パックエックス通信

株式会社ヒカリシステム、金光淳用社長 TOPから学ぶ

金光淳用/株式会社ヒカリシステム 代表取締役。1996年3月 慶應義塾大学経済学部卒業後、大手化学メーカー入社。2000年2月 ヒカリシステムに入社し、同年5月 取締役に就任。2004年11月 代表取締役社長に就任

本日の『TOPから学ぶ!』は、株式会社ヒカリシステムの金光社長です!創業者であるお父様は癌で急逝。その結果、金光社長は予定よりもだいぶ早く社長に就任されたそうです。ディズニーランドでの採用選考会など、独自の面白い取組みにも積極的に取り組む。そんなお店作り、企業作りの秘訣を話していただきました!

金光社長、本日はどうぞよろしくお願いします。初めに、本日伺ったら、本社の入口に「パック・エックス松島様 ようこそ!」というウェルカムボードがおいてありました!感動しました・・ありがとうございます!

喜んで頂いてありがとうございます。真似です、真似。他社さんのいい所はすぐに真似させてもらって、実践してるんですよ。

真似なんですか!他にも面白い取り組みを沢山されてますよね。例えば新卒採用について、ディズニーランドで選考会をされるそうですね!

新卒採用は、平成8年から断続的にやってます。1期生がちょうど僕と同じ歳なんですよ。それで、2008年の採用の時にプチバブルにあたって、採用実績が0だったんですよね。あと、それ以前に入社した新卒も、結局あまり定着しなくて、色々と見直そう、ということになりました。

「採用活動は営業活動」ですので、学生さんが惹かれるような目立つことをやろう。と考えた時に、ディズニーランドなら来てくれるだろう!という話になりまして。

「ラッキー!ディズニーランドに行ける!」って、そういう邪心を持った学生をいっぱい採用しようって(笑)集合して、グループで行動するんですが、色々と課題があるんですよ。キャラクターからサインを貰ってくるとか、お土産を買ってくる、とか。それを点数制にして選考をします。

最初はとにかく目立とう、人に集まってもらおうっていう作戦だったんですが、やってみたら無駄も多いんですけど、口コミでだんだん広がって注目してもらえるようになったし、半日くらい行動観察をするので、採用担当の見る目も養われるんですよね。

私もディズニーランド選考会、参加したいです。HPを拝見しても、内容が凝っていたり、店長さん全員のリレーブログがあったりと、本当におもしろいですよね。

最初に言いましたが、全部真似なんですよ!他社さんの面白い取組みはすぐにパクリます(笑)オリジナリティ、個性が大事といいますが、自分自身が発明したものってあまりなくて、ほとんどが既存の物のブラッシュアップや組み合わせなんですよね。

真似すること自体は割と簡単に出来ますが、大事なことはそれをどれだけ徹底してやっているかってこと。良いモノを真似して真似して、何回も繰り返してやっていくことで、ヒカリシステムっておもしろいね、って言ってもらえると思います。

お店のサービスでもそうですよね。やったりやらなかったりすると、一度そのサービスを受けたお客様の中には、やってもらえるという期待がありますので、その期待に応え続けることでファンになって頂けると思います。だから、僕がマルハンさんをすごいと思うのが、確かに玉の出し方とか色々とあるでしょうけど、一つ決めたことを徹底しているすさまじさというか、ここまでやるか、と感じます。

僕たち他社が、そういった形すら真似できないのに、イズムだなんだと言ってもできないでしょう、と思いますね。うちは、罰金取ってやっと形が出来るかな、と言う段階です(笑)繰り返しやっていくためにはルール化、仕組み化は必要だと思います。自分達が楽するためにもね。

ただ、うちでもそうなんですが、仕組み化してしまうと、それをこなすのにいっぱいいっぱいになってしまって失敗するんですよね。仕組みはあくまで根本の部分であって、その先に自由にやれることがあるのに、それができない。本人の能力もありますが、あまりにもがんじがらめにしてしまうとできなくなります。

なんでもそうですが、社内のルールでも、一旦決めて変えないというのは一番よくないと思います。やってみてよくないことは見直そう、PDCAサイクルをぐるぐる回そう。それを会社のありとあらゆるところに組み込んでいくんです。

だから基本的にどんな仕組みでも、1年1回は必ず見直すようにしています。

確かに、継続するためには「仕組み」があった方が自分達もやりやすいです。新卒採用のお話に戻りますが、始められたのはかなり早い時期ですよね?

そうですね、平成8年からなので、業界の中でも早い方だと思います。結構何でも早い時期にやっていましたね。TVCMを出したり、CR機を入れたり。創業社長である父が、新しいもの好きでしたので。

新卒採用も断続的に行っているんですが、まだ新卒から店長になっている人がいないんですよ。私の感覚として、良いナンバー2は沢山いるなと思います。

ところが、トップってある程度わがままで、言うこととやることが違ったり、ガムシャラにやるときはやるんだけど、お行儀なんかかまってられない!と言うような破天荒な部分があるじゃないですか。そこを持っている人っていうのがちょっと少ないかな、という感覚です。

良い補佐官にはなるんだけど、トップに求められていることと、ナンバー2に求められることは違うと思うんですよ ね。

トップに必要なことをもう少し具体的に教えていただけますか。

うーん。色で言うと、黄色とか赤っぽい人。逆に緑や青はあんまりトップは持ってはいけないかな。

黄色とか赤って、右脳型。直感的で、抽象的な言葉やイメージを描くことで相手に伝える能力というか、逆に緑や青というと、左脳型、論理的で全てを数値化して語るようなタイプなんですが、トップは右脳重視の方がいいと思うんですよね。僕も本当は緑や青が多いタイプなんですが、先日、右脳・左脳と論理的・抽象的の組み合わせで思考の癖を解析してくれるテストがあるんですが、それをやったら黄色の範囲がすごく大きくなっていました。

恐らく社長としての役割を演じていて、本当はすごく理屈っぽい人間なんだけど、そうならないように努めているんだと思います。

「思考」って、訓練で変わるものなのですか??

出来ますよ。人間って、何でも練習すればうまくなると思います。数値が苦手って言ってても、経理の仕事を3ヶ月もやれば慣れますし、生活習慣にしても、いきなりガラっと変わらなくても、朝起きて散歩するとか、習慣化すれば上手になります。脳ってフレキシブルな器官らしくて、例えばポジティブな言葉をずっと使っていれば、前向きな思考の習慣がつくし、ネガティブなことばっかり言っていると、どんどん後ろ向きになるし。

実際自分でそういうこと勉強しながら、確かにそうだな、と実感していますので、自分は社長としてのあるべき姿を実践しようと思っています。あんまり細かいこと考えないで大雑把にやろう、とか。こうなりたいな、と思う人達と積極的に交流を持っているとだんだんそうなります。

だから、店長でもそうですが、これまでナンバー2をやっていた人でも、トップのポジションについたら、当然仕事の役割を意識して変えなければならないと思います。今までキャッチャーをやっていた人が、ピッチャーになるようなものですからね。

ポジションにあわせて、自分が求められている行動と、自分が持っているどうしても変えられないこと、強みをすり合わせていくことは絶対必要。部長が社長になったのに、いつまでも部長の仕事をしてると困るわけですよね。

それはどうしたらいいのというと?同じポジションの仲間と話したり聞いたりして、とにかく真似してみることですね。

7店舗の店長同士で話されたりするんですか??

そうですね。うちの会議って、すごく淡々とやるんですよ。現場の状況、競合の状況、スタッフの状況、来月の方針。を淡々と。もちろんこれが完成形では無いですが、喧々諤々と議論をする場ではないなと思っています。

なので、お酒を飲みながら本音で話せる機会を設けたりしています。店長同士でもそうですが、半期に2回は各部署で、上司と部下はマンツーマンで食事や飲みに行くことを義務付けてます。

僕自身も、エリア長二人、取締役二人とそれぞれ月に1回、あと現場の皆とも行きますよ。なんだかんだで年間で80日くらいは、会社の人とお酒飲んでますね~。同じくらい外の人ともお酒飲んでます。自分自身がお酒が嫌いじゃない、といいうことと、そういう日本的なウエットな部分って無駄じゃないと思うんですよね。特にうちの場合、業績が落ちるときって、競合、機械、規制がどうということではなく、店舗の中でのコミュニケーション不足なんです。

例えば店長に対して言いたいことがあるのに、一歩踏み込んで意見を言わない。うまくコミュニケーションが取れないが故に、お客様への対応が遅れがちになる。結局その一歩が、一日、半月、一ヶ月と競合店との差になっていくと思うんです。

過去にあったことですが、トイレに灰皿を1個置いてくれ、とお客様に言われたのに、伝達が出来てなくて1ヶ月後に何にもやっていない。ライバルはその日のうちにやっている、というような小さなことの積み重ねが、大きな差になるんです。仕事の役割で言うと、物事を決定する人がトップで、決定した方針を実施するのが幹部。

現場でいうなら、トップは店長です。店長が決断を下せるような情報をあげて、決定されたことに対して実施するのは役職者やその部下達です。数値責任を負っているのは店長なんですよね。店長が持っている権限を部下に委譲することはあっても、結果何かあったら責任を取るのは店長。

責任を取るべき人が、決定するという仕事にきっちり集中するためには、お客様の声や競合の状況を、部下が情報として伝えないといけません。店長が100%一人で把握するのは不可能ですからね。だからこそ、普段から役割の共通の理解、コミュニケーションの訓練ができていないとなかなかうまくいかないと思います。今でも業績が落ち込んでいる店を注意して見ていると、部下が店長に対して思っていることを溜め込んで言わないとか、店長が自分の悩みを部下に話せないで、部下は見ているしかない。みたいな事が起こっているんですよね。

そうなってしまったら、どこか人を異動したり、組み合わせを変えるしかないんです。

お店のそういったよくない変化にはどうやって気付いて、どう対応されますか?

僕もそんなに現場に行ってないので、年中見ているわけではありませんが、まず数字がおかしくなりますね。それでお店行ったら、店長とスタッフの会話が噛み合わない。店長が話し始めるとみんなが話をしなくなる、とか。あとは、良いことばっかり報告しはじめたら、作文じゃないかなと思いますね。悪い情報ほど早く欲しいのに、それが上がってこないってことは、多分僕自身もはだかの王様になっているし。

対応に関しては、なるべく自分では手を出さないようにします。異動だとか必要であれば提案してもらって、納得いけばそのままやりますね。いっぱい失敗もしますけど、やってみないとわからないですからね。

お店の改装なども、ほとんど任せられているとか?

そうですね。ああしろ、こうしろとは言わないようにしています。設備業者さんの選定、機材の選定とか、プレゼンという形で持ってきてもらっていますね。気に入らないと「なんで?なんで?」と突っ込みますけど(笑)絶対譲れない部分って言うのはありますからね。

例えば、会社って潰れちゃいけないじゃないですか。もちろんお客様の満足度はありきですが、会社潰さないためには絶対この業績をあげないといけない、という条件があって、その条件をクリアしていないと、どんなにいいことでも、長続きしない。そういうことはやっぱりやっちゃだめだと思っています。

単なる「いいこと」ではなく、成果の出ることをやらなければならない。もちろん「いいこと」はやるべきです。でも花を咲かせたら実をならせて、もう一度種を蒔かないと、また花が咲かないですよね。花だけ咲かせて自分達だけいい思いをしておしまい。というのは、経営者として卑怯だと思うんですよ。

僕らも、諸先輩方が努力してこられた結果、仕事があって、家族を養えて、お客様に来て頂けている、という歴史があります。自分達も、後世に残していかないといけないと思います。

色んなことを任せる中でも、店長さんに求めていることはどんなことでしょう?

好奇心。それと、諦めないことですね。1ヶ月、2ヶ月の失敗くらいで諦めないで、どんどん挑戦して欲しい。

機種選定とかでも守りに入らないで、さっきの役割の話じゃないですが、ちゃんとナンバー2に補佐してくれるような人を置いて、どっちかというとイケイケドンドンでやって欲しいですね。

お金を使うことを恐れないこと。稼ぐのは技術だけど、使うのは芸術だ。って言いますよね。稼ぐのは何となく稼げると思いますけど、使い方というのは、失敗を繰り返さないと上手にならないと思うんですよ。

それに、お金をつかうと言うことは、行動するということです。正しいことだけをやろうとすると動きがとれなくなるので、とにかくアクションの回数を増やすことですよね。何処の会社の社長も、いっぱい失敗をして、会社に一番損害を与えているはずなんです。でも会社は潰れてないわけですから、店長の失敗で会社が潰れることはありません。思いっきりやって欲しいです。

うちの店長には、半年に1回くらいは自分で穴を掘ってでも失敗しろ。って話しています。過去に失敗して、それを検証してきたことが、必ずその後にいきてきますから。失敗しない=何もしないってことなんですよね。伸びようとおもったら絶対に失敗するし、無駄もでる。

なんだかんだ言っても店長って、その会社や店のエンジン役ですからね。

では、金光社長がヒカリシステム入社された経緯についてお聞きします。大手化学メーカーに約4年間勤められた後、入社されたそうですが、戻られたのはどういった経緯でしたでしょうか?

当時、チェーンストアとしてヒカリシステムの改革を始めた父が『これから、チェーンストアとして店を変えていく。今の会社の社長を目指すか、ヒカリシステムの社長になるかはおまえが決めろ』と書いた手紙と、何十冊ものチェーンストア理論の本を送ってくれました。

業界の最盛期とされた1995年には1万7631店あったとされるパチンコ店。しかし、それから数年後の2000年当時には、景気低迷や規制強化などの逆風を受け、大きな変革期を迎えようとしていました。まじめで堅実な父を信頼していましたので、父の気持ちは私の胸に響きました。

「私が、会社と時代を変えよう」と、大手企業を辞め、大手企業を作る立場へ。ヒカリシステムへの転職を決めました。(ヒカリシステムHPより)経緯は、HPに記載している通りなんですが、その時の心境としては正直、半分は野心で、半分は義務感でしたね。野心というのは、先日お亡くなりになったチェーンストア理論で有名な渥美俊一先生にすごく影響を受けています。

渥美先生の本を読んだときに、「世の中の暮らしを変えるんだ」という志に、すごく共感・感動を覚えたんですね。当時、大学出て就職した会社では業績が伸びていた部署に配属され、若いうちから海外の企業との取引などを任せてもらえて、自分が思い描いていたような環境での仕事ができました。

大きな会社でしたが、フランクで手を上げればやりたいことをやらせてもらえる風土があり、とても楽しかったしやりがいも感じていましたが、どうせいちプレイヤーとして仕事をしていくのであれば、渥美先生が思い描くような「生活を変える仕事」をしたい。そのくらいの志を持ってやりたい。と思ったんです。

であれば、全く何も無い0のところからよりも、父の会社にいる人や資源というような出発点が合った方がいいだろうなと。言ってみれば甘えた野心ですね。もう半分の義務感は、長男でしたし、正直、幼い頃は父の商売の中身を知らなかったけど、自分を含め兄弟が学校へ行かせてもらえて、不自由を感じることなく生活させてもらえたのは、多分父の仕事のおかげだ、と思っていました。

多分どこの中小企業でも悩みどころである事業承継の問題、後継者がいない、というところに少しでも役に立てるのであれば。という気持ちが半分でした。会社の状態などは全く分かっていませんでした

父は、絶対に継がせる、という思いは無かったようです。就職活動をするときも、お前の人生なんだからお前が決めなさいと、相談にはのってくれましたが、あそこに行け、これをやれ、とは一度も言われませんでしたね。

入社されて、はじめはどんな役割に就かれたのでしょうか?

ホールで働いた経験がほぼ無かったので、まず他社さんで半年ほど勉強をさせて頂き、その後営業担当の取締役としてヒカリシステムに入社しました。でも、釘は叩けないですし、何が出来るわけでもなかったんですよね。

とりあえず、他社さんや、ペガサスクラブ(チェーンストア経営の研究団体)で学んだことをそのまま会社で全部やってみよう!とやり始めたんですが、結果は・・全部はずれました。一生懸命勉強会などをやるんですけど、僕は実務知らないで理屈だけだし、現場は「また変わったこと言い出してるぞ。お手並み拝見。」という具合に様子見をしていて、噛み合っていませんでした。うまくいくわけないがないですよね。

例えば最初に、基本的に本部がコントロールして、現場はオペレーションに徹するべきだ、と中央集権のやり方を、たかだか6店舗くらいの時にやろうとしました。全然業績もあがらないし、本部の間接費ばっかり大きくなって。店長はお留守番坊や状態で・・うまくいきませんでしたね。やっぱり店舗へ権限委譲していかなければ、と元に戻すと、店長にブランクがあるので、また決裁を持ってもなかなか上手く行かなかったり・・・。

それでもやっぱり、機械選定や、イベント立案など現場でやったほうが、断然成果が上がりました。今でも機械選定など、ほとんどのことは店長に任せています。予算は一応ありますが、評価の対象はお客様の数と営業利益。それのみです。

だから、機械を買わずに、粗利を落とす店もありますし、どんどん粗利を上乗せして、機械を買う店長もいます。初めは稼動でやっていたんですが、台数が増えたり減ったりしたときによく分からなくなるので、じゃあお客様の数だ。と変更しました。去年から比べて一人でも増えていれば、成長しているし、減っていれば市場環境の変化に対応できていない、ということなんですよね。

あとは、先ほど言ったように、会社が花を咲かせて、実を育て、また種を蒔くためには、営業利益というのは必要。ということで、その二つの指標で評価をしています。

代表取締役に就任されたのは2004年と、入社して4年で就任されていますが?

創業社長である父の癌が再発したのが2004年。1度手術をして、落ち着いていたのが再発したので、今度はもうダメだろう、と、父も覚悟を決めたんだと思います。再発した瞬間に代表取締役変わりました。私を連れて、お取引先の銀行へ挨拶に行ったり、12月の社員大会で社員の方に「これから私が会長で、息子が社長になる。よろしくお願いします」と、深々と頭を下げた父の姿を見ながら、予定よりも大分早いタイミングでしたが、少しずつ社長になる、という覚悟が出てきましたね。

その後、すぐに父は亡くなって、何となく、社長になっても5年間くらいは父がいて、色々と教えてもらう。とイメージを持っていたんですけど、何も無かったですね。

就任されて、苦労したのはどんなことでしょう?

世代交代の時によく聞くように、一斉に退職者が出たり、ボイコットがあったりということはなくて、割と平穏無事に移り変わったという印象です。

というのも、父の時代に古い体質や考えの社員さん達、例えば社員研修をすると言ったときに「勉強をしたくないからパチンコ店に入ったのに、どうして勉強しないといけないんだ」と言う人達が、一斉に退社したんですね。年齢でいうと、ちょうど50歳前後の層がいないんですよ。30代後半からその下は詰まっているんですが。

だから残ったのは素直な方ばかりで、いわゆる「抵抗勢力」もいなかったんですが、裏を返すと強烈なカリスマ社長がいて、この人の言うことを聞いていればなんとかなる、という支持待ち型の組織になっていたのかな、という印象でしたね。トップなんて飽きっぽいですから、何か指示が飛んできても、「はい、やります」と言ってやり過ごしていれば、忘れてしまうだろう。っていうような雰囲気ですよね。今でも多少、その傾向はありますよ。

どっちかというとそっちの方が苦労はあると思います。正面きってぶつかってくれる人の方が、腹を割ってとことん議論ができますからね。何となくやり過ごされて、ごまかされてしまうと、現場で何が起こっているかも分からなくなります。結局僕は、そりゃトップが悪いと思いますけどね。指示したことを、手を放して任せてもきちんとチェックしなければいけないんですよ。そのためにも、チェックする基準、仕組みが必要ですね。

どんな風に社内改革されてこられましたか?

何度もいいますが、やっぱり他社さんの真似から始めましたね。父が亡くなってから、地元の先輩経営者の方が中小企業の勉強会があるから、と誘ってくれて、業界関係なく色んな会社のやり方見せてもらいました。

また、同友会で割と年の近い経営者の人に色々と教えてもらったり。一番影響を受けたのは、このインタビューのご紹介を受けた平成観光の東野さんですけどね。あの方はとにかく明るくて、いつも前向きですよね。変化することを全く躊躇しなし、言いたいことはズバズバ言う。もっともっと良くなりたい!という向上心の塊ですよ、実際成果も出されていますしね。

当然意見が合わないことや、やり方が違うことはありますけど、根本の「現状維持では満足いかない。」というところは一緒で、本当に共感します。先ほど社外の人ともお酒を飲む、という話をしましたが、ちなみに昨日も東野さんと3時まで飲んでいました。東野さんには、うちの嫁より金光君と会ってるよ、って言われます(笑)

遊んでいるように見えるかもしれませんが(笑)そういう機会を出来るだけ持つようにして、尊敬する先輩方から色んなことを教えて頂いて、会社に取り入れています。

御社HPで、「家業が企業になった。次は企業を産業にするために。」と記載されていますが、何を変えたらもっと産業に近づくとお考えでしょうか?

カッコいい言葉で言うと、ビジョン、志というか、そういうことじゃないですか。自分達が「日本の生活を変えたい」とか「世界の遊びのシーンを変えたい」とか。インターネットや携帯が普及したことによって、人間の生活は良くも悪くもゴロっと変わりました。どうせやるなら、そのくらいインパクトのあることをしたいと思うんです。

パチンコは娯楽。所詮遊び、と捉えるんじゃなくて、「パチンコで人間の生活を変える」と、それだけの志を持つのか、とりあえず何店舗増やせばいいや、とか利益がこれだけあがればいいやとか、車買えればいいやとか、そういう自分の小さな志で仕事をするのか。僕は前者でありたい。

業界、というところから、さらに外の視点で話ができるように、経営者として僕らも、もっと勉強もしなければいけないし、発信していかなければならないと思います。より多くの人たちの生活に影響を与える、生活を変えるように。

遊びってビタミン剤だと思うんです。たんぱく質とかカルシウムとはちょっと違うけど、やっぱりビタミンがないとバランスが崩れるし、あることによってイキイキとした生活がおくれる。そういうものを提供したり、発信していきたい、というビジョンを業界皆で持てれば産業として大きく発展していくと思います。

持てると思いますけどね。こんな面白いことないんだから!

これからの夢や目標を教えてください。

会社としては、まず地元のエリアの中で、会社としてきちんと認知してもらえるようにしたいと思っています。小さいころからパチンコ店をやっている、ということに対して引け目のようなものはありましたね。

私は、自社のことを「アミューズメント業」と言うのが嫌いなんです。新卒採用でも「アミューズメント業」ではなく、「パチンコ業」だと堂々と言いたい、という何か意地のような思いがあるんですが、裏を返すと、小さい頃胸を張って言えなかった。ということがあるんですよね。

身近なところでは、採用をする時に、本人は入社したいけど親御さん、親戚が反対する、という話を目の当たりにすると、悲しくなりますね。中身見てください!と思いますよね。そういう思いもあって、パチンコ屋ではなく、ヒカリシステムと言う会社として認知してもらいたい。

あそこで働いてよかったね、と言われる会社を何とか作りたい、と思っています。個人的には、社長を継いでくれるような人ができるような会社にしていきたいですね。当社の中には、血縁は一切いないんですよ。あえて入れないようにしています。

血縁じゃない人が、社長をやりたい!といってくれるような状態にして、バトンタッチしたいと言うのが個人的な夢ですね。まだまだ先の話ですけどね。産業としては、さっきも言いましたが、「世の中の生活がパチンコがあることで変わった。」と言ってもらえるような、そういう商売にしたいですね!

インターネットや携帯電話が人の暮らしを大きく変えたように、「パチンコが世の中の生活を変えるんだ」と、この業界にいる人全員がそういう志を持って日々仕事をすれば、すごいことが起こりそうな気がしますね。金光社長、ありがとうございました!

関連記事