今週のトップインタビューは、有限会社美都の白河専務です。
豪快な雰囲気と素敵な笑顔の裏にある苦労や想いを伺ってきました!
前編ではこれまでのご経歴、そして社長であるお父様との関わりについてのお話です。それではどうぞ!

TOPから学ぶvol.72
有限会社美都 白河 仁専務 前編



有限会社 美都
専務取締役 白河 仁 氏
サラリーマンから突然パチンコ業界に参入するという異色の経歴を持つ。
現在は東京で2店舗を経営する。

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―本日はよろしくお願いします。まずはご経歴から教えて頂けますか?

大学卒業後は商社でサラリーマンをしていました。社会人2年目の時に、父から急に呼び出されて「パチンコやるから会社やめろ」と言われました(笑)。僕らは、上の人には絶対ですからね、特に親には。それで会社を辞めて入社しました。15年程前のことです。

最初はとりあえず伝票処理をしておけと言われてやっていたんですが、ホールにも出ることになりました。パチンコ自体はもともと知っていましたし、学生の時アルバイトもやっていたのでだいたい動きはわかっていたのですぐに慣れました。

ホールで働いていると、スタッフ同士の人間関係も見えてくるし、ずる賢いことをする人も中にはいました。そのあたりを垣間見た時になんとかしなきゃいけないという意識が働いて、自発的に動くようになりました。社長からもなんとかしてくれと言われていました。

私の同級生にもパチンコ関係が多かったので、相談しながらやっていきましたね。閉店後に知り合いのところに行って教えてもらったり、地元の部会を紹介してもらったり、着実に知識を得ていきました。そうすることで業界について知れましたし、人の考え方や、スタッフのマネジメントなど、いろいろなことを学び、とても勉強になりました。そうやって2、3年かけて大体のスタッフを入れ替えました。

 ―組織を作り変えていく中で、信頼できる部下は徐々に増えていったのですか?

今スタッフで残っている主任2人、副主任1人、マネージャー1人、この4人は私が育て上げました。この中の2人はアルバイトから育てましたし、もう2人は途中から入ってきて助けてくれました。苦境の中を一緒にやってきてくれたメンバーですね。

はその4人が中心となって現場を切り盛りしていて、陣頭指揮は私の弟である部長が全てやっています。

―今の体制ができたと思えた瞬間はどこでしたか?

リニューアルした時ですね。パチンコを始めて6年目ぐらいで結果がでてきてリニューアルに踏み出すことができました。それまで一緒にいてくれたスタッフ達は、勉強をしてくれていて、ホールを任せられる体制になっていました。私はホールからは距離を取りながら仕組みを全部作り上げていきました。

業界の仲間に、それぞれの店舗での役職毎の仕事内容を教えてもらい、うちに合うように落とし込んでいきました。スタッフの適材適所を考えながら、それぞれの役割を決め、体制を整えていきました。

―任せるタイミングが難しいという話をよく聞きますが、御社ではどうでしたか?

彼らが率先してやろうとしてくれたから任せられたし、期待に応えてちゃんとやってくれたので今があるんだと思います。

人は仕事を与えて立場を与えると育ちますね。上は任せる勇気を持たないといけません。じゃないとやっぱり機会も無くなってしまいますから、下は育っていかないです。

当時は1店舗だったので、その中では限界がありますよね。向上心もなかなか育たない。それならひとりひとりが店を守るパーツになればいい、と思って仕事の分担をして責任を持たせました。それが1番良かったですね。あとはどれだけ僕が、気配り、目配りをできるかですから。

―社長との関係はいかがですか?

頭が上がらないですよ。おおらかに見てもらえる部分もありますし、痛いところを指摘されることもあります。やっぱりよく見てるんですよね。だからあまり気を抜けない。お店の中をたまにぐるぐる見て、「あれなってない。これなってない」とすぐ言ってきます。そういう厳しい指摘を常に頂けるのでありがたいですよね。

―これは痛かったなというような指摘を受けたことはありますか?

「残念」とため息をつかれるのが1番辛いです。「なんとかしろ」とか言われる方がまだマシなんですよ。申し訳なさと言い訳のしようのなさ。それがやっぱり、1番辛かったですね。

普段強気な人なので、ふと弱
気な発言をするのは辛いです。こういう思いをさせてはいけないなと思いますね。

―社長に褒めてもらったことはありますか?

1回だけありますよ。リニューアルに持っていけるタイミングになった時でした。「よくやったな」と言われました。

リニューアルをする前に、私の発案で機械を手形で買っていたのを、現金購入に変えたんです。現金購入にすることでキャッシュフローが抜群によくなりました。ガラッと変わりましたから。資産勘定の減価償却関係が早くなり、税務面が楽になりましたし、機械の回転で資産が回るようにもなりました。それがきっかけで、いろんなタイミングで使えるお金がどんどん出来ていったんですよ。だからリニューアルもできんだと思います。

「お前のあの一言があの時になかったら会社は乗り切れていなかった。武器になった」と言ってもらいました。

―続きは後編で!

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