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夢コーポレーション株式会社、沖宗也常務 TOPから学ぶ前編

全国に「夢屋」の屋号で36店舗運営を行っている夢コーポレーション株式会社の沖宗也常務取締役にインタビューさせて頂きました。前編では、夢屋に入社するきっかけや、初配属となった札幌の店舗での経験についてお話してくれました。

経歴から教えてください。

愛知県名古屋市内の生まれです。夢コーポレーションとの出会いは大学生で始めたアルバイト。その後正社員として入社し、現在に至ります。

なるほど。そうなると社歴は

去年の12月で26年になりました。

夢屋でアルバイトを始めるきっかけは

実家がしつけに厳しく、閉塞感があり、若い頃から早く家を出たいとずっと考えていて、大学進学した1年目の秋に友人2人とルームシェアをスタートさせました。

その時、親からの条件が生活費は自分で何とかしろということでしたので、アルバイトで稼ごうと。色んなアルバイトをしましたが、最終的に当社店舗(当時の屋号「ダイエーセブン」)のアルバイトで落ち着きました。

10代で自立されていたんですね。

学費を全て払っていた訳ではないので、そこは何とも言えない所ですが。でも、自分で稼いだお金で生活しようという意識はすごく高かったので、夢屋でアルバイトを始める前は居酒屋、ボーリング場、ゲームセンター、家庭教師などアルバイトを掛け持ちしていました。

それに加えて夢屋のアルバイトを加えたんですか?

いえ、違います。アルバイトを掛け持ちしていた時は、結局まとまったお金を稼ぐことができなかったんですよね。そんな時に街中で夢屋のアルバイト求人を見つけました。

なんと、時給1200円で3食付き。これだ!と思いましたね笑。

それが出会いですね

はい。掛け持ちを辞めて、夢屋のアルバイトに絞って始めました。1992年12月です。

当時は木曜日が店休日でしたので、それ以外の日に昼夜通して働きました。働いていれば朝昼晩の3食付いているので、それもかなり大きかったです。

沖宗也/夢コーポレーション株式会社 常務取締役。1992年に夢コーポレーション株式会社の前身ダイエー観光株式会社に入社。1997年新卒3期生として正社員登用される。2009年12月に常務取締役に就任。

夢屋アルバイト時代の思い出はありますか

とにかく忙しいけど楽しかった。パチンコ店のアルバイトはお客様との距離が近くて、お客様は街中であったら気さくに話しかけてくれたり、他のアルバイトとは違いました。

また、社員さんも仲良くしてくれました。当時の社員さんは店舗2階の寮に住んでいる人が多かったので、よく遊んでもらいました。

夢屋のアルバイトが生活の中心になっていたんですね。

はい。その結果、大学にほとんど行かず、大学1年生で留年濃厚に。親には怖くて言えませんでしたね。その後は気持ち入れ替え、大学と夢屋を両立させました。

なるほど。大学3年生の時には就職活動をしましたか

アルバイトが楽しかったので、卒業したら夢コーポレーションに入社するものだと勝手に思っていましたが両親が大反対。揉めに揉めて絶縁寸前まで行きました。あの時は理解してもらえなくて辛かったです。

どう説得したんですか?

ちゃんと就職活動しています、その結果夢コーポレーションしか無かったんです、という流れが一番説得できるかなと思ったので、取りあえず市役所の試験を受け、他にも一次は受けましたがそれ以上の選考には行かず、入社出来るのが夢コーポレーションしかなかったと両親に報告すると好きにしなさいと。最終的には両親が折れた形です。

最終的には両親の承諾も取れたんですね。

そうですね。こうして、晴れて新卒3期生として入社することになりました。正社員になったら店長になる!めちゃくちゃモチベーションが高かったと思います。

入社後のことを教えてください。

実は、新卒3期生から、配属が豊橋の通勤圏だけではなく、全国に広がりました。私は入社して3ヶ月後に札幌の店舗に配属。 ここでは心が折れそうになりましたね・・・

何があったんですか。

当時は店舗採用のみが基本で札幌の店舗の社員にとっては、急に来た新人ですからね。新卒の扱いも始めてで給料も高かったので、簡単に言うとアウェーで、全く歓迎されているように感じませんでした。

また、私たちの代から、研修でホールコンピューターのことを学んでいたので、仕事の中でそういう数字の話になるわけじゃないですか。

しかし、ここは店長や特定の役職者のみ触れることが出来る、ある種の聖域。新人が口を挟んで来たら、何だこいつ、生意気だとなる訳です。

それは難しい状況ですね

こっちも研修を受け、店舗を良くするためにと思ってやっているのに、反発されますからね。最初2ヶ月くらいは全く上手く行かず、札幌の空を見上げてなんでこんなところにいるんだろうと毎日考えていましたね。

その状況をどうやって打開したのですか

負けず嫌いなので、とにかく認めてもらおうと必死に仕事をしました。経験やスキルよりも現場で認められる基本は店舗を良くするために行動するという事実ですから。

パチンコ店の仕事は、基本的には毎日同じ仕事の繰り返しですけど、だからこそサボらず、一つひとつを丁寧に出来るかが重要なんだと思います。だからこそ、指示命令されたことだけではなく、自分なりに工夫してみたり、色々試してみました。

その結果、変わりましたか?

少しずつ同じ価値観の同志が増えていって、最終的には同じ方向を向いて仕事ができるチームになっていきました。そうなると毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

このお店には1年いましたが、君のおかげで店舗が変わったよと上司が言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えています。

後編に続く