パックエックス通信

株式会社ジェネシス、島崎秀夫社長 TOPから学ぶ前編

オペラ、ゴッサムシティ、エルシティの屋号で北海道・帯広に3店舗のパチンコ店を運営している株式会社ジェネシスの島崎秀夫社長のインタビュー前編です。生い立ちやパチンコ店を始めるきっかけ、オープン当初のお話をお聞きしました。

 

本日は宜しくお願いします。まずは生い立ちについて教えてください。

私は3兄弟の末っ子として樺太で生まれました。1番上の兄は小さい時に亡くなっています。母は樺太で父のいない時に終戦を迎え、姉と生まれて間もない私を連れて、本社がある音更町近くの必要の無くなった軍隊宿舎(仮設引揚者住宅)に命からがら逃げる様に引揚げて来たそうです。

当時、母は姉1人の面倒を見るのが精一杯で、1歳の私は60歳過ぎの祖父に預けられました。祖父は開拓をするために日高山脈のふもとにある太平に移り、私はそこで小学6年生まで育てられました。

当時の記憶はありますか。

預けられた当初はまだ家もない状態でしたが、集落の方々が冬に向けて8畳一間の開拓小屋を作ってくれました。この小屋の記憶は心の奥底に強く残っていますね。

集落の人たちはみんな助け合いながら生きていて、この助けがあったからこそ私は今生きています。冬は極寒で、家が無いと1日持たずに死んでしまいますから。

幼少期にはどんな思い出がありますか。

小学校を卒業した後、母親のいる帯広の中学校に進学しました。高校への進学を周りから強く勧められましたが、中学校を卒業したらすぐに就職しました。

勉強が嫌いだと言うこともありますが、机の上で将来使わないであろう知識を学ぶよりも、未来を生きるために必要なことを、実体験を通じて勉強したいと考えていました。

すごい中学生ですね。

これには祖父の思いが影響していると思います。祖父は寡黙な人でしたが、私なりに感じた祖父の教えは、「学校には真面目に行く事」「人様に迷惑をかけて警察の御厄介にならない事」「働かないやつは食うな」でした。

この中にある学校とは、中学校までのことを指していました。ですから、私の人生で最高の日は中学校の卒業の日。これからは学校に行かなくても良い、明日から自由に自分の人生を生きることができると本当に嬉しかったです。

島崎秀夫/株式会社ジェネシス 代表取締役会長兼社長。1946年生まれ。中学卒業後に様々な仕事を経験し、1990年に帯広市でオペラをオープン。現在では帯広市に2店舗、音更町に1店舗のパチンコ店を経営。帯広組合の組合長も務める。

中学校卒業後は、どんな仕事に就いたのですか?

できたばかりの帯広本田モーターズで働き始めました。私が生まれたのは第一次ベビーブームでしたので、本田モーターズの中卒採用には2名の募集枠に43名の応募者がいる非常に狭き門。もちろん勉強は嫌いだったので、学力試験は全くわからず面接で痕跡を残すしかありません。

面接は副社長が担当で、好きなものはなんだ?と聞かれたときに、私は「プラモデルが大好きでアルバイト代の半分は家に入れ、残りはすべて高価なプラモデルを買って組み立てています。バイクもプラモデルも似ていて組み立てる仕事だから同じです。」と答えました。

どうしてうちの会社を選んだ?と聞かれたときには、「本田はこれから伸びる会社だと思います」と答えました。 この物怖じしない性格を気に入られたのか無事採用。本田モーターズでは2年ほどお世話になりました。その後はカメラ店、バンドマン、タクシーの運転手、ダンプの運転手などいろいろな仕事をして来ましたね。

色んな仕事を経験してきたんですね。

喫茶店を経営していた時には、麻雀のテレビゲーム、ポーカーゲームなどを店内に設置し、さらに他の喫茶店にもこれらゲーム機を貸出して利益を得ていました。当時はポーカー喫茶やゲーム喫茶のブームで、とても良いビジネスでしたが、お客様の中には借金をし、そのお金で遊んで返済に困り自殺すると言う事件が全国で出始めた頃でした。

私が営業していた十勝エリアで、万が一そのような不幸な人が出たら、このビジネスをやめようと心に決めていましたが、ある時、地元紙に広尾方面の人がポーカーゲームで遊び、借金苦で自殺したという記事があり、私は翌日店を閉めました。その頃から警察の取り締まりが厳しくなり、やがて違法となります。

それがパチンコ店を始めるきっかけですか?

それもありますが、実はその後アメリカ旅行をして、ニューヨークのトランプタワーに衝撃を受けたんです。誰が建てたのだろうと調べたら、ドナルド・トランプということで、ドナルド・トランプの本を食い入るように読むと、「これからはカジノ産業が有望なビジネスになる。」と書いてあり、これだ!と思いました。

日本にカジノはないけど近しいパチンコがある。私自身にパチンコビジネスの経験はありませんが、ポーカーや他の知識があったので十分勝負できるだろうと考え、42歳のときにエンターテイメントカンパニーGenesis(ジェネシス)を設立し、44歳の時にOPERA(オペラ)というパチンコ店をオープンさせました。

スタート時から順調でしたか?

周りの色んな人からは、パチンコ店は素人がやるものではないと言われましたが、それが返ってやる気になりました。ですが、最初はツテもなかったので時間がかかりました。

知り合いから、「これからは素人ができる時代じゃないと思うので、いい人を紹介してあげる」との話も。聞いてみると、「店とは別に現金で3億円を用意するのでパチンコ店を譲って欲しい、という人がいるので話を聞いてくれないか」との内容でした。

オープン直前にそのような話で非常に腹が立ち、「私がパチンコ店をやるのは、やりたいからやるのであって、お金が欲しいからやるわけでは無い。今後このような電話はよこさないでくれ!」と言って電話をすぐに切りました。この出来事が、更に私をやる気にさせましたね。それから本当に苦しい時期もありましたが、その出来事を思い出してはがむしゃらにやってきました。

その頃の組織は?

私が社長兼店長。要は経営、営業、総務経理に関わる全てを担当していました。総台数500台ほどのパチンコ店で、30名以上の従業員を雇っていました。

当時は東の「オリオン」、西の「ボンボン」が沢山のお客様の支持を得ていた時代でしたが、私たちのオペラもかなり善戦していたと思います。

善戦できた秘訣はなんですか?

競合店と同じ路線で戦わないことですね。例えば人の面では、経験者を1人も採用しませんでした。求人には「未経験者優遇」と打ち出して広告していたくらいです。

なぜ未経験者を採用する方針だったのですか?

私が素人だったのもありますが、既存のパチンコ店の形にはあまり興味がなく、パチンコの匂いがするパチンコ店が好きではなかったんですね。おしゃれでハイレベルな人、「自分の使えるお金を持つ人が楽しく遊ぶ」そういうイメージのパチンコ店が理想でした。

そうするには経験者から得られる既成概念よりも、無知だからこそ思う疑問や行動の方が有益だと考えていました。

なるほど。

だからこそ、今まで店名にしても宣伝にしても、パチンコ店という言葉を使ったことがありません。音楽はもちろん軍艦マーチではなく、BOSEのスピーカーで井上陽水の音楽を流していました。

また、お客様が来店したら「いらっしゃいませ」、帰られる時には「ありがとうございます」という、今の接客業では当たり前のことを当たり前に行っていました。

当時パチンコ店はお客様への挨拶は無く、自分の担当する島の上に自分のタバコやジュースを置いていたり、お客様をお客様と思わないのが普通でしたから、それと比べるとお行儀の良いパチンコ店でしたね。

先ほど接客のお話がありましたが、こだわりはありますか?

日頃から「へりくだったサービスよりもお客様と一緒に楽しめる、ハッピーになれる接客をしよう」と伝えています。例えば、ただ「すみません。」と謝るのはサービス業のすることであって、ジェネシスらしくありません。

ジェネシスはエンターテイメンツカンパニーですので、エンターテイナーとしてジョークで切り抜け、お客様と共にクスッと笑えるような接客を志しています。

エンターテイメンツカンパニーは御社の理念ですね。

お客様が楽しんでいる空間で私たちも楽しむ、一緒にその場所を作り上げている雰囲気が重要です。

当社理念はディズニーランドからヒントを得て生まれましたが、大切な従業員が楽しく働く場所がジェネシスであることが大切です。お客様が楽しむには、私たちもハッピーでなければならないのです。

ディズニーのヒントはいつ得たのですか?

ロサンゼルスのディズニーランドで、歩き疲れて休憩していた時の話です。目の前のポップコーン売場の担当が、70歳くらいのおじいさんだったので珍しいなと思って見ていました。

その時、お父さんに連れられた6歳位の男の子がポップコーンを買いに来て、大きなカップにポップコーンを山のように入れてもらって喜んでいました。

男の子がポップコーンを食べようと手にしたとたん、おじいさんが男の子の頭の上から大きな声で「ワッ」と驚かせたんですね。男の子は目をパチクリさせていましたが、それを見たおじいさんは大爆笑。それにつられて男の子のお父さんも大爆笑。それを見た男の子も大爆笑と、みんなが「わっはっはっ!」と大笑いしていました。

この光景を見て、心の奥から凄い!と思いました。おじいさんは仕事を楽しみ、その楽しさをお客様に伝染させています。ポップコーンを売る仕事ではなく、人をハッピーにさせる仕事をしているおじいさんを見て、私の会社もそうしたいと心から思いました。

素敵な出来事ですね。

だからこそ、従業員にはエンターテイナーであれ!と伝えています。ジェネシスでは4年前からアルバイトも含め、全員でディズニーランドへ2泊3日の研修に行きます。研修で求められるのは、とにかくディズニーランドを楽しむこと。ホテルもディズニーランド内のディズニー直営のホテルを利用しますので、自宅との往復以外はディズニー漬けです。

ディズニーの心を全身で感じてもらって、「エンターテイナーは人をハッピーにするもので、へりくだってお客様に接するものではない」ということを身体で理解してもらっています。

―後編に続く

 

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