今週は株式会社マトリックスの大堀康祐社長に登場いただきました。
ゲームが大好きで、高校生の頃には自らゲーム攻略の同人誌を作っていたという大堀社長。
同じくパチンコ・パチスロも大好きで、「もっとおもしろい台をつくりたい」という想いから、パチンコ・パチスロ事業も始められました。前編ではパチンコ・パチスロ事業を始めるまでのお話をお聞きしました。
それではどうぞ!

TOPから学ぶvol.79
株式会社マトリックス 大堀康祐社長 前編

株式会社マトリックス http://www.matrixsoft.co.jp/index.html
代表取締役社長 大堀 康祐 氏
1994年にゲーム制作会社である株式会社マトリックスを設立。「面白いコンテンツを真面目につくる」にこだわり、その後はモバイル事業、パチンコ・パチスロ事業も開始。現在は社員数約120名の企業に成長している。

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―本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのお話から伺いたいと思いますが、ゲーム業界に入ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

私は子供の頃からゲームが好きだったんです。
中学生のときにインベーダーゲームが出たのですが、初めて目にした時は「なんだこれは!?」と衝撃を受けましたね(笑)。
それまでの遊びはコンピュータを使わない遊びが主流でした。コンピュータを使うようになったことで、ブラウン管に映った絵がリアルタイムで書き変わる。「これはすごい!」と僕ものめり込みました。インベーダーゲームの登場が遊びを劇的に変えたんですね。
でも、当時のゲームセンターは不良のたまり場でした。そのため、親御さんからは“ゲーム=悪”だと思われていました。「こんなに面白い遊びなのに、なぜ認知されないの?」と残念だなと深く感じていました。パチンコ業界とも近い状況ですよね。

高校生になってゲームへの熱はさらに高まり、ゲーム攻略の同人誌を作ろうと思ったんです。今は「ファミ通」など有名な雑誌は複数ありますが、当時はそのような雑誌はありませんでした。作ってみようとは思ったものの、著作権などで訴えられたら嫌だなと思い、ゲーム会社に電話して聞いてみたんです。

当時のゲーム業界はイメージの健全化に向けてファンを大事にしていました。そのため、私みたいなエンドユーザーにもちゃんと時間を割いて対応してくれたんです。いろいろと教えてもらいながら、同人誌としてゲーム攻略本を作るようになりました。

私が大学生の時にはファミコンが登場し、ゲームブームが起きました。それがきっかけとなって、ゲームが「不良の遊び」から、「文化」として認知されるようになっていったのです。

大学卒業後の進路もやはりゲーム業界と考えていました。
高校生の頃からゲーム会社の方にお世話になったこともあり、私も「この業界の発展に貢献したい、ヒット作を生み出したい」と思うようになっていました。卒業後はゲーム会社に入社し、まずは制作を学びました。

―御社を起業するきっかけとなった出来事は何かあったのでしょうか?

私がプランナーというゲームの企画を考える仕事をしていたときのことですね。

ゲームの制作は長いです。今だと携帯ゲームは数か月で作れるものもありますが、昔のゲームは1年かかるものばかりでしたし、開発期間が延びることもよくありました。

プランナーというのはどんなゲームを作るかを考える仕事です。それを元にデザイナーが絵を描いて、プログラマーがプログラムして完成する。だからゲーム制作の中で最初に手が離れるのがプランナーなんです。
当時のゲーム会社は組織としてしっかりしていた訳ではないので、手が空いている人たちで次の仕事を作らなければなりませんでした。だから私も営業活動していたのですが、あるとき案件になった仕事を会社に報告したら、「せっかくだから自分でやりなよ!」と言ってもらえたんです。もともと独立したい意思があったので、タイミングがすべて合致し、職場の同僚たちと一緒に独立することになりました。そのとき受注したものがマトリックス最初のゲームになったんです。

―これまでたくさんのゲームの制作に携わってこられたかと思うのですが、そのアイデアはどのように生まれてくるのですか?

僕はゲームというのは“派生学と組み合わせ”に近いと思います。
例えばドラゴンクエスト。制作者も話していましたが、RPGの基礎になっているアメリカの「ウィザードリィ」というゲームと、「ウルティマ」というゲームの良いところを組み合わせて作られたものがドラクエなんです。大体のゲームは似ていますよね。画面が横に流れていって敵を倒すゲームとか。操作に関しても、Bはジャンプ、Aは攻撃など。
だからゲームというのは、いろんな良いところを掛け合わせ、“派生”させたものであると私は考えています。
突然変異で現れたゲームはテトリスぐらいではないでしょか。

ゼロから考えると言い切る人もいますが、僕は韻を踏んでいるゲームが多いと思っています。なので、他社のゲームをしている時にも、このゲームにどう変化を加えたらもっと面白くなるかを常日頃から考えています。

―そのような考え方や視点は、いつ頃からお持ちだったのですか?

幼少期からですね。ビデオゲームだけではなく、遊びそのものが好きな子供でした。駄菓子屋に行っては、玉を弾くゲームや、飴つきの紐を引くゲームなどに夢中でした。とにかく「上手くなる、攻略する」という努力をすることが好きだったんですね。いろんな着眼点を得ることは、この頃に養われたと思います。

―現在は社員数約120名の企業に成長されていますが、組織が大きくなるターニングポイントはいつ頃でしたか?

最初のターニングポイントは、ゲームの制作ラインを1ラインの制作から、複数ライン同時進行で制作するようにした頃です。そのタイミングで人が増え、さらに大きくなったのは、モバイル事業とパチンコ・パチスロ事業の開始ですね。

私はコンピュータが登場した当時、すごく衝撃を受けたんです。人間が時間をかけて一生懸命考える計算を、コンピュータは一瞬で答えを導き出す。「すごいな!これを使えばいろんなことが出来るな!」と言う考えがありました。だから会社としてもコンピュータを使った遊びは何でも作ろうというスタンスでいました。
最初は家庭用ゲームだけでしたが、携帯電話の普及とともにモバイル事業にも力を入れ、その後、もともと好きだったパチンコ・パチスロ事業にも力を入れていきました。

―ゲームとパチンコは同じ娯楽ではありますが、制作する上での違いはどのような部分にありますか?

ゲームはユーザーが自分でコントロールできますよね。ボタンを押すと、キャラクターがパンチやジャンプするなどの反応が返ってきます。
それに対しパチンコはアタリかハズレかのみです。ユーザーは受け身で一方的にアタリかハズレかの最終的な結果を受け取るだけです。だからこそ、いかにしてユーザーに演出の途中でドキドキ感やわくわく感といった楽しさを感じさせるかが、制作においては重要になってきます。
私自身は昔からハネモノが大好きでした。なのでその面白さも知っています。これにコンピュータや液晶が絡むとさらに楽しくなるという想いも昔からあって、だからこそ、今のパチンコ・パチスロ事業がありますね。

―続きは後編で!

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