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vol110 株式会社三慶物産 植本宰亨専務 前編

三慶物産さま前編 今週のパック・エックス通信「TOPから学ぶ」は、株式会社三慶物産の植本宰亨専務です。 新卒でパチンコメーカー企業に入社し、現在は株式会社三慶物産の専務取締役を務められています。 「社会人の厳しさやタフな精神力を養うことができた」とメーカー勤務時代を振り返る植本専務。 前編では、株式会社三慶物産に入社するまでのご経緯と入社した当時のお話についてお伺いしています。 三慶物産さまプロフィール 植本宰亨氏 株式会社三慶物産 専務取締役 2001年に西南学院大学を卒業後、パチンコメーカー企業に新卒で入社。 2年間の勤務を経て、父が経営する株式会社三慶物産に入社。 約8年間、福岡エリアの店舗統括を担当し、5年前に本社勤務に異動。現在に至る。 ―本日は宜しくお願いします。植本専務は新卒でパチンコメーカー企業に入られたとのことですが、その当時はどのようなお仕事をされていらっしゃったのですか。 営業担当が契約してきた店舗に台を取り付けに行くという納品作業のお仕事を約2年間していました。 基本的には、店舗休業日や店舗が営業を終えた時間に納品作業に行っていましたが、台のトラブルがあったから今すぐ向かって欲しいと本部から連絡を受け、深夜2時頃に店舗に向かう、なんてことも平気でありました。 ―当時を振り返ってみて、どのように思われますか。 入社1年目は、本当に大変でした。こんなに過酷な仕事があるのかと思いながら、毎日がむしゃらに働いていました。ただ、ここでの2年間は過酷なだけではありませんでした。振り返ってみると、自分自身の成長に大きく繋がったと思います。社会人としての厳しさを教えて頂き、タフな精神力も養うことができた有意義な2年間でした。 ―ご自身の成長に繋がる2年間だったということですが、退職するきっかけは何だったのでしょうか。 入社当時は、最低でも3年は頑張ろうと思っていました。ただ、ちょうど3年目に差し掛かるタイミングで、父親から帰って来るように言われたことがきっかけです。 ―当時のお気持ちをお聞かせ下さい。 正直、辞めたくありませんでした。上司にご飯に連れていって頂いたり、ルート営業だったので店長さんと仲良くなったりもしていて、人の暖かさを強く感じており、仕事が楽しかったんですね。同時に、3年目からは長崎の営業担当を任せたいと声を掛けて頂いていました。がむしゃらに働いていた2年間の努力が実を結び始めた時だったので、尚更、まだまだ頑張りたいという気持ちが強かったですね。ただ、父の会社を継ぐために実家に戻ることに対して上司が後押しをしてくれたんです。 この話を上司にする前は、申し訳ない気持ちとさみしさが強かったのですが、上司が後押しをして下さったおかげで、ここでの経験を活かして頑張ろうと、前向きな気持ちで退職することができました。 ―株式会社三慶物産に入社されてみてどうでしたか。 西新店のリニューアルに伴い、部長として入社をしました。 ですが当時はまだ24才でしたし、右も左も分からないような状態で、部長の仕事についても、恥ずかしいくらい何も知りませんでした。 入社1か月目にミスをして、当時の専務に電話で7時間説教をされたこともありましたね。そのときは、この会社も大変だと思いました。 でも帰ってきた以上、やるべきことはやるしかありません。キャリアも年齢も私より上の人の上司になるわけですから、当たり前ですが、知らないからできませんでは済まされません。とにかくたくさん勉強をするしかないと思い、できるだけ店舗に長くいて仕事を覚え、わからないことは周りに聞いたり相談し、自分でも勉強するといった日々を約2年間続けました。 そうして、わからないなりにも一生懸命仕事に向き合っていくことで、だんだんと店舗の方々から認めてもらえるようになり、部長としての役割も見えてくるようになりました。 あの時の経験がなければ今の自分はいなかったと思うので、良い経験をさせて頂いたと思っています。 ―当時はどのようなお仕事をされていたのですか。 数店舗の店長のようなお仕事をしていました。 台の選定をしたり、イベントの企画をしたりですね。 自分でデータを見て分析をしたり、メーカー勤務時代にお付き合いをさせて頂いていた店長の方にお聞きしたりして、何とか部長としての業務を遂行していました。入れ替えのため朝方4時近くまで店舗で開店の準備をしていたこともありましたね。 ―当時、最も意識していたことは何でしたか。 何よりも数字を意識していました。数字が自分の中で全てと言っても過言ではなかったと思います。上層部から全店舗を任せられるかという試験をされている感覚だったんです。 一つの店舗も見ることができなければ、全ての店舗を任せてもらえるはずがないと思い、とにかく数字と言う分かりやすい結果を残すことだけに全てをかけていました。 ところが、突然数字が上がらなくなってしまったんです。それは、3店舗ほど任せてもらうようになった時のことでした。以前と同じことをしているのに、結果がついて来なかったのです。そこで私は、現在大切にしている「想い」に繋がる、あることに気が付かされました。 ―あること、とは一体なんだったのでしょうか。 自分ひとりの力には限界があるということです。お店の数字が上がっていたのは、私が決裁をしていたからであって、決して組織として強くなったからではありませんでした。私が前に出過ぎてしまった結果、お店の売り上げは上がっても、組織力という意味では低下してしまっていたんです。その時から人を育てていかなければという想いが芽生え始めました。 ―当時は5号機問題なども起こりましたが、そのような影響もあったのでしょうか。 少なからずあったと思います。5号機問題やイベントの規制も始まり、そういった外的要因に左右されない営業方法はないのかと考えた時、人という部分での価値を見出していきたいと思うようになったのです。数字を追いかけることが必ずしも間違いだとは言いません。 ただ、数字が上がらなくなったことにより、数字以外にも大切にしなければならないことがあると気付くことができたんです。 ―続きは後編で!