太洋社様01

今週は株式会社太洋社の金貴如社長に登場いただきました。
もともと家業を継ぐつもりはなかったという金社長。しかし、あることがきっかけで自分がやるしかないと決意し、入社されました。「やると決めたらやり通す」という信念の元、これまで様々な改革をされてきたそうです。
前編では、入社に至るきっかけ、入社後に行ったことについてお話頂きました。
それではどうぞ!

太洋社-金様

プロフィール
金 貴如 氏
株式会社太洋社 http://www.taiyosha-love.com/index.html
代表取締役
和歌山県で1,000台規模の1店舗を経営。理念である「日本一最高のエンターテインメントホスピタリティ企業」の実現を目指す。

―本日はよろしくお願いします。まずは社長になられるまでの経緯をお伺いできますか?

25歳の時、父が経営するこの会社に入社しました。それまではどこかに就職していた訳ではなく、フリーターで、リサイクルショップやパチンコホールなどの仕事を経験していました。格好よく言えば“自分探し”ですが、特別に何か目的があったわけではありませんでした。

―会社を継いでほしいというお話はあったのですか?

いえ、全くありませんでした。それに、もともと家業を継ぐつもりもありませんでした。小さい頃から親の姿を見てきて腹を括らないと出来ないなと思っていたので、「絶対にしんどい」と思っていましたし、継ぐ気は起きなかったです。むしろ、小学生の頃から自分で商売したいなと思っていました。

―そんな中、入社に至ったきっかけは何でしょうか?

母親に頼まれ、10年ぶりに店舗に行くことになったのですが、お店に入った瞬間、「つぶれるな」と感じたんです。それがきっかけです。

お客様はおらず、スタッフは店内でタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりして休憩しているような状況。パチンコは良く行っていましたが、こんなやり方をしていたら流行らないのは当たり前だと感じましたし、「ここまで遅れているのか」と衝撃を受けました。
そんな現状を目の当たりにして、「俺がやるしかない」と思ったんです。そこで父であるオーナーに「手伝わせてください」とお願いし、入社しました。

―先代に手伝いたいと言った時の反応はどうでしたか?

特別なことはなかったです。元々継いでほしいと思っていたのだと思いますが。
私はどこかでしっかり修行してからと思っていましたが、その件を父に話したら、すぐに来いと言われました。

―結果的に、「商売がしたい」という小学生の頃からの夢を叶えることになったんですね。

でもやはり0から1を創る方がいいです。会社の歴史が長ければ長いほど、その会社に関わる人たちが多くなり、組織の大部分が既に構成されています。そうではなく、自分で作っていくのが好きなんです。それが理由で、継ぎたくないという気持ちがありました。

―入社当初はどのような役割で仕事をされていたのでしょうか?

社長になるまでずっとマネージャーでした。最初は何にもわからなかったので、入社して3か月間は会社のいろんな部分を把握し、私の中で問題点を明確にしていくということをしていました。
当時は変わらなければお店を閉めなければいけない段階に来ていたんです。従業員にも説明し、「1年待つから変わってください」と伝えていきました。

―従業員のみなさんの反応はどうでしたか?

結果として辞めていく者がほとんどで、私が入社して1年後には従業員のほとんどが入れ替わりました。当時の私は、有無を言わせない態度でしたから、それは失敗だったかなと思います。

変わることに対して人は嫌がりますし、それが好きな人はいません。変わってくださいと伝えると、「変わること」を目的としてしまいがちです。しかし、大事なことは変わることではありません。まず目標があり、それを達成するための手段として変わることが必要ならそうすべきということです。この話は今も従業員によくしますね。

―この改革について、オーナーから何か意見はありましたか?

「やりだしたら中途半端にはしない、やると決めた以上やり通す」これが私の性格です。
これに加えて、オーナーにこういうことが必要で、こういう将来があることをしっかり事前に説明したため、信頼して任せてもらえたことが、要因にあると思います。私はオーナーが父親という感覚で仕事をしていません。父と考えてしまうと、甘えが出てしまうためです。一ビジネスマン、一管理職として、関係を築いているからこそ、組織のことをしっかり考えた取り組みが行えたのです。

―後編は11/27(水)お届けします!

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