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vol107 三恵観光株式会社 杉本潤明社長

バナー三恵観光さま前

今週のパック・エックス通信は、三恵観光株式会社の杉本潤明社長です。
「イギリスへの留学が自分自身を大きく変えるきっかけになった」と話す杉本氏は、現在はパチンコ店、ボウリング場、ゴルフ場、飲食店などを経営し、総合レジャー企業を目指されています。

プロフィール三恵観光さま杉本 潤明氏
三恵観光株式会社 代表取締役社長。
大学卒業後、不動産会社での勤務を経て、プログラマーに転職。
28歳の時に、三恵観光株式会社に入社。現在は、代表取締役社長を務める。

三恵観光株式会社(http://www.sankei-kanko.co.jp) 昭和46年設立。
ダラム800の屋号で京都府にパチンコ店を1店舗展開。
他にもゴルフ場やボーリング場、飲食店などを運営している。

―本日は宜しくお願い致します。まずは、三恵観光株式会社に入社するまでの経緯について教えて下さい。

私は、商売をしている実家が嫌でした。 だから幼いころからずっと、高校を卒業したら家を出て、東京の大学に進学しようと決めていました。 どうせ家を出るなら、遠くに行ってみようと考え、大学1回生の1年間イギリスに留学しました。 今考えると、4年間そこで過ごせばよかったと思うくらい、気づきに溢れ、考えさせられることの多い留学経験でしたね。

―留学先ではどのような経験をされたのでしょうか。

一言で言ってしまえば、アイデンティティの壁にぶち当たったという感じでしょうか。

そのきっかけとなったのは、留学先での自己紹介でした。 当時、私はまだ韓国籍で、それまでずっと「杉本」として生きていましたが、初めて手に入れたパスポートには「朴」と記名されていました。 自己紹介をするとき、自分自身がわからなくなり、戸惑ったことをよく覚えています。 そして、最も自分自身の中で衝撃的だったことは、同級生のほとんどが明確な将来の夢を持って大学に進学していたことです。 日本の大学生の多くがそうだと思うのですが、私は4年間遊ぶつもりで大学に進学をしました。 ところが、「なぜ将来やりたいことが決まっていないのに大学に進学したんだ」、「将来のために勉強したいことがないのなら、高校を卒業してすぐに働くべきなんじゃないのか」と言われたんです。 色々な国籍の人がそこには集っていましたが、何の目的もなく大学に進学しているのは私だけといっても過言ではありませんでした。 当時の出来事は私にとって、人生観を変えるきっかけとなりました。

―大学を卒業後はどのようなお仕事をされていたのですか。

東京で不動産会社の営業職につきました。 実力主義の会社で、営業部長が木刀を持ってウロウロしていて、休みの日に休んでいたら「お前よく休むなぁ」と言われ、ノルマはないけど目標はある。極限にまで追い込まれましたね。 でも、そこで厳しさの中にあるぬくもりを教えてもらったと思っています。 新卒の中で1番に契約を取れた時、それまでほとんど話したことのない上司からおめでとうと言われ、札入れをプレゼントされたんです。 22歳で札入れなんて使い道がわからなくて、思わず、「小銭を入れるところはないんですか?」って聞いてしまいました(笑)。でも、素直に嬉しかったですね。 その後、主任にまで昇格しましたが、入社から1年半後に過労で体調を崩してしまいまして、仕方なく退社をすることになりました。 入社しときには同期は40人いましたが、その頃には私が最後の一人になっていました。 振り返ってみると大変厳しい環境でしたが、とても楽しかったと思います。 そこで教えてもらったことがあるから、今の自分があると思っています。

―退職後は、何をされていたのですか。

当時はWindows95が発売されたばかりだったので、私はパソコンに関わる仕事もおもしろいのではないか、と注目していました。 そんなときに、たまたま求人誌を見ていたら、初心者大歓迎のプログラマーの募集広告を見つけたんです。 すぐに応募をし、転職することが決まりました。 ところが入社してみると、初心者は私だけでした。 研修を受けても専門用語ばかりで意味がわからず、いつも一人で会社に残って勉強をしていました。ですが、それでもやはり周りとの技術には差があり、毎日、苦労の連続でした。 でもその中で、自分の生きる道がだんだんとわかってきたんです。 私以外の人はみんな技術面での能力は高いのですが、人に物事を伝える力は私の方が長けていると思えました。 そこで私は、お客様に説明をするための資料を作成したり、お客様の要望を聞いて、それをプログラマーに指示したりするような、お客様と私たちの間を繋ぐような仕事をするようになりました。 自分の居場所を見つけ出した私は、28歳までその仕事を続けました。 東京に来てから約10年が経っていました。 当時7年間付き合っていた彼女がいたのですが、その人と結婚をすることになり、そこで改めて自分の人生の今後を考えてみて、会社を引き継ぐことを視野に入れ、退職をしました。

―28歳で転機が訪れたのですね。三恵観光株式会社に入社することになった時のことについて教えて下さい。

実は、私はパチンコが嫌いでした。 私が育った町はとても小さかったので、パチンコ屋の息子だと町中の人に知られているんですよね。だから、色々と良くないことを言われることも多かったんです。 小さい頃に道で知らないおじさんから、「お前のランドセルはわしが買ってやったんじゃ」と言われたこともありました。 そのため、パチンコに対して怖いイメージが強く、継ぎたくもありませんでした。 しかし、私は長男なので、心のどこかでは継がなければならないとはわかっていました。 結婚をするタイミングで、父親から兵庫県にあるゴルフ場を任せたいので戻ってきて欲しいと誘いがありました。 ゴルフ場ならと思い、東京を去ることを決意しました。 パチンコ事業も見ることになったきっかけは、ある父との会話でした。 ある日、私はゴルフ事業の報告のために本社に行きました。そのとき父親から「この会社は何で回っている会社かわかるか」と聞かれました。 私は、「パチンコ事業です」と答えました。 すると父は、「じゃあお前は、ビジネスとしてのパチンコがわかるのか」と、また私に問いかけました。 私は、「わかりません」と言うことしかできませんでした。 会社の大きな柱は、パチンコ事業です。 父親に上手く言いくるめられた形かもしれませんが、その時の父親との会話を機に、私は意を決し、パチンコ事業とゴルフ事業の両方を見ていくことになりました。

―会社全体を見ていくことになったということですが、その時の経営体制はどのようなものだったのでしょうか。

昭和で止まってしまっているような経営体制でした。 カリスマ社長が一人で会社を動かしているような状態で、役職者に関しては、肩書だけはあるものの、スキル面でいうと他の平社員と同じでした。 仕事への取り組む姿勢というのも、社長に怒られないようにしなければいけないという考え方の社員が多く、率先して利益を生み出していこうという考えの社員はほぼいませんでした。 経営の管理体制も昭和感漂うものでした。 まず、帳簿が手書きなんですよ。 パソコンも1台だけあるにはありましたが、外部接続をされておらず、ワープロとしてしか機能していませんでした。 そのような状態で、先代の社長は経営をしていたわけですから、凄いことですよね。 私にはとてもマネできませんね。

―社長になられた時の想いをお聞かせ下さい。

社長になる前は、スーパーナンバー2にならなければいけないと考えていました。 先代社長の下は、私でなければならないという気持ちですね。 社長がしたいことをヒアリングし、それを具現化する。 それも、かなりのスピード感を持ってですね。 先代社長のもとで働いていた時間は、あっという間に過ぎて行きました。 ちょうど4年前、62歳で亡くなり、それを機に私が代表取締役に就任しました。 ですが、四十九日の期間は本当に悩みましたよ。 父が亡くなる前は、自分一人でもやっていけると思っていました。 なんでもできるっていう変な自信があったんですよね。 でも、父が亡くなって改めて、父の存在の大きさに気づかされました。 父がいたからこの会社の経営を続けられていたんだ、と思いました。 自分一人ではやっていけない、会社を全て売り、そこで得たお金で暮らして行こうかとも思いました。 私たち家族が生活していくだけならそれでもかまわないかもしれません。 ですが、そこで気がついたんです。 私は、杉本家だけでなく、三恵観光という会社も、後世に遺していくために産まれてきたんだと。 その時、真剣に悩み、答えを見い出すことができて良かったと思っています。 今では夢もありますからね。

―夢についてお伺いしてもよろしいですか。

夢は2つあります。 1つはビジネスにおける夢です。 この三恵観光株式会社から10人の経営者を生み出すこと。 そして、年商3,000億円の会社を育て上げることです。 中小企業に就職をして課長や部長で一生を終えることも素敵な人生かもしれません。 しかし、経営者にならなければ見えない素敵な景色もあります。 その景色を同じ場所から眺めることができるような仲間を作りたいんです。 そして、年商3,000億円にまで会社を育て上げ、58歳で引退をしたいんです。 父親が62歳で亡くなったということもありますが、60歳になってしまうと、気持ちに対してなかなか体がついて行かなくなってしまうのではないかと思うんです。 だから、それまでにしっかりとした事業の軸を4本作り、1本が上手くいかなくなってしまっても立派に立っていられるような会社に育て上げていきたいと考えています。

―もう1つの夢は何ですか。

もう1つの夢はプライベートに関することです。 子供が3人いるのですが、将来的にそのうちの何人かは海外に住んでいて、嫁さんと一緒に2人でしょっちゅう遊びに行くんです。 嫁と海外旅行を楽しみたいんですね(笑) この2つの夢が叶ったとき、私の人生のミッションは達成されると思っています。 私の人生のミッションが達成されるとき、多くの人が巻き込まれて、巻き添えと言う形で幸せを感じてもらえるのではないかと思うんです。 幸せの感じ方は人によって違いますが、自然と笑顔になるような幸せの形を生きている間に一つでも多く残していきたいですね。

―社員に対しての想いについて教えて下さい。

社員がいなければ、会社は成り立つことができません。 社員の存在はとても大切です。 だからこそ、この会社でよかったと思ってもらえるような組織を作っていきたいと思います。 ステップアップのために退職することは良いことだと思うのですが、撤退的な退職はさせたくないんです。 大事な仲間ですからね。 皆が仲間として働いていきたいと思えるような会社は素敵じゃないですか。 そのためにも、ひとりひとりに声をかけることもそうですが、従業員の誕生日には何かをプレゼントしたり、手書きのメッセージカードを渡したり、従業員の奥さんのお誕生日にはお花を送ったりしています。 新入社員として入社してくれた社員のご家族には、大事な息子さんや娘さんをわが社に預けてもらうわけですから、挨拶にも行っていますよ。 やはり、パチンコ業界に就職することを懸念する親御さんも多いと思うので、少しでも安心してもらえればと思い、この活動を続けています。 入社時に渡すカード。 三恵観光グループが目指すものが書かれています。

―新卒採用も杉本社長自ら積極的に行っているのですね。

はい。 会社説明会と1次選考は全て私が行っています。 一緒に現場で働きたいと思えるかという点を採用の基準にしているので、2次選考からは現場の社員に行ってもらっています。 パチンコ業界は、新卒採用が本当に厳しいですし、16卒採用からは、内定辞退も増え、さらに厳しくなってくると思います。 なので、来年からは合同説明会にも自分で行こうと思っているところです。

―杉本社長が共に働いていきたいと思う人はどんな人ですか。

元気をくれる人ですかね。 それと私の考えを理解してくれる人。 理解してくれている人は、それだけ想いが近いので、仕事のスピードがぐっと上がると思うんです。 同じ想いを持ってくれている人は、仕事だけでなく成長スピードも速いですからね。 それに、育ててあげたいとも強く思いますしね。 元気をくれる人は、一緒に仕事をしていて気持ちが良いので、そういった人と一緒に働きたいですね。

―最後に座右の銘を教えて下さい。

「反省はするけれども、後悔はせず」ですね。 この言葉が言えるのは、今までの人生があったからだと思います。 あと100年も生きないのだから、自分が生きた意味が何かしらの形で残ればいいなって思うんです。 子供だったり、仕事だったり、あるいは誰かの記憶の中だったり。 形はどうであれ、良い意味での生きた証を残すことができることって、とても素晴らしいことだと思うんです。 それをするためには、今を全力で生きることなんじゃないでしょうか。 過去ばかりを見て後悔をしていては、今を精一杯に生きることはできません。 未来という字は、未だ来ずと書きます。 未来を大事にしたいのなら、それよりももっと現在を大事にしないとですね。 そのためには、後悔ではなく、反省を活かしていくことが必要なんだと考えています。

―ありがとうございました!


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