今週は有限会社ネクサス・ワンの山田典生社長に登場いただきました。
釘の学校「山田塾」では、技術だけを教えるのではなく、「清く正しく強い心」を育てるという山田社長。そこには、山田社長が大切にされている「技術は心に勝てない」という想いがあるからだそうです。
前編では、山田塾発足までのお話をご紹介します。
それではどうぞ!

TOPから学ぶvol.82
有限会社ネクサス・ワン 山田 典生社長 前編

山田社長

山田 典生 氏
有限会社ネクサス・ワン http://www.yamada-juku.com/
代表取締役社長
ホール勤務を経て、2001年にホール全般における製品開発、ソフト開発等を行う企業に入社。釘の学校事業をスタートさせる。2003年に独立し、有限会社ネクサス・ワン(釘の学校「山田塾」)設立。約10年間で受講者は2,000名以上。

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―本日はよろしくお願いします。まずは釘の学校設立のきっかけをお伺いできますか?

12年前に前職の社長に出会ったことがきっかけです。大阪のパチンコホール退職後、今後どうしようかと考えているときでした。
社長から「山田!俺の夢は釘の学校を作ることだ」と言われ、私もそれはいい案だと思いました。そうしたら「9月からスタートするからテキストを作ってくれ」と。テキスト作成を進めていくうち、「講師も務めてほしい」と言われました。初めてその話を聞いたのは春先だったので、すごいスピードで学校は始まりました。社長はすごく行動力がある方なんです。

―スクール形式で釘を教えるという経験はそれまでされたことはあったんですか?

いえ、ないです。それに私は釘が下手だったんです。
釘の学校の創設メンバーは、社長の他に、私が師匠と慕う方がいらっしゃいました。私も学校を始めるに当たって、師匠に改めて釘を教えてもらったのですが、「センスが無い」とばっさり言われてしまいました。
でも師匠は、「俺は釘は上手いが口は下手だ。でも山田は釘は下手だが口は上手い。だから俺の口となって技術を伝えていってくれ」と言われたんです。当時師匠は60歳を過ぎ、死ぬまでに人からありがとうと言われることをしたいと、北海道から沖縄まで飛び回り、現場の若いスタッフを指導していました。そんな姿を見ていたら自分がやらなければならないんだと思いました。

私は大阪のホールでは営業部長をしていて、正直、偉そうな格好していたんです。イタリアンスーツなんか着てね。でも社長、師匠と出会い、講師になることを目指すようになり、謙虚に生きようと思うようになりました。お二人との出会いが私の心意気を変え、人生の見る角度を変えるきっかけとなったんです。

―学校を立ち上げた以降はいかがでしたか?

タイミングがよかったこともあり、スタートは順調でした。
2002年に出玉や入替の規制があり、ホールはどこにお金の使うかを考える時期にありました。そこで若いスタッフに釘の学校に行かせるという風潮が生まれてきたのです。
おかげで、月曜日から金曜日までの5日間、朝から晩までみっちり授業を行うということを10週間連続でやり、述べ約140名の方に教えることができました。

―短期間で140人を相手にするというのはなかなかできない経験だと思うのですが、何か印象に残っていることはありますか?

とても密度の濃い時間でした。教えるということと学ぶことは同義語と感じましたね。
教えるスキルが飛躍的に上がり、ありがたいなと思いました。
同じように教えていても、できる人とできない人がいる。万人に通じるモノはないと気付きました。この体験は私の人生も大きく変えていきました。

―その後独立されるまでに、何かきかっけはあったのでしょうか?

独立なんて一切考えていませんでした。
釘の学校が盛り上がっていた当時読んでいた本から、傲慢は良くないと考えさせられました。人は無意識のうちにナルシストになるものだと思います。私も多くの生徒を抱え、何千万円の売上を出すようになり、会社では社長の次の地位となっていました。そういうことができている自分を誇らしく感じ、傲慢になっていました。それと同時に、会社を思うが故に、方向性や考え方に対する不満も生まれてきました。
そんなあるとき、会社経営を行う2人の友人に愚痴を言ったことがあるんです。その2人には同時にではなく、別の機会に話したことなのですが、2人とも同じ見解でした。「俺が社長ならお前はいらない」と。
社長に従い働くことができないなら、会社を辞めて起業するしかない。社長はすべての責任を負う代わりに好きなことができる。彼らからそう教わりました。

改めて社長と今後について話し合いをしましたが、やはりお互いの目指す方向にはずれがあり、社長からも最終的にどうするかは自分で決めるよう言われ、身を引く決意をしました。

―辞めた後どうするかは決められていたんですか?

いえ、給料をもらいながら次の職を探すのも嫌だったから、何も決めないまま辞めました。
そんなときに、以前生徒として来られていたあるオーナーから、「うちに来て釘を教えて欲しい。先生の研修に感動したのです」と連絡がありました。
社長業には魅力を感じていませんでしたが、釘の学校には強いやりがいを感じていたので、引き受けることにしました。

―会社を離れ、お一人でされてどうでしたか?

それまでは会社のバックアップがあり、やりやすい環境下で行っていました。だから自分でスケジュールを細かく立てて、売上金を管理し、そのお金を自分で使うという流れを全部一人ですることを初めて経験しました。
もともと小心者で、いい加減な性格だったので、こんな人間が他人様に物事を教える資格があるのかと、絶えずコンプレックスを持ち、不安でいっぱいでした。
でも生徒さんから「釘の学校には山田さんがいないと意味がない。独立した方がいい」「山田さんは慕われているから大丈夫」と言う声を頂きました。それで改めて独立することを決意し、法人化した方が企業も取引がしやすいからという理由で会社をつくりました。これが「山田塾」発足のきっかけです。

―続きは後編で!

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