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vol111 株式会社日進観光 宮本敏憲社長 前編

日進観光様前編 今週のパック・エックス通信「TOPから学ぶ」は、株式会社日進観光の宮本敏憲社長です。 21歳の時に、父であり創業者でもある宮本泳俊氏とパチンコ業界に参入し、現在は株式会社日進観光の代表取締役社長を務められています。 ご両親からは長い間、「医者になれ」と言われ続けてきたとお話される宮本社長。 前編では、パチンコ店を創業することになるまでのご経緯から経営が軌道に乗り始めたときまでについてお伺いしています。 日進観光様プロフィール 宮本敏憲氏 株式会社日進観光 代表取締役社長 福岡大学在学中、21歳で父と共にパチンコ店「キング」を創業。 創業から2年後に2号店である「ニューキング」をオープンし、現在は4店舗を経営。 1994年2月に代表取締役に就任し、現在に至る。 ―本日はよろしくお願いします。宮本社長は21歳とお若くしてお父様とパチンコ店を創業されたということですが、もともとパチンコ業界にご興味があったのでしょうか。 実は、元々パチンコ業界に興味があったわけではありませんでした。 親からは中学生くらいのころからずっと医者になれと言われていました。 ですが私としては、大学には行きたいけれど、医者になるのは気が進みませんでした。 それでも医学部は受けたのですが、そんな気持ちで受けて合格できるほど簡単ではなく…。 親からは『医者にならないのなら大学には行かずに働きなさい』とは言われたものの、なんとか説得し、福岡大学に通うことになりました。 ―では、なぜパチンコ業界に進まれようと思われたのですか。 父は中州でクラブを4~5店ほど経営していたことがあり、成功をおさめていました。 クラブ経営を引退した後、父は昔からの知り合いである、機械台の代理店をされている方からの勧めで、パチンコ店を始めました。 その時、父から誘われたことがきっかけで私もパチンコ店の創業に関わることになりました。 ―お父様はパチンコ店の経営の経験はあったのですか。 以前仙台の方で30台くらいのパチンコ店を経営したことがあったそうですが、随分昔のことだったので、このときが初めてと言ってもいいくらいでした。 もちろん、私も大学生でしたので、商売の経験自体、ありません。 そこで、パチンコ店の営業ができる支配人を雇い、支配人が連れてきた主任と共に、昭和54年の4月に300台のお店をオープンしました。 ―ではほとんど0からのスタートだったのですね。創業当時はどのようなお仕事をされていたのですか。 役職としては専務でした。ですが、社長である父は当時すでに60歳になっていたため、「私は何十年も商売をやってきたからお前に任せる」と言って、私が全て任されることになりました。 とはいっても、私自身は商売の経験は一度もありません。営業面は基本的には支配人に任せ、私はホールでの業務と営業がしっかりとできるように、備品や景品などの発注管理や、金銭の管理等、様々な仕事をしていました。 父は最初の宣言通り、商売のことには一切口を出すことはありませんでした。ただ、環境整備に関してはとても気を配っていました。皆で気持ちを揃えてすることが大切だからと、自ら率先して清掃することも多かったです。 ―それはかなり大変だったのではと想像するのですが、営業の方は順調でいらっしゃいましたか。 1号店の周りは田んぼしかないようなところで、近隣に250台くらいのパチンコ店があったのですが、そこも稼働は2割程度。商圏としては決して良いとは言い難い場所だったので、オープン前はとても不安でした。 ですが、オープン当日は雨の日で、農家の方々が仕事が休みだからとたくさん来てくださいました。 その後も常にお客様でいっぱいの日々が続き、稼働は順調でした。 ところが、全台普通機だったため、一日の粗利は非常に厳しい状態でした。そのため経費や社員の給料を支払ってしまえば残りはほとんどなく、私はお給料を1円も貰えないという日々が2年程続きました。 店舗の2階に食堂があったのでご飯は食べさせてもらえましたが、洋服などは学生時代の延長で、親から少しお金を頂戴するしかないというような生活でしたね。 ―その時、お父様とはどのようなお話をされていたのですか。 父はパチンコ屋を創業したことは間違いだったかもしれないと言っていました。 それまで30年近く商売をして貯めたお金を投資してパチンコ店を始めたものの、元すら取れない日々が続いていたので、時が来たら腹をくくるしかないという気持ちだったようです。 ただ、私には、「お前はまだ20代前半で若いのだからどこまで続けることができるかは分からないが、やれるだけやってみろ」と言われたことを覚えています。 ―そのような厳しい状態から経営が軌道に乗るようになったきっかけは何だったのでしょうか。 きっかけはセブン機の登場でした。 隣の店舗のオーナーから、セブン機を導入したところ大変儲かるようになったという話を聞き、物は試しと父に相談をして自店でもセブン機を40台導入することにしました。 すると、セブン機を導入した途端に売り上げが何倍にもなり、それまで達成することが難しかった一日の粗利目標をいとも簡単に達成できるようになったんです。 このことを機に、セブン機を増やそうということになり、1店舗目の隣に300台の店舗をオープンさせました。 ―当時宮本社長がどちらの店舗も見られていたのですか。 いえ、新しく支配人となった方と共に見ていました。 ただ、途中から私と支配人との間で営業方針に違いが出てきてしまい、口論になることもありました。 そんなある日、支配人から、「自分は創業当初からある店舗を見るから、専務は新しくオープンした店舗を見てください。どちらが利益を出せるか勝負をしませんか。私が負けたらおとなしく退職をします」と提案されました。 ―続きは後編で!
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