株式会社伸喜、小田博正社長 TOPから学ぶ前編
愛知県と静岡県でタイキの屋号で6店舗を運営している株式会社伸喜の小田博正社長のインタビューです。前編では家業であるタイキグループに入社するまでの経緯、入社後のキャリアについてお伺いしました。
本日はよろしくお願い致します。 それではまず、小田社長が株式会社伸喜に入社するまでの経歴を教えてください。
大学を卒業後、パチンコメーカーに就職し、技術部で機械台のトラブル対応や納品の立ち会いなどを担当しました。そこでは多くを学ばせて頂いて、約3年勤めた後に家業であるタイキグループに入社しています。
家業であるパチンコ店を継ぐというのは、早い段階で決められていたのですか?
いいえ、考えていませんでした。私は小学2年生から大学3年生まで剣道をしていて、とにかく剣道に夢中だったのですが、大学3年の時に当時の監督の方針に納得がいかずに、自分の考えをぶつけたことがあって、それがきっかけで辞めることになったのです。
剣道に夢中だったものですから、「自分が今後何をしたいのか?」というのをあまり考えていませんでした。そこが明確でないまま就職活動をして、最終的に家業でもあるパチンコ業界で働く事を決めました。
10年以上夢中だった剣道を辞め、喪失感の中で将来を考えて決められたのですね。メーカーでの仕事は順調でしたか?
順調というより非常に忙しかったです。丁度バブル崩壊後でパチンコ業界が波に乗っていた時期でしたから、朝から晩まで働いていました。
1年くらい働いた時に、私にとって忘れられない出来事があり、それが今の私にも影響を与えていると感じています。
それはどのような出来事だったのですか?
当時お取引させて頂いていた店舗に機械台トラブルの対応でお伺いした時に、お客様から厳しい言葉を言われたのです。憤った私が先輩社員にその想いをぶつけた時に「その考えは間違っている」と言われたのです。
「僕達はメーカーの人間なのだから機械台にトラブルが起これば、それは僕たちの責任だ。お客様から何を言われようとまずはそれを受け止めなければならない」と諭されました。
先輩の言葉に気付きがあったのですね。
ハっとしました。厳しい言葉を言われた時に反発や憤りを覚えるのではなく、自分の立場を認識したうえで真摯に受け止めなければならないと反省しました。その言葉があって、仕事をする上でとても大切なことを知ることが出来た気がします。
小田博正/株式会社伸喜 代表取締役社長。大学を卒業してパチンコメーカーに入社し3年間勤務。その後、家業であるタイキグループ入社し、課長、営業部長、常務を経て、2014年の分社化に伴い代表取締役に就任。
タイキグループに入社した当初はどのようなポジションだったのでしょうか。
まずは課長職として入社しました。新しいお店を立ち上げるというタイミングでしたので、そのお店の責任者をしながら営業を見ていました。
入社した際の社員さんからの反応はどうでしたか?
社長の息子という事でやはり反発はありました。入社した時は25歳でしたので、特に年配の社員の方からの反発が大きかった気がします。
それでも自分のやるべき事をしなければと考え、休みなく働いている店長を含めた勤務体系の改善にまずは努めました。
休みがなかったのは、人手不足からですか?
いいえ、今では考えられない事ですが、昔のパチンコ業界はそれが暗黙のルールというか、今で言うところのブラックな体質でした。
そういった部分も含めて、メーカーで培った経験を活かしながら、会社の成長の為に全力で働きました。
その後はどのようなキャリアを歩まれたのですか。
入社して3年後には営業部長に昇格しました。その頃から毎年新店をオープンさせていて、順調に会社が成長していきました。私は営業出身なので、営業面の事ばかり考えていましたね。
1日の売り上げが200~300万の店舗を3ヶ月後には1200万まで上げた事もありました。営業面で店舗を良くすれば、その他も勝手に良くなると思っていた所があって、その時はまだ人の教育という部分にはしっかり目を向けることが出来ていなかった様に思います。営業部長を6年経験し、その後は常務に就任しました。
常務に就任した後は営業以外も見られる様になったのですか?
そうですね、業務の幅が広がって店舗もどんどん増えていったので、私一人で全てを行うのは限界がありました。
そこで人材教育に力を入れ始めましたが、なかなか上手くいかなかったのです。その中で、分社化をきっかけに株式会社伸喜の社長に就任しました。
今はES(従業員満足度)を大切にされていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
2年前に増収増益がテーマの営業セミナーに参加する機会があり、その中で、組織力を上げ、社内の雰囲気を変えて行こう、何よりも「会社というのは99%が経営者で決まる」という話があり、それが非常に印象的でした。
その言葉を受け、今まで営業面以外を人に任せ過ぎていたのではないかと感じ、私自身がもっと前に出て積極的に発信していくべきだと考える様になりました。
最初に行ったことはどの様な事だったのですか?
まずは事務所の席を固定にせずにフリーにしました。今もそうですが、どの席に座るかは自由に選べる様にし、各人のコミュニケーションをとってもらうようにしています。
後は、今まで予定表という物は作っていたのですが、初めて一年後のビジョンという物を作り始めました。取り組む事を細かく決めポスターで貼り出し、言葉で伝えるだけではなく、見える化していこうと考えました。 これは最近の事ですが、私が講師として社員向けのセミナーなども行いました。
とにかく何らかの動きを取り続けていきたいと思っています。
後編に続く