グランドグループ、平山剛社長 TOPから学ぶ
大学卒業後、父が経営するグランド商事株式会社に専務取締役として加わる。遊技場の企画・運営のほか、飲食店の経営も行う。現在は徳島・香川エリアに12店舗、関東に2店舗を展開する。
平山社長本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご経歴から教えていただけますか?
大学の卒業式を終えてすぐに働き始めました。卒業証書を持って会社に戻ってきて、その翌日からです。その日に父である会長(当時は社長)が部長と店長を集め、『せがれが帰ってきた。今日から専務だ』と私を紹介しました。だからそれから20年間専務のまま、出世はしなかったですね(笑)
大学進学には反対はあったのでしょうか?
それはなかったです。ただ、進学先を決めるときに両親に言われたのは、『選択肢は2つ。医者になるかパチンコ屋になるかどっちか』ということです。
医学部は受けもしなかったので選択肢はパチンコ屋しかなく、なりたいとか、なりたくないといった問題ではなく、“must be”でした。
大学4年間だけが唯一の社会勉強をさせてもらえる期間でした。
会社に戻ってこられた際にお父様から何か言われたことはありますか?
何も言われなかったですね。でも毎日電話はかかってきました。その日の営業報告をして、明日以降はこうしようと思うという話をしました。それが今で言う報告・連絡・相談でした。1日も欠かさずです。
周りの反応はいかがでしたか?
周りは私がいずれ戻ってきて跡を継ぐということはわかっていたと思います。いきなり専務だと紹介されても、そういうものだと思っていたんじゃないですかね。昔は店の2階に住んでましたから、当時の店長や部長は私のことを子供の頃から知っていました。私も「兄ちゃん」と呼んで慕っていました。
では社員の方とぶつかり合うことはなかったんですね。
そうですね、皆がよくしてくれたからだと思います。それから新店の出店に関わったことが大きかったです。
ちょうど私が戻った頃、3店舗目の建築に取り掛かっていたんですよ。その後さらに2店舗出店し、1年弱の間に計3店舗つくらせてもらえたんです。4店舗目からは店長がいなかったので、私が店長を兼任しながらやっていました。スタッフは既存店から1名連れて行き、他は新しいメンバーだったので、なんのわだかまりもなくスタートを切れたのがありがたかったと思います。
新店をつくりあげるところから携わるのと、出来上がった新店に配属されるのとでは、経験値が3倍は違います。
でも最初はわからないことだらけでした。建築の打ち合わせをしていても意味がわからないんですよ。設計士の方から「これでいいですか?」と聞かれたんですが、どう判断すべきかわからない。
社内のメンバーも同席していたので、瞬間的にいろんなことを考えました。ひとつは、どういう意味かと素直に聞く。でもそうすれば周りはやっぱり私は何もわからない社長の息子なんだって思いますよね。もうひとつは知ったかぶりをする。でもそれをしてしまうともう二度と聞けない。そんなときに、同席していた部長が「それでいいんじゃないですか」と私の方を見て言ってくれたんです。そのときにこの人は信頼できる人だと思いました。今でもよく覚えています。
当時心がけていらっしゃったことは何かありますか?
根性ですね。僕より若い経営者はいなかったですから、経験がないのでがんばるしかない。
隣の店が電気を消すまで、うちも消さない。徳島から香川に出店したばかりの頃はネームバリューはないし、近隣には地元の雄と言われる店舗がありました。
ちょうどその頃はバブルの時代でしたからね。真面目にやっていればお客様は入ってくれました。戦略なんてなかったと思います。人手は足りないし、まだパンチパーマのスタッフもいる時代でしたが、その人たちと一緒に酒のみながら、真面目にやろうぜと話しながらやっていきました。
ターニングポイントになることはありましたか?
1995年ですね。現在はG-ONEという屋号ですが、この店を新規オープンした頃です。
何か変えていきたいと考え、この店舗からは寮をつくらなかったんです。自分の生活設計ができない人間に、店や会社の将来を描けるはずがないですよね。
普通の会社と同じように、寮をつくらない、まかないは出さない。その代わりに福利厚生を整えていきました。当時は社会保険の加入もまともに行えてなかったですからね。
それから寮があるということは、地元の人を雇っていないということなんですよ。地元の人を雇うと、地元の仲間と一緒になって不正を行うリスクもあるからという理由もあったんだと思います。でも私たちが地元の方を信用しなければ、私たちも地元の方から信用されません。
社内で反対意見はありませんでしたか?
誰一人直接言う人はいませんでした。ある意味自由奔放にやらせてもらえたんです。
新卒採用を始められたのもその頃ですか?
新卒採用は1999年から始めて、2000年に1期生が入社しました。それで社内が変わりましたね。変えないと人が集まらないし、何よりも説明ができないです。
新卒採用を始めたきっかけは、寮がないので社員が集まらなくて。アルバイトはたくさんいたので活気はあるんですが、全員年末年始で帰省してしまうんですよ。450台くらいの店に450人程お客様が来てくださって、それを4人で回したこともありました(笑)
新卒採用では理系の方を多く採用されているようですが、社長の意向ですか?
理系とは言ってないですが、結果的に理系になるのかもしれないですね。算数は必要ですから。とはいっても仕事をする上では微分積分を使うわけでもないので、本当に数字が苦手という人はいないはずなんですよ。でもやっぱり苦手意識があるんでしょうね。チャレンジしないんです。
だから苦手意識のない、理系出身者の方が成長は早いかなというのはありますね。
社長の人柄に惹かれて入社される方が多いと伺ったのですが、採用活動ではどのようなお話をされるのですか?
なぜパチンコ業界に入るのかは聞きますね。最初の入り口は2通りです。ひとつはパチンコ、パチスロが好きだから。もうひとつはまだ成熟していない業界だから、その分伸びしろもあり、チャンスもある。そこに惹かれたというものです。
どちらでもかまいませんが、できれば後者の方が弊社のカラーには向いていますね。パチンコが好きとか嫌いとかはあまり関係ない。私自身もあまりパチンコを遊技したことはないんですよ。それでも30年近くこの業界に携わっていますし、パチンコが嫌だとも思わないです。
誰にでも次の社長のチャンスはあるといったお話もされているそうですが、そのお考えはいつ頃から持たれているんですか?
新卒採用を始めたときには決めていました。息子は私が36歳のときの子なんです。彼が30歳になったときに私は66歳です。私の代では30歳の若僧に簡単に継がれるような会社では終わりたくないなと。次の社長を彼に直接繋げるのはかなり難しいと思っています。今高校1年生なので、まだ経営者としての能力があるかどうかはわからないですし、彼自身が望むかどうかもわからないです。
新卒2期生の採用のときは幹部候補とは別に社長候補という枠をつくり、上位校に絞って案内をしたこともありました。11名エントリーがあり、東京まで行って面接したことをよく覚えています。最後まで残ってくれた子もいたんですが、結局はお母さんに反対されて入社には至りませんでした。でもそのときの経験は大きかったです。
やはり、次の社長を任せられる選択肢を持っておかないと、時代に取り残されてしまうし、それこそ私物化になってしまうなと思っています。
座右の銘はお持ちですか?
いろいろありますが、その時々によって変わりますね。最近は、「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分」ですね。
それから自分を信じる力。自分の可能性や、自分を信じられるかどうか。生まれてきた意味は絶対に全員が持っているはずだから。
パチンコ業界の方に向けてメッセージを頂いてもよろしいでしょうか?
どの経営者の方も、パチンコ業界に対する想い、会社、仕事、社員に対する想いはとても熱いものを持っているんじゃないかなと思うんです。
それをうまく社会に発信できていないという話もありますが、私は成績よりも評価が低いときが成長しているときなのではないかと思うんです。評価というのは遅れて来るものです。むず痒いくらいに評価が高いときは後退に入ったとき。 社会でのイメージがよくないといった理由で、業界で働く人たちには寂しい思いをさせてしまうこともあるかもしれない。でも今はそういう時期で、成長している時期なんじゃないかと思います。だから私たちにもチャンスがある。目指していることや、実際行っていることは間違っていないと思います。
御社で働く方に、今一番伝えたいことはなんですか?
絶対夢は叶います。絶対です。絶対に叶う。
それぞれが持っている夢や目標を叶えてほしいと思います。夢ってひとつ叶えると、夢が変わるんですよ。もっと大きな野望を持って欲しい。野望といっても、人を蹴落とすとか、人をダメにするとかではなくね。健全なる野望です。
会社のために働くわけではないし、お客様のために働くわけでもない。それは夢や目標を達成するための手段ですよね。
会社のためや、お客様のために働くことを目的にしてしまうと、窮屈だし、偽善的になってしまう。サービス業であれば、夢や目標を叶える唯一の手段は、お客様に喜んでいただいて、愛されることです。そうすることで必ず夢は叶います。