしょう?

世代交代の時によく聞くように、一斉に退職者が出たり、ボイコットがあったりということはなくて、割と平穏無事に移り変わったという印象です。

というのも、父の時代に古い体質や考えの社員さん達、例えば社員研修をすると言ったときに「勉強をしたくないからパチンコ店に入ったのに、どうして勉強しないといけないんだ」と言う人達が、一斉に退社したんですね。年齢でいうと、ちょうど50歳前後の層がいないんですよ。30代後半からその下は詰まっているんですが。

だから残ったのは素直な方ばかりで、いわゆる「抵抗勢力」もいなかったんですが、裏を返すと強烈なカリスマ社長がいて、この人の言うことを聞いていればなんとかなる、という支持待ち型の組織になっていたのかな、という印象でしたね。

トップなんて飽きっぽいですから、何か指示が飛んできても、「はい、やります」と言ってやり過ごしていれば、忘れてしまうだろう。っていうような雰囲気ですよね。今でも多少、その傾向はありますよ。

どっちかというとそっちの方が苦労はあると思います。正面きってぶつかってくれる人の方が、腹を割ってとことん議論ができますからね。何となくやり過ごされて、ごまかされてしまうと、現場で何が起こっているかも分からなくなります。

結局僕は、そりゃトップが悪いと思いますけどね。指示したことを、手を放して任せてもきちんとチェックしなければいけないんですよ。そのためにも、チェックする基準、仕組みが必要ですね。

―どんな風に社内改革されてこられましたか?

何度もいいますが、やっぱり他社さんの真似から始めましたね。

父が亡くなってから、地元の先輩経営者の方が中小企業の勉強会があるから、と誘ってくれて、業界関係なく色んな会社のやり方見せてもらいました。

また、同友会で割と年の近い経営者の人に色々と教えてもらったり。一番影響を受けたのは、このインタビューのご紹介を受けた平成観光の東野さんですけどね。

あの方はとにかく明るくて、いつも前向きですよね。変化することを全く躊躇しなし、言いたいことはズバズバ言う。もっともっと良くなりたい!という向上心の塊ですよ、実際成果も出されていますしね。

当然意見が合わないことや、やり方が違うことはありますけど、根本の「現状維持では満足いかない。」というところは一緒で、本当に共感します。

先ほど社外の人ともお酒を飲む、という話をしましたが、ちなみに昨日も東野さんと3時まで飲んでいました。

東野さんには、うちの嫁より金光君と会ってるよ、って言われます(笑)

遊んでいるように見えるかもしれませんが(笑)そういう機会を出来るだけ持つようにして、尊敬する先輩方から色んなことを教えて頂いて、会社に取り入れています。

―御社HPで、「家業が企業になった。次は企業を産業にするために。」と記載されていますが、何を変えたらもっと産業に近づくとお考えでしょうか?

カッコいい言葉で言うと、ビジョン、志というか、そういうことじゃないですか。

自分達が「日本の生活を変えたい」とか「世界の遊びのシーンを変えたい」とか。

インターネットや携帯が普及したことによって、人間の生活は良くも悪くもゴロっと変わりました。どうせやるなら、そのくらいインパクトのあることをしたいと思うんです。

パチンコは娯楽。所詮遊び、と捉えるんじゃなくて、「パチンコで人間の生活を変える」と、それだけの志を持つのか、とりあえず何店舗増やせばいいや、とか利益がこれだけあがればいいやとか、車買えればいいやとか、そういう自分の小さな志で仕事をするのか。僕は前者でありたい。

業界、というところから、さらに外の視点で話ができるように、経営者として僕らも、もっと勉強もしなければいけないし、発信していかなければならないと思います。

より多くの人たちの生活に影響を与える、生活を変えるように。

遊びってビタミン剤だと思うんです。たんぱく質とかカルシウムとはちょっと違うけど、やっぱりビタミンがないとバランスが崩れるし、あることによってイキイキとした生活がおくれる。そういうものを提供したり、発信していきたい、というビジョンを業界皆で持てれば産業として大きく発展していくと思います。

持てると思いますけどね。こんな面白いことないんだから!

―これからの夢や目標を教えてください。

会社としては、まず地元のエリアの中で、会社としてきちんと認知してもらえるようにしたいと思っています。

小さいころからパチンコ店をやっている、ということに対して引け目のようなものはありましたね。

私は、自社のことを「アミューズメント業」と言うのが嫌いなんです。新卒採用でも「アミューズメント業」ではなく、「パチンコ業」だと堂々と言いたい、という何か意地のような思いがあるんですが、裏を返すと、小さい頃胸を張って言えなかった。ということがあるんですよね。

身近なところでは、採用をする時に、本人は入社したいけど親御さん、親戚が反対する、という話を目の当たりにすると、悲しくなりますね。中身見てください!と思いますよね。

そういう思いもあって、パチンコ屋ではなく、ヒカリシステムと言う会社として認知してもらいたい。

あそこで働いてよかったね、と言われる会社を何とか作りたい、と思っています。

個人的には、社長を継いでくれるような人ができるような会社にしていきたいですね。

当社の中には、血縁は一切いないんですよ。あえて入れないようにしています。

血縁じゃない人が、社長をやりたい!といってくれるような状態にして、バトンタッチしたいと言うのが個人的な夢ですね。まだまだ先の話ですけどね。

産業としては、さっきも言いましたが、「世の中の生活がパチンコがあることで変わった。」と言ってもらえるような、そういう商売にしたいですね!

―インターネットや携帯電話が人の暮らしを大きく変えたように、「パチンコが世の中の生活を変えるんだ」と、この業界にいる人全員がそういう志を持って日々仕事をすれば、すごいことが起こりそうな気がしますね。

金光社長、ありがとうございました!

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