城栄産業様バナー用前編用今週は株式会社城栄産業の谷山勝崇営業本部長に登場いただきました。
入社までパチンコをやったこともなく、入社当初はスタッフとの関係づくりから大変苦労されたそうです。
そんな逆境からどのようにして道を切り拓いて来られたのか?前編では入社の経緯から、ターニングポイントになったと感じられる出来事までをお届けします。

城栄産業様前編プロフィール

株式会社城栄産業
営業本部長
谷山 勝崇氏
大学卒業後ホテル、広告代理店での勤務を経て、2006年に父であり現社長が創設した株式会社城栄産業に入社。
現在は神奈川県で1店舗(チャンピオン田名)を運営する。

―本日はよろしくお願いいたします。まずは御社に入社されるまでの経緯を伺えますか?

大学卒業後、最初の就職先はホテルでした。4年ほど勤務し、接客、法人営業を経験しました。
その後インターネットの広告代理店に転職し、営業をしていました。
今の会社に入社することになったきっかけは、当時社長だった叔父が急死したことでした。
広告代理店に入社して1年も経っていない頃でしたが、創設者である父は叔父に社長を譲って業界を離れて20年近く経ち、還暦を迎えていたため、私に声がかかりました。

―いずれは跡を継ぎたいという考えは持たれていたんですか?

いえ、跡を継ごうという気持ちは全くありませんでした。
業界に全く興味はないし、パチンコをやったこともない。
それまで父からパチンコ業を継いでほしいという話もなかったので、声をかけられたときも「俺に声をかけないでくれ!」という気持ちでした。
半年間断り続けましたが、最終的には入社することになりました。

というのも、大学を卒業した頃から経営者への憧れを持っていたからなんです。
自分で会社を動かしてみたい、起業家として会社を創りたいという夢がありましたし、単純に裕福になりたかったのかもしれません。
そこで、「パチンコ業でも夢に近づける一歩であれば、手段(業種)を選ばずやってみよう」と入社を決めました。

―他業界からパチンコ業界に入ってみて、何か感じたことはありましたか?

「この業界の常識が世間の非常識で、世間の常識が業界の非常識」とよく言われますが、まさにそれを体感しました。

そもそも、私自身パチンコ自体にどこかやましさを感じていた部分もあります。
俗に言うグレーな部分なのか、他業界では大抵の場合レシートや領収書など消費の証明が発行されるのに対し、パチンコではそういったものが一切ない。今でこそ当たり前のことですが、入社当時はそんなことも不思議に思いました。

自店のレベルの低さも感じました。サービス業でありながらお客様のために我々がいるといったことを意識できていませんでした。お客様を“お客様”ではなく“客”として扱っていましたし、トラブル発生時に駆けつけるだけの係員のようでした。新しい試みをすると“余計なこと”として怒られていたためか自発性にも欠けました。

そういった他業界ではあり得ないことが“当たり前”になっていることに違和感を覚えました。だから正直、世間の常識を持っていけば数字なんて簡単に上がると思いました。
実際には大変だったんですけどね・・・。

―入社当初はどのような仕事をされていたのですか?

企画室室長という役職で入社したのですが、最初は仕事をさせてもらえるような状況ではなかったです。
この会社の創設者は私の父ですが、20年ほど前に会社ごと叔父に譲っていたため、役員も含めて誰も父のことを知らないんです。だから彼らにとっては、どこの馬の骨かもわからない経営者の、さらにパチンコのことも知らないような息子が突然やってきたようなものです。

入社して1日目のことだったと思いますが、「確変って何?」と質問したら皆なんだこいつは??という反応でした。
それから私が出勤しても「後は俺達でやっておくので、もうあがっちゃってください!」と言われ、席ももらえない日々が続きました。

相当やりづらかったですし、もどかしかったですね。
父の時代には5店舗まで拡大していましたが、私が入社する頃には2店舗にまで縮小していました。
今変わらなければ将来はない、まさに“待ったなし”の状態にも関わらず、思うように仕事ができませんでした。

―それからどのようにして状況を変えていったのでしょうか?

このままでは会社の存続は厳しいと思い、本部ではなく現場で仕事をしようと決めました。
ですが知識も経験もない状態では難しいと考え、“釘の学校”に通い、勉強しました。
その後現場の知識をつけるために他社ホールさんで3ヶ月間アルバイトさせてもらい、 現場のことを一通り勉強したところで、改めて自社に戻りました。

―自社に戻られて最初はどのようなことをされていましたか?

敵陣に装備なしで乗り込む勢いで、「ユニホームをくれ!」と言って私も現場のスタッフとして働き始めました。
それから機械台選定の決裁権をもらいました。
当時はいわゆる“5号機問題”が差し迫った問題となっていました。
いきなりすべて5号機に差し替える資金的な余裕もないですし、さらに5号機に変えることでお客様が離れてしまう可能性もありました。
そこで数週間で使えなくなってしまう4号機を再設置で導入して、4号機と5号機を併設しながらも5号機でしっかり玉を出すようにしました。
現場からは猛反対を受けました。すぐに使えなくなる台を入れるということは、その分入れ替えに関わる業務が増えて手間がかかります。
ですが、とにかく「今を切り抜けるためにはそうするしかない。」と強引に押し切りました。
結果的にはそれで経営を持ち直すことができました。

しかし、私が本格的に戻って数ヶ月の間に店長・副店長クラスは全員辞め、他のスタッフも少しずつ辞めていきました。
社員を採ってもすぐ辞めてしまうことも多く・・・。
社員が1人だけで、あとは全員アルバイトになったこともあったので、私が店長となり会社で寝泊りするような生活をしていました。

―会社が変わったなと感じるようになったのはいつ頃からですか?

現在のスタッフ達のような良い仲間に恵まれはじめ、社内スローガンを立ててからですね。

“パチ屋”から“企業”へ変えていくため、「チャンピオンが変わる、我々が変える!我々から変わる!」という目標を掲げ、徹底的な現場主義を貫き通しました。

新たな試みに対しても、「できない理由を探すのではなく、できるためにはどうしたら良いのか」を考えるようにスタッフ達に訴え続けました。もちろん、お金がかかる試みに関してはひとまず保留にしていましたが・・・(笑)。

それから現在はパーソナル化が進みホールスタッフを削減する店舗が増えていますが、弊社はあえてホールスタッフを増やしてきました。現在ホール職で社員が9名います。
これは地元の方とのふれあいを大切にし、人でしか演出できない雰囲気や活気をつくることで他店との差別化、チャンピオンらしさを維持していきたいという想いからです。

決してすぐに結果が出るものばかりではなかったですが、少しずつお客様に支持してもらえるお店になってきたと思います。
今ではスタッフ達が主人公となってお店をつくり、「チャンピオンが好きだからここにいるんです!」と言ってくれるスタッフも増えてきて、嬉しいです。

―谷山営業本部長、ありがとうございます!後編は1/15(水)にお届けします。

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