今週のトップインタビューはグランドグループの平山社長にご登場いただきました!

グランドグループ様では「社長の人柄に惹かれました!」と入社される方が多いのだとか。
インタビュー中に「絶対夢は叶います」と強くおっしゃっている姿に、スタッフの皆さんや、学生の皆さんが社長に惹かれる理由を感じました
前編は入社当初のお話です。入社1日目で専務に就任、そして1年弱の間に3店舗の立ち上げを経験。まさに激動です!

TOPから学ぶvol.74
グランドグループ 平山 剛社長 前編

グランドグループ
代表取締役社長 平山 剛 氏
http://www.grand-p.co.jp/
大学卒業後、父が経営するグランド商事株式会社に専務取締役として加わる。遊技場の企画・運営のほか、飲食店の経営も行う。現在は徳島・香川エリアに12店舗、関東に2店舗を展開する。

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―平山社長本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご経歴から教えていただけますか?

大学の卒業式を終えてすぐに働き始めました。卒業証書を持って会社に戻ってきて、その翌日からです。その日に父である会長(当時は社長)が部長と店長を集め、『せがれが帰ってきた。今日から専務だ』と私を紹介しました。だからそれから20年間専務のまま、出世はしなかったですね(笑)。

―大学進学には反対はあったのでしょうか?

それはなかったです。ただ、進学先を決めるときに両親に言われたのは、『選択肢は2つ。医者になるかパチンコ屋になるかどっちか』ということです。
医学部は受けもしなかったので選択肢はパチンコ屋しかなく、なりたいとか、なりたくないといった問題ではなく、“must be”でした。
大学4年間だけが唯一の社会勉強をさせてもらえる期間でした。

―会社に戻ってこられた際にお父様から何か言われたことはありますか?

何も言われなかったですね。でも毎日電話はかかってきました。その日の営業報告をして、明日以降はこうしようと思うという話をしました。それが今で言う報告・連絡・相談でした。1日も欠かさずです。

―周りの反応はいかがでしたか?

周りは私がいずれ戻ってきて跡を継ぐということはわかっていたと思います。いきなり専務だと紹介されても、そういうものだと思っていたんじゃないですかね。昔は店の2階に住んでましたから、当時の店長や部長は私のことを子供の頃から知っていました。私も「兄ちゃん」と呼んで慕っていました。

―では社員の方とぶつかり合うことはなかったんですね。

そうですね、皆がよくしてくれたからだと思います。それから新店の出店に関わったことが大きかったです。
ちょうど私が戻った頃、3店舗目の建築に取り掛かっていたんですよ。その後さらに2店舗出店し、1年弱の間に計3店舗つくらせてもらえたんです。4店舗目からは店長がいなかったので、私が店長を兼任しながらやっていました。スタッフは既存店から1名連れて行き、他は新しいメンバーだったので、なんのわだかまりもなくスタートを切れたのがありがたかったと思います。
新店をつくりあげるところから携わるのと、出来上がった新店に配属されるのとでは、経験値が3倍は違います。

でも最初はわからないことだらけでした。建築の打ち合わせをしていても意味がわからないんですよ。設計士の方から「これでいいですか?」と聞かれたんですが、どう判断すべきかわからない。社内のメンバーも同席していたので、瞬間的にいろんなことを考えました。ひとつは、どういう意味かと素直に聞く。でもそうすれば周りはやっぱり私は何もわからない社長の息子なんだって思いますよね。もうひとつは知ったかぶりをする。でもそれをしてしまうともう二度と聞けない。そんなときに、同席していた部長が「それでいいんじゃないですか」と私の方を見て言ってくれたんです。そのときにこの人は信頼できる人だと思いました。今でもよく覚えています。

―当時心がけていらっしゃったことは何かありますか?

根性ですね。僕より若い経営者はいなかったですから、経験がないのでがんばるしかない。
隣の店が電気を消すまで、うちも消さない。徳島から香川に出店したばかりの頃はネームバリューはないし、近隣には地元の雄と言われる店舗がありました。
ちょうどその頃はバブルの時代でしたからね。真面目にやっていればお客様は入ってくれました。戦略なんてなかったと思います。人手は足りないし、まだパンチパーマのスタッフもいる時代でしたが、その人たちと一緒に酒のみながら、真面目にやろうぜと話しながらやっていきました。

―ターニングポイントになることはありましたか?

1995年ですね。現在はG-ONEという屋号ですが、この店を新規オープンした頃です。
何か変えていきたいと考え、この店舗からは寮をつくらなかったんです。自分の生活設計ができない人間に、店や会社の将来を描けるはずがないですよね。
普通の会社と同じように、寮をつくらない、まかないは出さない。その代わりに福利厚生を整えていきました。当時は社会保険の加入もまともに行えてなかったですからね。

それから寮があるということは、地元の人を雇っていないということなんですよ。地元の人を雇うと、地元の仲間と一緒になって不正を行うリスクもあるからという理由もあったんだと思います。でも私たちが地元の方を信用しなければ、私たちも地元の方から信用されません。

―社内で反対意見はありませんでしたか?

誰一人直接言う人はいませんでした。ある意味自由奔放にやらせてもらえたんです。

―続きは後編で!

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