今週のトップインタビューは晋陽グループの河本常務です。
レジャー事業、フード事業、ニュービジネス事業と多岐に渡って展開する晋陽グループさま。河本常務は関西を中心にパチンコホール13店舗を経営するレジャー事業部の統括をされています。
取材中は「人見知りなので・・・」とおっしゃっていましたが、常務の親しみやすいお人柄で社内の雰囲気はとてもよいと感じました^^
次世代のニューリーダーとして今どのようなことを考えられているのか??前編は常務就任までのお話です。それではどうぞ!

TOPから学ぶvol.73
晋陽グループ 河本 成佑常務 前編

晋陽グループ
常務取締役 河本 成佑 氏
http://shinyo-grp.co.jp/
東京農業大学卒業後食品メーカー、台販売業者を経て、父が経営する晋陽グループに2009年入社。2013年に常務取締役就任。現在はレジャー事業部を統括する。

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―河本常務本日はよろしくお願いいたします。まずは入社までの経緯から教えていただけますか?

大学卒業後は2年半程食品メーカーの営業をしていました。その後名古屋で台の販売業者を経てこの会社に戻ってきました。

―いつ頃から家を継ぐということを意識されていたのでしょうか?

小さい頃から思っていましたし、嫌だという気持ちは一切ありませんでした。
私が小さい頃は西成店の2階が自宅だったので、家がパチンコ屋をしているのはわかっていたのですが、親がどういう仕事をしているかは知りませんでした。だからどちらかというとパチンコ店を継ぎたいというよりは、親と一緒に仕事をしてみたいという方が正しいかもしれません。家が寿司屋でも、スーパーでも何であっても家を継いでいたと思いますし、それがたまたまパチンコ屋だったということです。パチンコが嫌いなわけでもなかったです。

―食品メーカーに就職されたときは何年くらい働こうというのはあったのでしょうか?

全くありませんでした。私自身はもっと働いてもいいと思っていました。食品メーカーの社長は私の家のことを知っていたので、入社から約2年経った頃に本社がある大阪に異動になり、社長のかばん持ちというか、付き人のようなことをさせてもらっていました。
社長は私に社長業というものがどんなものかを教えてくださり、私がある程度わかってきたら辞めさせようと思ってくださっていたようです。

―退職後、名古屋には修行として行かれたんですか?

はい、修行として名古屋の台販売業者には約1年間いました。そこで何法人かホールを回っていました。晋陽に入社したのは2009年のことです。

―入社にあたってお父様である社長から何か言われたことはありますか?

社長から言われたことはないですが、いろんな人から「ブレーンをつくりなさい」と言われました。
私は人見知りをする方なので、どうすればいいのかと四苦八苦していたときに、食品メーカーの社長に相談したことがありました。そのとき教えてもらったのは、「ブレーンはつくるものではなく、自然にできているものだ」ということでした。魅力がある人に人はついてくる、自分からつくろうとせずに、勝手にできているものがブレーンなんだと。だから自分らしく、自分が正しいと思うことをやりなさいと言われました。

―入社後はどのような仕事をされていましたか?

米子店の立ち上げに店舗長として加わりました。ホールの仕事は経験していましたが、立ち上げは初めてなので、当時の上司に助けられながらやっていきました。

―その頃の印象深いエピソードはありますか?

辛かったことや苦しかったことはありましたが、思い出深いのは、やはり米子店が初めて目標を達成したときです。オープンから1年くらいの頃です。私は西成店に異動になっていたのですが、それを聞いたときは嬉しかったです。一番の思い出ですね。

―よく「2代目、3代目の方が会社に戻ったときに現場からの反発があった」という話を聞くのですが、御社ではそのようなことはなかったですか?

僕の耳に入ってなかっただけで、あったんじゃないですかね。下積みをやったといってもたかが1年ですし、他社でのことなのでそれを見ていた人もいません。だから反発があるのも仕方がないと思います。

―西成店に異動されてからはどのような仕事をされていましたか?

リニューアルの計画があったので、そこに課長として加わりました。
西成店で働けるのは自分としては嬉しかったですね。自分の自宅があったところなので思い入れもありますし、会社としても一番大切にしたいお店ですし。だからリニューアルに関してもいろいろとわがままを言いました。
約1ヶ月間店を閉めてリニューアルをしたのですが、業者を使わずに宣伝したかったので、その間スタッフを休みにはしませんでした。まだ広告規制がそんなに厳しくなかったので、やろうと思えば大々的にできたんですが、お店の力がどれだけあるのか知りたかったというのもありますし、スタッフだけでどこまでできるのか知りたかったんです。
リニューアルは8月でしたが、スタッフには炎天下の中「リニューアルします」という宣伝を貼ったキャリーバックを持って街を歩いてもらいました。

―その話をしたときのスタッフの方の反応はどうでしたか?

クレームですよ(笑)。暑いし、大変ですよね。でもそれをきっかけには誰も辞めないという自信がありましたし、実際に辞めるスタッフはいませんでした。
というのも、私が西成店に入ってからけっこう厳しくやっていたんです。例えば身だしなみにしても、髪型、髪色すべて決めてその通りにやるようにいいました。親戚に美容師がいるので、店に来てもらって髪のセットの仕方をスタッフに教えてもらったこともありました。アルバイトの中にはそういったことを嫌がる年頃の人もいるので、辞めていく人も中にはいるだろうと思っていました。
リニューアルを一緒にすることになったスタッフは、それらを経て残ってくれて、お店を楽しいと言ってくれる人たちだったので、辞めないだろうと思っていました。

―リニューアルの結果はどうでしたか?

お客様はたくさん来ていただきましたよ。地盤があるお店だったからこそ成功したんだと思います。
スタッフもリニューアルオープンを楽しみにしていました。整理券を配布する日が来るのが楽しみでしたし、当日のコース発表するときすら楽しかったです。
いつもなら忙しくなるコースは嫌がるのに、その時は逆でしたね。そんなに忙しくならないであろうコースになったことを嫌がっていました。その声が嬉しかったです。

―西成店の後はどのようなことをされていたんですか?

営業企画室という販促などを行う部署を立ち上げて、その室長になりました。
それまでは店舗によってPOPなどがばらばらだったんです。企業ブランドをつくっていきたいと考えていたので、コストダウンも意識しながら統一化をすすめていきました。

その後、今年に入って常務に就任しました。現在はレジャー事業全般を統括しています。やはり一番気にしているのは数字ですね。数字がすべてではないですが、やっぱり利益が出てこそ、お客様によりよいサービスもできます。

―続きは後編で!

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