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株式会社アローエンターテイメント、上里健二社長 TOPから学ぶ前編

株式会社アローエンターテイメント、上里健二社長_1

東京都大田区池上でARROW池上店を運営する株式会社アローエンターテイメントの上里健二社長のトップインタビューです。前編では平川商事株式会社に入社した経緯と、その後のキャリアや、ご自身のターニングポイントについてお聞きしました。

まずはご経歴をおしえてください。

地元の広島県から兵庫県の大学に進学して、地元には帰らずに大学新卒として1996年4月に平川商事株式会社に入社しました。

最初からパチンコ業界の仕事に興味を持っていたのですか?

いえ、大学での専攻は経営情報学でマーケティングや統計学、プログラミングを勉強していたので、興味を持っていたのはパソコン関係の仕事でした。

それがなぜパチンコ業界で就職することになったのですか?

大学で勉強したことを直接仕事にするのは難しく、営業職として就職する人が多かったので、私も何かの業界に絞る必要はあまりないと思っていました。なので、選択肢の一つとしてパチンコ業界も視野に入れ就職活動をしていました。

様々な業界の大企業から中小企業まで、満遍なく選考を受けたのですか?

それが実は、当時は大学4年生の4月から説明会や選考がスタートするルールだったのですが、その前から資料請求などを経て4月に入るとすぐに内内定という人もいる中、私は生真面目にも4月から動き出したので、就職活動に実質、乗り遅れてしまったのです。

採用を行っている会社が少なく、限られてしまっていたのですね。

その中から給与条件の高い企業の選考を積極的に受けていきました。そうすると、やはり必然的にパチンコ業界の企業が多くなりましたね。

そのパチンコ企業の中から平川商事様を選んだ経緯を教えてください。

平川商事の選考を受ける前に、内定が出そうな京都のパチンコ企業があって、社風が気に入り、内定が出たらその企業に就職しようと決めていました。ただ、その企業の内定がなかなか出なくて、結果が出るのを待っている期間に選考を進めていたのが平川商事だったのです。

そうだったのですね。その京都の企業からは最終的に内定は頂けたのですか?

内定を頂きましたが、既にその時には平川商事からも内定が出ていて、入社を決めていました。やはり就職活動はタイミングなんだと感じました。

決め手はどのようなところだったのですか?

実は、最初の会社説明会に遅刻してしまい、半分も説明を聞かないまま面接を受けたのですが(笑)そこからトントン拍子に進んでいって、その過程で社員の方々が魅力的だと感じることが多々あって、決め手はやはり「人」だったと思います。現在の平川商事の副社長である今西は当時、店長だったのですが「うちの店に遊びに来いよ」と誘ってくれて、食堂でカレーをご馳走してもらったりと、非常に良くしてくれました。

株式会社アローエンターテイメント、上里健二社長_3

上里健二/株式会社アローエンターテイメント 代表取締役。1996年に平川商事株式会社に新卒入社し、店長、リゾートホテルの広報を経て2012年5月にARROW池上店オープンの際に設立した株式会社アローエンターテイメントの代表取締役に就任。

入社後はどちらに配属されたのですか?

最初の配属は本社のあるARROW志紀店でした。そこで半年働き、ARROW 栂店をオープンするために異動しました。

新店のオープンに携わりたいと立候補したのですか?

その時は声をかけられて、何もわからないまま新店オープンのメンバーになりました。当時、同期は12人ほどいたのですが、私を含めて3人の新卒が抜擢されました。新店のオープンに新卒が加わることもまだ前例がなくて、手探りの状況でとにかく大変でした。

そこからはどのようなキャリアを歩まれたのですか?

1996年入社で、年末にはARROW 栂店をオープンさせています。そこからオペレーションが安定するまで約半年働いた後はHYPER ARROW泉北店に異動しました。そこで初めてチーフに昇格し、半年後にはHYPER ARROW深井店に異動してキャプテンになりました。

‘キャプテン‘は御社では初めて聞くお役職ですが…

後にも先にも、キャプテンという呼び名が使われたのはその時だけです(笑)

当時の深井店の店長を異動させたいから店長業務を早く覚えてほしいと言われて、マネージャーでもないし呼び方が難しい、キャプテンにしよう!という流れだったと思います(笑)

その後はすぐに店長になったのですか?

そうですね。その後も2年程深井店で店長として働きました。

昇格が早いですね。

入社1年10ヶ月で店長になりましたが、私よりも早く店長になった同期もいましたし、当時は比較的スタンダードでした。

株式会社アローエンターテイメント、上里健二社長_2

やはり負けたくないというライバル意識があったのですか?

正直なところ、ライバル意識を燃やすような余裕はなくて、目の前の仕事をすることに精一杯でした。ただ、ほとんどキャリアのない自分たちにも店長をやらせてくれるんだと嬉しい気持ちはありました。仕事をしていく上でのモチベーションには繋がっていたと思います。

上里社長は早くから採用部門に携わっていたと聞きましたが、店長業務を行いながら人事も担当されていたのですか?

入社2年目~3年目の間くらいに新卒採用にも携わることになって、4年目に深井店から本社に異動しました。そこからはエリアマネージャーのような立場で3,4店舗を見ながらディレクターという役職で人事も兼任するという働き方を2年程していました。

そこからはずっと本社勤務ですか?

その後はARROW志紀店をリニューアルするという話があり、その店長としてまた現場に戻っています。本社でも店舗でも任されたことは精一杯全うしてきました。

上里社長にとってのターニングポイントはいつでしょうか?

入社4年目の時ですね。たくさんの仕事を任せられるようになっていた時に、専務にやってくれと言われた仕事を断ったことがあるのです。

専務から頼まれた仕事を断るというのは、すごいですね。

今考えるとそう思います(笑)その時に専務に言われたことが私のターニングポイントになりました。

どのような言葉だったのですか?

自分で自分の仕事の範囲を決めるなと言われました。会社として、仕事量や内容を見て、出来ると判断したから任せている、それを断るというのは何事かと言われました。本当にその通りだと思いましたし、その言葉が強烈に記憶に残っています。

厳しい言葉の中に、期待や信頼がありますね。

それからオーダーは全て受けるようにしています。リニューアルオープンで現場に戻ったこともその一環で、発信があれば全てに手を挙げるようにしていますし、立候補して却下されたこともたくさんあります。それでも、必ず手を挙げようと決めて仕事をしてきました。

後編に続く