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株式会社八号線、澤野裕次郎専務 TOPから学ぶ前編

新潟県にDELZE!BIGSITE(デルゼ!ビッグサイト)の屋号で6店舗運営している株式会社八号線の澤野裕次郎専務のインタビュー。前編では会社の歴史や入社する経緯、専務に就任されてから力を入れた社内変革などについてのお話です。

特徴的な社名ですね!まずは会社の歴史から教えてください。

当社は、新潟の長岡の国道八号線沿いでパチンコ店を開業したことから始まりました。30坪かしかない敷地で、土間で立って遊技する、とても狭いパチンコ店だったと聞いています。お店の立地をそのまま社名と店舗名に付け、社名だけが今も続いています。

屋号を変えたきっかけは。

長岡市の川崎町に新店をグランドオープンする時に、顧問の先生から店舗名が八号線だと八号線沿いを連想させるし、逆にお客様を混乱させる可能性もあるから変えた方が良い、となったことです。

新たな屋号はどうやって決めましたか?

社内の公募です。由来は東京ビッグサイトと、「出るぜ」と言う名を掛け合わせ、DELZE!BIG SITE(デルゼ!ビッグサイト)に決定。新たな屋号でグランドオープンした店舗が非常に上手く行って、これを皮切りに新潟市内に進出しました。

話は変わりますが、澤野専務が入社する経緯を教えてください。

私は3人兄弟の末っ子として生まれました。子供の頃は、板前やスポーツトレーナーになりたかったです。高校生の時に、兄が医者を目指していたということもあり、スポーツトレーナーからパチンコ屋の社長へ進路を変更しました。小学校の卒業式で卒業証書を受け取った後に、将来の夢を壇上で発表するという催しがあったのですが、私がその時、「父の跡を継いで日本一のパチンコ店にする!」と発表したことが父はとても心に残っていたみたいで、嬉し泣きをしていた姿を覚えています。

とても強い印象があったのでしょうね。

なぜ板前からその夢にシフトしたのか私は全く覚えてないですけどね笑。進路を変更してからは、まずは文系大学に進学して、就職して、数年経ってから家業を継ぐというプランで、準備を進めて行きました。

なるほど。大学卒業後の就職先は?

大学を卒業したら銀行に就職したいと思っていました。実は、父は銀行で働いていた経験があって、経営者になるために必要なことを多く学べたと話していました。私自身、色んな企業見て回れたりすることは将来役に立つと思えたので、就職先は銀行に絞りました。

就職活動はメガバンクから地方銀行まで、新潟と東京を行き来して行った結果、神奈川で就職することが出来ました。リーマンショック直後の時期だったので、まずは就職できてホッとしましたね。

銀行での仕事はイメージ通りでしたか?

個人宅へ保険や投資信託などの訪問営業を担当していたので、少しイメージとは違ったかもしれません。その後、2011年に東日本大震災が起きた時、心配した父や姉から戻ってこないかと話を持ちかけられたので上司に相談したところ、家業を継ぐなら法人を担当する部署の方が勉強になるだろうと異動の段取りをまとめてくれました。その後、半年間法人営業の財務分析を担当して退職しました。

澤野裕次郎/株式会社八号線 代表取締役専務、統括本部長。大学卒業後に銀行へ就職。2011年に起きた東日本大震災を機に父が運営する同社に入社。2017年、代表取締役専務に就任。

入社したのは何年になりますか?

2011年12月です。現場のホールスタッフとして働き始め、3店舗経験した後の2012年12月に専務へ就任しました。

ホール勤務での印象的な出来事はありますか。

当時、店内の出玉感を演出するために遊技中の精算をお断りしていて、お客様が希望しても断るようにと指示を受けていました。

そんなハウスルールで運用していた中、お客様に途中交換したいと希望されたのですが、混んでいて忙しかったこともあったのでしょうが、「無理です。」と断ってしまったがためにクレームに繋がったことがありました。

言い方でしょうか。

それもあると思いますが、お客様に納得してもらえるように、しっかりと説明をしていればクレームにならなかったかもしれません。

ルールだからと押し付けて、断るようにという命令だけが独り歩きした結果です。この経験から、要点だけではなく、なぜそうなのかという理由をしっかりと説明するようになりました。

専務に就任して取り組んだことはありますか?

まずは企業理念を制定して、会社の道標を作ろうとしました。理念を作る時に心掛けたのは、株式会社八号線の事業がパチンコ以外のものが加わっても、適用するものが良いと思っていました。社長と話し合いながら、作成期間は約3年。2017年に完成しました。

理念を教えてください。

「私たちは、お客様の遊び心を満たす、心より楽しめる空間と時間を提供します。」

元々、接客におけるサービスコンセプトが存在していたので、それをベースに作って行きました。

理念作成後の変化はありましたか?

うーん、どうでしょう。私個人は考え方の中心として、立ち返るべき場所ができたように感じます。会社全体にはまだまだ浸透していないんじゃないでしょうか。特に、相手の立場に立って物事を考えるようになりました。他人からどう見られているんだろう、何であの時はそうしたんだろうと考える事で、自分自身の言い方や態度を振り返るようになったと思います。

本当は常に振り返られれば良いのですがなかなか難しいので、失敗した時や上手く行かなかった時は必ず考えるようにしています。本当はうまくいったときの方が深く振り返ったほうがいいんですが。

他に取り組んだことはありますか

休日を増やしました。従業員から休みがなかなか取れない、連休が取り辛いという意見もあったので、公休日数を増やし、そのうえで夏季・冬季に5日間の長期休暇をとれる制度を作りました。経営者として、仕事で家族の時間を犠牲にさせるような会社は嫌でした。

それでもサービス業なので、連休が取り辛かったり、世間が休んでいる時期は繁忙期なので休めなかったりするのですが、全社一丸となって取り組んだ成果もあって、社員が休める日数を増やすことが出来ました。

それは素晴らしい取り組みですね。

休暇が取れないことが理由で幹部が離職することもありました。上に上がれば上がるほど自由な時間が無くなって、家族が会社のことを良く思っていない、そういう状況があるというのはショックです。

社員にはこの会社にいてよかったなと思ってもらいたいですし、家族や子供にも応援してもらえる会社でありたいですからね。

社員からはどういう意見がありますか?

長期休暇を利用して家族で旅行に行ったという話を聞いたりすると、やりたかったことが実現されているように見えて、制度を作ってよかったなと思います。

何より、そういう話をしている社員の顔が笑顔ですから。こちらまで嬉しくなります。

後編に続く