今週は株式会社ワールドの石川直史社長に登場いただきました!
大学院卒業後、設計士の仕事をされていた石川社長。二代目社長としてワールドを継ぐまでは、パチンコもやったことがなかったそうです。そんな石川社長が、どのようにして会社を発展させてきたのか。前半はこれまでの経歴をお聞きするとともに、石川社長の人となりをご紹介します。
それではどうぞ!

TOPから学ぶvol.81
株式会社ワールド 石川 直史社長 前編

株式会社ワールド http://www.world-g-staff.co.jp/index.html
代表取締役社長 石川 直史 氏
創業である父の跡を継ぎ、株式会社ワールドの代表取締役に就任。京都府でパチンコホールを5店舗経営。他にもカフェやカラオケ・ビリヤード店も経営している。

―本日はよろしくお願いします。まずは御社に入社されるまでの経緯を伺えますか?

現在入社して16年目で、今年46歳になります。それまでは設計士として建築業界で仕事をしていました。大学で建築を学び、卒業後は設計事務所に入り、資格も取得しました。設計士として、大阪各地の集合住宅や公共事業に関わる都市計画の仕事を本格的にやっていたんです。

―設計士というのは昔からの夢だったんですか?

いえ、そういうわけではなく、偶然に近いんですよ。
私は韓国籍なんですが、当時は「就職できないから独立する」という考え方を持つ人が多くて、よく「手に職をつけろ!」「医者になれ!」という声を聞いていました。そんな中、最終的に独立できる可能性がある設計士を目指すことになりました。

―設計士としてご活躍されていた頃の一番の思い出は何ですか?

今は設計士と聞くと、おしゃれで華やかなイメージを抱きがちですが、当時はそうでもありませんでした。期日を守るために2週間も事務所にこもり、家に帰れないなんてこともありました。なので、結構大変でしたね。でも私が勤めていた会社は、集合住宅や公共施設だけではなく、商業施設や医療・福祉施設など多角的に事業展開していたので、いろいろなことに携われることは楽しかったですね。パチンコホールの店舗設計もお手伝いしていました。

―設計の仕事からパチンコの仕事を継ぐことになった経緯は何ですか?

父親から戻って来いと声がかかったためです。もともと継ぐ予定はなく、正直パチンコに興味はなかったし、パチンコをやったこともありませんでした。弟がいるし、自分は跡を継がなくてもいいかなと考えていたんです。
当時の私は普通に生きていければいいなと思っていたので、経営者になるなんて夢にも思っていませんでした。私はどちらかと言うとグループよりも一人でコツコツ仕事をこなしていくタイプの人間だったんです。

―それまでとはまったく異なる業界に入られたわけですが、当初はどのような仕事をされていたのですか?

最初は経理総務の仕事をメインにしていました。父である会長に指示されたわけではないのですが、当時経理担当者がいなかったので、だったら自分がやろうということでやっていました。
設計士のときは金銭業務とは無縁だったので、知らないことばかりでしたが、戸惑いはありませんでした。新しいことをやるのが好きだったので、むしろ楽しかったんです。こんな世界もあるのだと発見にもなりました。
でもやっぱり知識がないので、それを補う点では大変でしたね。周りには事務処理仕事をする18歳ぐらいの女の子達しかいなかったので、実務を教えてくれる人は誰もいませんでした。だから、大手企業で財務担当をしている大学時代の友人に教えてもらっていました。時には銀行に直接問い合わせをしたり、自分とは面識ない友人の知人にも教えてほしいと言って、バンバン電話したりしていました。そのおかげで経理業務をこなせるようになったし、すごく勉強になりました。

―これまでの経歴の中で、石川社長ご自身のターニングポイントとなった出来事は何かありますか?

一つは競合店が同地区に進出してきた時です。
もともと出店が多くある地域ではなかったので、競合店ができたことでお客様も真新しいホールにどんどん惹かれていきました。初めは競い合ったのですが、早々に「これは無駄だ」と気付きました。強かったですし…。
でもこの気付きは、今の理念につながっているんです。「どうしたら競合店に勝てるのか?」一度原点に返って考えていました。そこで改めて気づいたことは、我々が提供しているモノは「遊び」であることです。深く考えずに、お客様が求めている遊びを提供すればいいのだと再認識しました。

それまでは地域1番店から4番店まですべてワールドでした。だからプライドも高かったですし、今思えば井の中の蛙状態でした。
競合店が進出してきたことで、全国のパチンコホールを視察し、いろんなヒントを得て、戦略立て直すきっかけになりました。そのとき何も行動に移していなかったら、今会社はどうなっていたかわかりませんし、大手企業の動きを知る機会にもならなかったです。

―続きは後編で!

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