株式会社備宝、浜岡慶三郎常務 TOPから学ぶ前編
広島県福山市でK-1 500、K-1 400、パーラーF-1の屋号で3店舗を運営している株式会社備宝の浜岡慶三郎常務のトップインタビューです。前編では入社のきっかけや入社後のキャリアについてお聞きしました。
まずは経歴や入社の経緯をおしえてください。
高校卒業後は鉄鋼関係の会社に就職して4年程働いていました。昼間は本業の会社で仕事をして、夕方から地元の大手パチンコ店でアルバイトをしていました。当時、私自身はパチンコ業界に悪いイメージといった感情も全くありませんでしたし、常連のお客様とお話しするのが楽しくて、パチンコ店で就職することを考えました。
そこでなぜ備宝に入社しようと思ったのですか?
当時働いていた鉄鋼関係の会社にパチンコが好きな先輩がいて、「どのパチンコホールが良いと思いますか?」と聞いたら、F1グループが良いと言われたので、すぐに自分で備宝に電話して入社に至りました。
その後はどのようなキャリアを歩まれたのですか?
入社3ヵ月で班長、その一ヶ月後に主任に昇格しました。やる気を持って入社してモチベーション高く働いていたのを評価してもらえたのだと思います。
スピードの速いキャリアアップだったのですね。その後も順調に昇格していったのですか?
それが、当時の上司と私の部下についての話で揉めてしまったことがあり、それがわだかまりとなって一度退職してしまったのです。
そうだったのですね。それからまたパチンコ店に転職をしたのですか?
いいえ、異業種に転職しました。運送会社で2ヵ月、警備会社で2ヵ月働きましたがパチンコ店で働いていた頃を思い出し、また以前の職場で働きたいと感じました。
その時にパチンコ業界に戻ることを決めたと思いますが、なぜまた備宝に戻られたのですか?
備宝を退職した時、在職中に転職活動をして、すぐに運送会社の内定をもらいました。転職先も決まり、わだかまりのあった上司と一緒に仕事をすることが苦しくなってしまって、就業規則では退職の申し出は1ヶ月前と決まっていたのですが、転職を急いだ私は当時の専務、現在の社長に退職させてほしいと直談判しました。
その時に何も聞かずに快諾してくれたのです。働いているときも目をかけて貰っていましたし、感謝の気持ちがずっとあったので、また備宝で働きたいと思いました。
浜岡慶三郎/株式会社備宝 常務取締役。1999年に入社し、店長職、部長職を経験後、2011年に常務取締役に就任。
そのような経緯だったのですね。
また備宝に戻りたいという話をした時も社長は承諾してくれました。ただし、自分の下で働くのならという条件でした。社長は当時の旗艦店であるF1-Rという店舗を見ていたので、そこで働いてほしいと言ってくれました。警備会社も辞めて、家族もいて路頭に迷う寸前の時でしたので、本当に感謝して、人の2倍働かなければこの恩を返せないと思いました。
再入社した後はどうでしたか?
社長が見ていた旗艦店で勤務していたので、働きをしっかりみてくれてK-1 500をオープンする時に店長になってほしいと言われました。
人の2倍やるという気持ちで働いていた姿を見てくれていたということですね。
入社後1年で店長になったのでわからないことだらけで、その後も社長に仕事を教えてもらいました。社長は非常に厳しい人で、何度も挫折しそうになりましたが、その度に温かい言葉をかけてもらって、モチベーションを保つことできました。社長に鍛えられた経験から、今の強い精神力を得ることができたと感じています。
店長になり一番苦労したことはどのようなことですか?
肉体的にも大変でしたが、K-1 500がオープンして3ヵ月くらいで稼働が一気に落ち込んだ時期があって、競争が激しい地区だったこともあり、夜にはガラガラという状態になってしまったのです。
その時に社長と傘を100本買ってきて、雨が降るなか駐車場を走り回りお客様が濡れないよう傘を渡したり、どうしてもお店に来てもらいたいという気持ちで必死でした。その時が一番精神的に辛かったですね。
そこからはどのように挽回したのですか?
当時はイベントを行っていたので、社長の提案で福山エリアで初めて「海の日」を開催しました。そこから一気にV字回復して、その後は比較的安定した営業が出来ております。
諦めずにやり続けること、徹底してやることが大事だと改めて感じました。
店長としては何年働いたのですか?
店長は3年程経験しました。その後27歳の時に部長になり、35歳で常務に昇格しました。
部長と店長では仕事内容は大幅に変わりましたか?
部長になって統括で全店見ることになったので、単純に仕事が倍になりましたが、仕事が大変だというよりも、とにかく業績を上げたいという気持ちが強かったです。
そのため、それまで以上に考え抜いて仕事をすることを自分に課していました。社長に喜んでもらいたいという気持ちが特に強かったですね。
8年後に常務取締役に就任したということですが、その時はどのような心境でしたか?
仕事内容は大きく変わらないけれど、責任が大きくなったと気持ちが引き締まる思いでしたが、それ以上に認められた喜びが大きかったです。そこからは部下を育てる方にシフトしました。
それまでは自分でやった方が早いと思ってしまうタイプで、それではずっと現場から離れられないと社長にも言われていましたので、徐々に仕事を部下に任せるようになっていって今は現場には直接携わってはいません。少しずつ仕事を分担していった形ですね。
後編に続く